第二部・その2


 ユウキは学校を休んでいると、ジュリからの連絡があった。アツシは昼過ぎに退院予定たが、ACRコマンドへの復帰は、もう少し考えさせてほしいと連絡があったとの事だった、

 ケンジロウの報告を聞きながら、サチが寂しそうにチキンライスを皿に盛り付けていた。今日の昼食はオムライスだ。

 バターをたっぷり入れたフライパンに溶いた卵を流し込み、素早くかき混ぜると固まりつつある部分が混ざりあっていく。

 フライパンを揺すりながら卵を隅に寄せ、まとめるとそれがひとまとまりのフワフワした固まりになっていく。

 それをチキンライスの上にそっと乗せ、ナイフで切れ目を入れると、ソースか何かのように半熟の卵が溢れだす。

 そこに昨夜のシチューを思い起こされる香りのソースがかけられる。ミユのために四日かけて作ったデミグラスソースだという。

「まずは自転車に乗れるようになること……終わったら外出許可を出す。洗足の走り込みについていって、大まかな土地勘をつかんでおけ。次の不死兵の襲撃までには、自力で行けるようになってほしい」

 オムライスの皿の脇に、何かパンフレットのようなものをケンジロウは置いた。

「アパートに風呂がないという話だな。この辺りの銭湯マップだ。任務の後で回ってみると参考になるだろう」

 その上に、ユウコが本を乗せた。オートバイ免許の教本だ。

「下校時間が過ぎたら、校庭でバイクの実習だよ。一発で免許取れるようにしとかないとね」

「その前に……冷蔵庫が来るんだっけ。あたしがつきあうよ。ボロ屋敷でも女子の部屋に男子は入れたくないっしょ?」

 昨日ほどではないが、やるべき事が多すぎる。拳銃を撃ちこんで練習もしたいし、ミユのカービンをどうするのかも、何も決まっていない。

「よーし、じゃあ……授業が終わったら、バイクの教本。冷蔵庫が来たら、受け取りに行く。そのあと自転車の練習、バイクの練習、かな」

 机に腰かけながらオムライスを受け取ってナオが言った。

「今は、ごはんの時間。それでいいかな?」

 ナオがオムライスを口に運ぶのにつられてミユもオムライスをすくって口に運んだ。

 卵ひとつとっても、クリーム状の部分、もう固まっている部分、半熟の部分が入り交じり、それらがチキンライスに絡みつく。

 コンビニ弁当のそれと違うのは、味や食感が均一になっておらず、その複雑な重なり一つ一つが、同じ味を違った角度で口に伝えているのだ。



 台所の冷蔵庫を置く場所は、前の住人もそこに置いていたためか、床の部分が変形してそこの畳に乗るとミユの体重でも軽く沈み込んだ。

「こりゃまずいね。ホームセンターで板でも買って敷いとく?」

 少し外れた場所に冷蔵庫を置くよう作業員に指示しながらコノミが言った。

 冷蔵庫の搬入とタイミングを合わせて、電力会社とガス会社の人が来て、ガスの開通作業と電力のアンペア数を上げる作業を行った。

 ミユのすることは渡された書類にサインをして、それをファイルにしまうことくらいであった。

「冷蔵庫を直すのは後でさっちゃん呼んでやってもらって……家具や食器も買わないと」

 コノミは袋からお茶のペットボトルと紙コップを取り出し、お茶を注いだ。冷蔵庫は

まだコンセントを入れていない。

 冷蔵庫の位置はまだ決まっていないが、台所はだいぶ、それっぽい雰囲気になっていた。置場所が決まっていない電子レンジや炊飯器は、まだ床に置かれているが。

「今日はさっちゃんのディナーがあるからいいけどさ、明日からは自分で料理しなきゃダメだかんね。さっちゃんに甘やかされてると、さっちゃんみたいになるからね」

 サチみたいな。部隊の擲弾手。料理上手。炊き出しのボランティア。

 そういう事では、ないらしい。はち切れそうな、柔らかい、体。

 意地悪そうに笑いながらお茶を飲むと、コノミはミユの部屋を見回した。

 狭くて小汚い部屋だが、日当たりはいい。昼下がりの少し柔らかい陽射しが、部屋全体を照らしていた。

「学校まで徒歩二分か……いいところだね」

 置く場所がないので空の紙コップをぶら下げながらコノミが言う。

「風呂とトイレはほしいね。洗濯機は、……水道とコンセントが外にないから、コインランドリーかな。六万のワンルームで、……不死兵の出たとこなら、もうちょっと広いとこがいけるね。あたしゃ霊感がないから」

 霊感。あるのだろうか。だからマッチドを引き当てたのか。

 不死兵の出現したエリアで死人の出た家や部屋ならもう少し安くて広いところもあったが、なんとなく行く気にはならなかった。今さらながらほっとしている。

「……あたしさ、高校を出たら就職して、一人暮らしを始めようと思ってるんだ。うちは大家族でさ……親兄弟の面倒を見なきゃいけない」

 日の射し込む窓を眺めながら、誰に言うでもないようにコノミがつぶやく。

「そうやってさ……家に縛られて、何もできなくなる。家族のためだから仕方がないって、自分を殺してさ。そういうのは、やなんだよ」

 だから家を出てさ、自衛隊みたいのは窮屈だからやだけど、ANTAMの資格があれば、高卒でも食いっぱぐれはないっしょ。



 窓の向こうは、別の建物の壁があるだけだ。そこに射し込んでいた陽の光も、いつの間にか射さなくなってかすかに見える空はすっかり暗くなっていた、

「もうちょっと広いとこでもよかったんじゃない?」

 言いながらナオはフローリングの床を蹴るようにこすって、靴下の足の裏を軽く覗いた。汚れてない。

「どうせ寝に来るだけだし……待機時間の後は、トレーニングスクールに行って、お風呂は帰りに、銭湯で済ませればいいから」

「そっか」

 座布団やカーペットもない。部屋の隅に畳まれた布団が置いてあり、ナオはそこに腰を降ろした、

「……お母さんの事、大丈夫?」

「お医者さんの話だと、やっぱりずいぶん前から、心が……診断書を書いてもらって、役所に出せば、年金と、協会の保険で、費用は賄えるって」

 思っていたよりも淡々と話している自分に少し驚きつつも、話を続ける。淡々と。

「おうちをどうするかは、協会の人と相談して、これから決めていくって。お母さんが退院したとき、家はあった方がいいけど、その間誰かに貸し出すようにすれば、その分お金も入るって」

 ナオの隣に腰かける。どこにでも売っている、リンス入りシャンプーの匂い。安売り店で売っているような匂いのきついものではない、ありふれた香り。でもそれは、ナオの香り。

「うちにあるものは、何が必要なのかわからないから、業者を使って、貸倉庫に入れるって。お金が支給されるまでは、協会の手当てから、払わないと」

 ナオが肩をつかんで引き寄せる。シャンプーの匂いじゃない、ナオの、匂い。

「なんかあったらさ……いつでも言ってよ。来れるときは、行くからさ。お金に困ったら、少しは出せるよ。不死兵を倒して、手当はいっぱいもらってるから」

 甘えて、いいのかな。

 もっと近くに、ナオを感じて。



 学校が近いせいか、終業のチャイムの音が窓からはっきりと聞こえる。

「あー、サボりタイムも終了か。ミユ、学校に戻ろう……これは冷蔵庫に入れとこうと思ったけど、詰所の冷蔵庫にしまっとくよ」

 コノミの後を追って、狭い入口を通り抜ける。鮮やかで、爽やかな、いい匂いがした。

 でも、ナオの匂いじゃない。

「ハア?なに?あたしの匂いが気になるとかいうの?」

「いえ……いい匂いだなって。シャンプーも……買わないと」

 コンビニを通りすぎると、もう学校が見える。校舎に戻る前に、とってつけたように口に出る。

「ニンジャの、パークバッジの、……せいなんですかね……なんかこう、匂いに敏感になって。なんか……気になったんです」

「あたしはマッチドじゃないし、それ系は持ってないけど、なんとなくわかるね。クラス2あるあるって言うか」

 まだホームルームの時間なのか、校舎から生徒が出てくる様子はまだない。パークバッジで認証するゲートを通って、通用門から学校の敷地に入る。

「バイクの免許取っとけば、自転車の練習はいいんじゃないかと思うけどね……うちのリーダー心配性だから」

 ガレージの奥では、ユウコがバイクをいじっていた。そこを抜けて、銃や装備品を収めたロッカー。

 硝煙やオイル、血の匂いもかすかに残っている。しかしその中に、変わらない、

 M16カービン、ジョギリショック、そこに残る。

「銃が気になる?やっぱマッチドになると、そっちの方がいい?」

 言われて自分のロッカーを見る。クラッグヨルゲンセンの代わりに、ホウコの用意したM110が納められている。

 答えようとしたが、言葉が出てこない。コノミも答えは期待していないようで、それは少し、安心するのだった。

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