第18話 もっと先になると思っていた。

 ついにナオさんの誕生日、4月10日が来た。ナオさんには19時頃にスカイツリーの天望デッキで待ち合わせにしている。よく調べると思っていたよりも閉まる時間が早かったので、天望デッキに先に上がってもらい現地待ち合わせにした。俺は普段どおり仕事だがナオさんは休暇だ。昼過ぎにお泊りセットを準備して、一旦俺の部屋に荷物を置いてから現地に向かうと言っていた。俺はあまり活用されていない「ノー残業デー」を盾に1分でも早く退社するつもりだ。

 しかし、チーフのナオさんが休暇で仕事に大きな進捗が無く、かつトラブルも無かったことから18時には席を立つことができた。鞄の中にリングケースがあることも確認済みだ。


 チケットの購入にもたつき5分程遅れて天望デッキに着いた。エレベーターを降りると人が多い。カップルや学生のグループもいる。焦って周りを見回すと、右側で控えめに手を振っているナオさんがいた。人込みを避けてナオさんに近づくと襟と袖に白い飾りが付いたベージュ色のロングワンピースに薄いグレーのパンプス。小さめの黒いヴィトンの鞄を持っていた。

 「少し遅くなりました。すいません。」

 「いいのよ。上手く職場から抜け出せたみたいね。」

 「はい。ナオさんこそ迷わずにここに着きましたか?」ナオさんは方向オンチなので、出張の時は基本的にタクシー移動だったり、俺が事前にMAPで確認して目的地にお連れする。

 「失礼ね。こんなに高い建物に行くのに迷うはずないじゃない。」

 「ははは、失礼しました。じゃあ、一周回りましょうか。」ナオさんと横に並んで歩く。仕事以外では初めてだ。快晴で夜景も綺麗なので窓側の人は中々動かない。人と人との隙間で所々窓際に立ち、夜景を楽しんだ。

 「綺麗だね。H市のホテルで見た夜景とは違うや。」

 「ははは、そりゃあ高さも違うし、建物の数も違いますから。」

回っている途中で仕事帰りのカップルだろうか、「写真を撮ってほしい」とスマホを渡されたので撮ってあげた。「私達も撮りましょうか」と言ってくれたので、お言葉に甘えて俺とナオさんも俺のスマホで写真を撮ってもらった。人込みのなか二人横に並んで立ち、俺もナオさんも少しぎこちない笑顔で写っている。

 「もう少し上のフロアにも行けるんですよ。俺チケット買ってきます。」

 「うん、ありがとう。」


 天望回廊。エレベータを下りて左へ進むとガラス窓のスロープ状の通路があり、それを登っていく。こちらは天望デッキに比べて空いていて、ゆっくり窓際を歩くことができた。ナオさんは時々スマホで写真を撮っている。

 フロア450。ここが最高階だ。天望デッキからの夜景も綺麗だったので、あまり景色が変わったようには感じないが、落ち着いて観れるのが良い。

 「ユウジ君、新宿ってどっちかな。」

 「こっちですよ。」通路を道なりに進み、照明で演出をしているポイントを過ぎた辺りで立ち止まった。

 「遠くの方は光の点がたくさんあるだけで、都庁やホテルとかも分からないね。」ナオさんは立ち止まって夜景に夢中だ。時々スマホを調整しながら写真を撮っている。演出ポイントで写真を撮っていた賑やかな女性3人組も歩き出し、俺たちの周りの人流が途切れた。今しかない!リングケースを取り出し、鞄を足元に置く。

 「ナオさん。」

 「ん、なにー?」前を向いたまま、夜景を見ている。

 「結婚してください。」ティファニーブルーのケースを開きリングを見せる。

 「え、………」顔だけこちらに向けて、リングに一旦焦点を合わせた後、俺の顔を見て約3秒フリーズした。

 「はい。…よろしくお願いします。」ナオさんはこちらに向き直って大きく頷き、見開いた目でもう一度指輪を見た後、両手を広げてこちらに抱き着いてこようとしたが、パンプスの踵が脱げたのか、つっかえながらこちらに倒れこみ、ようやく俺の肩に手が届いた。俺もケースを持ったままナオさんの腰に手を回し、ナオさんの背中でケースの蓋を一旦閉じた。

 「もう、これ邪魔。」ナオさんは脱げたパンプスを床に転がしたまま、もう片方は自分で脱いで床に立ち、背伸びをして軽くキスをしてくれた。

 「もっと先になると思っていた。ありがとう。本当に嬉しい。」

 「喜んでもらえてよかったです。」

 「指輪も用意してくれたんだね。…私がティファニー好きなの言ったことあったっけ。」杉本さんが言っていたとおり、ナオさんは一目で分かったようだ。

 「左手を貸してください。」ケースから指輪を取り出し、フットカバーのまま床に立つナオさんの左手をとる。

 「はい。へへへ、照れるなー。」ナオさんは目尻に涙を溜めながら笑っている。ナオさんの薬指にスッと指輪が入る。

 「少し大きかったみたいですね。」

 「いいよ。何号か言ってなかったし、サイズ直しもできるはずだから。」

 「今度は二人でお店に行きましょう。」

 「うん。」ブカブカの指輪を着けたままナオさんはフワリと俺に抱き着き、プロポーズを噛みしめているようだった。


 「この後、近くのレストランも予約しているんです。そろそろ行きましょう。」

 「そうだね。お腹も空いてきた。」ハグを解いた後、ナオさんは左手の指輪を再度確かめて、嬉しそうに見ながら歩き出した。

 「ナオさん。靴、靴を忘れていますよ。」

 「あー、ホントだ。忘れてた。」ナオさんは床に転がっているパンプスの所まで数歩戻り、改めて履いた後、俺の腕に抱き着いてきた。そのまま腕を組んで歩き、スカイツリーをあとにした。


 「カプシーヌ」。隠れ家的フレンチレストランで、決して広くもなく派手なインテリアがあるわけでもないが、ご年配のオーナーシェフとそのご家族がやっている品が良よくて、落ち着ける場所だ。ナオさんも「素敵なお店だね」と気に入ってくれたみたいだ。俺達の他にも4人がけテーブルが2つ埋まっていたが、いずれもデートでの利用だろう。大声で騒いだりしていない。

 3コースディナーでオードブル、メイン、デザートをいただく。


 「ナオさん。指輪なんですが、実はまだ買っていないんです。」

 「ん?どういうこと。」ナオさんは眉を寄せて少し困り顔をした。

 「ナオさんに一緒に選んでもらおうと思って、プロポーズはお店でお借りした指輪を使いました。もちろん、今着けてくれているのが気に入ってくれているんだったら、それをピッタリのサイズでプレゼントしますし、他のブランドやティファニーの他の指輪でも、ナオさんが好きなものを身に着けてもらおうと思って。」

 「あー、そういうことか。でも、ユウジ君が選んでくれた『セッティング』のエンゲージリングは、ずっと私の憧れだったんだよ。よく知っていたわね。」

 「実は、伊予丹で相談したんです。ナオさんが普段身に着けているアクセサリーが多分ティファニーのだと教えてもらったので、王道のデザインにしたんです。ただ、サイズが分からなかったし、万が一指がむくんでてプロポーズの時に指輪が入らなかったら申しわけないから、少し大きめの9号にしておきました。」

 「さすがデパートだね、ブランドもデザインも大正解だよ。サイズへの配慮も素晴らしいわ。」ナオさんから笑顔がこぼれる。

 「週末、一緒に伊予丹に行きましょう。外デートになりますけど、良いですよね。」

 「もちろん。」


 「勇気を出して、ビシッと決めてくれてありがとう。もっと先になると思っていたから嬉しかったよ。」ナオさんがメインの牛頬肉にナイフを入れながら言う。

 「あれ、もしかしてOKするの躊躇いましたか?早すぎるとか。」

 「うううん、違うの。私は付き合うのをOKした時からユウジ君とが最初で最後の恋愛だと思っていたし、筋さえ通してもらえたらいつでもOKするつもりだったんだよ。ただ、ユウジ君はまだ若いし、色んな誘惑や葛藤があるんじゃないかな?って思っていたからさ。」ナオさんは一旦言葉を切り、考える。

 「ユウジ君を急かしたり、プレッシャーをかけないように私なりに気を遣って、1年間位は待つつもりだったんだよ。で、何もなかったら私から逆プロポーズしてハッキリさせるつもりだった。」

 「ははは、プロポーズくらい俺にさせてくださいよ。」

 「だから、ちゃんとユウジ君からしてくれて良かった。…安心して。私、絶対後悔させないし、幸せにするから。」ナオさんがナイフを置き、右手の指で髪を耳にかけながら、真面目な顔で言くれた。

 「それも、できたら俺のセリフにさせてください。」俺は笑うしかない。

 「へへへ、そうか。」


 最後のデザートプレートが運ばれてくる。予約の際に、彼女のバースデー祝いであることを伝えて、プレートに「Happy Birthday」のメッセージを書いてもらった。

 「プランBね。」ナオさんが「お見通しよ」と言わんばかりにニヤケ顔だ。

 「バレましたか。スカイツリーが騒がしくて実行できなかったら、このタイミングで指輪を出すつもりでした。」

 「ちゃんと考えていてエライぞ。」

 「思い通りにいかない場合だってあるんだから、ちゃんとプランBを用意しておきなさい。と普段から半田先輩にご指導をいただいております。」茶化して言ってみる。

 「ふふふ、その人は良い先輩ね。」


 心身共に満たされ、タクシーで帰宅した。ナオさんは余程嬉しかったのだろう、レストランでもタクシーでも隙あらば指輪のダイヤを光にかざしてみたり、指で感触を確かめていた。

 こんな夜に手を繋いで寝るだけで済むはずがない。ナオさんは「ちょっと早いけど寝ましょう」と何も身に着けずに布団に入り、俺も灯りを消して全裸で布団に入った。すぐにナオさんが甘えてきた。

 「ねえ、しっかりとお祝いもプロポーズもしてくれたし、私は今晩でもいいよ。…その、前に話した記念日。」

 「何も着けずにセックスする記念日ですね。」

 「うん。ユウジ君に私の初めてをもらってほしい。」

 「ありがとう。……でも、あの、…ナオさんは結婚式とか新婚旅行はどう思います。結婚式も披露宴もやりたいとか、写真だけで良いとか。ドレスを着たいとか、白無垢が良いとか。」

 「なんで今そんなこと聞くの?」ナオさんは少し不機嫌になった。

 「もし今ナオさんを妊娠させてしまったら、結婚式や衣装に制約ができて、思っている事ができなくなったら悪いなあと思って。…それにほら、ナオさんのご両親へのご挨拶や、うちの親との顔合わせとかやる事もたくさんあるし。」

 「うわー、プロポーズで舞い上がってて、全然考えていなかった。どうしよう。ユウジ君、入籍や結婚式までのTo Doリストと標準工期を調べて。」ナオさんが急に体を起こして灯りをつける。

 「はい。」俺も布団から出て、スマホで検索する。ナオさんも裸のままでスマホを見ている。お互いの親への挨拶、両家の顔合わせ、式場と日取り選び、式場との諸々打合せ、職場への報告、新婚旅行の手配、新居選び等、これらを半年から1年間かけてやるようだ。

 「色々決めることがあるね。」ナオさんはチーフ半田ナオの表情になっている。

 「大丈夫ですよ。俺と一緒ですから。」

 「そうだね。仕事でも二人でたくさん成果を上げてきたし。」

 「まずは、ナオさんのご両親にご挨拶に行かなきゃ。」

 「うん。ユウジ君ならきっと気に入ってもらえる。私もユウジ君のご両親に会いたい。気に入ってもらえるといいなぁ。」何が何だか分からない状態から、何がいつまでに必要かある程度分かり、ナオさんも少し安心したようだ。


 「さてと、仕切り直しよ。記念日がお預けなのは分かったけど、私はディナーの時からそのつもりだったし、もう準備ができてるのよ。」

 「はい。今日のシメもしっかり頑張ります。」

 「望むところだ!と言いたいけど、私、多分すぐにイっちゃうと思うから優しめにして。」

 「分かりました。」俺は小物入れからゴムを取り出し、モノに着ける。二人とも既に裸で、かつ出来上がっているので前戯もせず、すぐに入れた。ナオさんは既にトロトロで俺のモノがスッと入ったが、顎を上げ「はぁぁぁ」と切ない声を出す。しかし、その表情は温かい温泉につかり、身体を伸ばしてリラックスしているようなほのぼのとした笑顔だ。

 「抱き着いていい?」

 「はい。」俺はナオさんに覆いかぶさるように体重を預けると、ナオさんは両手を首に回し、両足でも俺のお尻や腰をホールドしてきた。

 「眠っちゃう前に先に言っておくね。今日は本当にありがとう。人生最高の誕生日になったよ。」

 「ナオ、…誕生日おめでとう。一緒に幸せになろうね。」ナオさんを見つめて言うと、また薄っすらと涙をにじませ、「うん」と力強くうなずいてくれた。ナオさんが下から俺の頭を引き寄せ、キスをしてくれた。何度かキスをしている内にギューっとナオさんの手足に力が入り、出し入れをすることなくナオさんはイってしまった。

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