入隊試験


 一日の始まりを告げる鐘の音が、王都に響き渡っている。都の中心にある三つの塔は、その白壁に朝日を反射して煌いていた。少し冷たい空気に気を引き締めながら、リックは一人、王宮へと向かう。彼が王都に来て三日目、いよいよ今日、入隊試験が王宮で行われる。出発の時、送って行くというムーギーとモーイの誘いを断り、彼は二人に今までの感謝を述べた。二人とも名残惜しそうではあったが笑顔で送り出してくれ、そのことを思い出すと、緊張で強張ったリックの顔も自然と前を向く。

 魔法使いの部隊、ソル・セル。ガルディア国王直属のこの組織は、王国中から集まった精鋭の魔法使いたちで構成されている。扱う魔法の特性に合わせた火・風・水・土の四つの部隊は、「長」と呼ばれる部隊長を中心としていた。その活動範囲は多岐にわたり、軍人としては戦時下での最大戦力となる一方、日常的には魔法の研究や、警護・警備任務、更には行政に関与することもある。これは、建国の際に初代ガルディア王の力となった、四人の魔法使いを起源とするためだ。王に忠誠を誓うという意味から、長には大臣と同等、また隊員にも相応の権力が与えられる。それゆえに、畏怖の対象でもある。

 朝の大通りは、すでに商売人の威勢のいい声で溢れていた。すれ違う行商人の集団や人通りの多さは相変わらずだ。時折、リックと同年代位の子たちをよく目にする。みな、足早に王宮の方に歩いていく。彼らも、その実力を認められた若き才能たちだ。試験の受験資格は各地の有力者、あるいは現役・退役問わず、隊員の推薦が必要となる。生半可な魔法の腕では推薦を貰う事すら出来はしない。リック自身もエビナンスの元で、推薦状を貰う為の試験を受けた。彼にとっては、思い出したくないほどひどいものだったが。

 しかし、推薦を受けることが出来たとしても、そこから合格できるのはほんの一握り。その事実に、改めて緊張で逸る鼓動を抑え、リックは一歩一歩踏みしめて道を進んだ。

 程なくして、彼は王宮の前に辿り着く。王宮に繋がる橋の前に、以前と同じように数人の兵士が立っていた。鋭い視線は相変わらずだったが、今回は臆することなく、リックは堂々と胸を張り、他の受験者と同様に橋を渡っていく。

 王宮の前庭に繋がる豪奢な門には、また別の兵士が立ち、その前に列が出来ていた。こちらは先ほどの衛兵たちとは違い、穏やかな表情で、訪れる受験者の応対をしている。王宮の近衛兵だろうか。リックも列に倣い順番を待って、兵士の一人に推薦状を見せた。その文面に、兵士は驚いたような表情になる。

「…フォーデンス様、失礼ですが、水の長様のご子息ですか?」

 予期していた反応ではあったが、リックは思わず表情が強張った。彼がぎこちなく頷くと兵士は、お会いできて光栄です、と、恭しく頭を下げた。周囲の視線が気になり、リックは慌てて会場の場所を尋ねた。

「前庭の噴水に突き当たりましたら、右手に真っ直ぐお進み下さい。先にある門から、会場の練兵場に続いております」

 近衛兵に礼を言い、リックは足早に歩き出した。昔から、長の息子という扱いを受けるのは苦手だった。ムラエナではみな事情を知っていたので、リックのことを色眼鏡で見るような人はいなかったが、時折、村を訪ねてきた旅人が、好奇心から彼に関わってくることもあった。魔法使いの長の息子という事実は、彼を惨めにさせるだけだというのに。

「…さっきの人が悪い訳じゃない。こういった扱いも気にしないようにしろって、師匠に言われてただろ。…しっかりしろ」

 そうつぶやいて気持ちを切り替え、リックは指示された通りに道を進んだ。やがて、件の門が見えてきた。練兵場の周りを囲む城壁をくり貫くように、両開きの木製の扉が開け放たれている。城壁の厚さを考えれば、門と言うよりトンネルのようだ。扉の前でも近衛兵が待ち構えていて、受験者に一人ずつ通るように誘導している。列に並びながら、なんでこんな面倒なことをするんだろうと、リックは疑問に思った。

 しばらくして、彼の順番が来た。ここでは推薦状の確認は無かったので、近衛兵の間を通り、門に足を踏み入れる。その時、門の内側の壁が、一瞬仄かな緑色に光った。リックは驚いて立ち止まったが、後ろの方から、早く進んでください、と近衛兵に促され、慌てて門をくぐった。門の先にあった練兵場は、だだっ広い石畳の広場となっており、遠くには、国軍の施設と思われる建物がいくつか見えた。

 会場の中心には、すでに数十名の少年少女が集まっている。流れに沿って人だかりに加わったリックだったが、彼は所在なさげに、きょろきょろと辺りを見回した。故郷では同年代の友人はいなかったので、変に緊張してしまう。とはいえ、周囲には無駄話をする者はおらず、軽い運動をする者や、目を閉じて気持ちを整える者、鋭い視線をライバル達に向ける者と、友好的な態度とは言えない。

 どう待つべきかと考えあぐねていた時、リックは視界の端で、見覚えのある後ろ姿を捉えた。小柄な背中に、人目を避けるように深く被ったフードと、横からこぼれた銀色の艶やかな長い髪。間違いなく、王宮の前で出会ったあの少女だった。彼女は集まった人の輪から少し外れて、俯いたまま突っ立っている。

 向こうは気が付いていない様だが、話しかけるべきかリックが迷っていると、俄かに周囲がざわめき出した。皆の視線の先、近衛兵の一団が近づいてくる。その先頭には、眼鏡をかけた痩身の男性が一人。短く刈り込まれた黒髪と痩せこけた頬、眉間に皺を寄せた険しい表情だ。

 彼は集まっている受験生の前で立ち止まると、眼鏡の奥から鋭い視線を向けた。練兵場の空気が、一瞬にして張り詰めたものに変わる。リックも思わず、生唾を飲み込んだ。初対面だったが、彼が誰なのかすぐに分かったし、それは他の受験生も同じだ。眼鏡の奥に光る鋭い眼光、痩身痩躯ながら、向き合って感じる威圧感はかなりのものだ。ふっと短く息を吐き出し、男性が気だるげに口を開いた。

「あー、受験生の諸君、王国各地からわざわざご苦労。土の長、リース・ロイズだ。スロウト国王陛下より、本試験の立ち合いを仰せつかった」

 何故か少し苛立ったような低い声と端的な物言いが、彼の為人を現しているようだ。王国の要である長の一角を担う、「鉄壁」の異名を持つ土の長。その呼び名は、二十年前のゴンドーとの国境戦で、敵軍からの猛攻を彼が一人で防ぎ切ったことに由来するという。

 しかしその一方で、それは厳しすぎる彼の性格を揶揄している、という裏の意味もあるというエビナンスの言葉を、リックは思い出していた。

 リースは後ろに控えている近衛兵の一人に、さっさと終わらせよう、ミレス隊長、と声を掛けた。ミレスと呼ばれた中年の男性が前に進み出る。金の短髪に精悍な表情。服の上からでも分かるほど筋骨隆々とした、いかにも軍人という風貌だ。

「近衛兵部隊隊長のミレスだ。本日集まった諸君らは、王国の要たる魔法使いの部隊ソル・セルへの入隊を希望する精鋭ばかりだ」

 力強いミレスの声に、今までの修行の成果を見せる時が来たと、期待に胸を膨らませる受験生たち。しかし、ミレスはそこで、だが、と言い淀んだ。チラリとリースに視線を送るが、彼が何も反応しないことが分かると、諦めたように言葉を続けた。

「—だが、残念ながら試験結果はすでに出ている。今回の合格者は、以下の五名。エドガー・リンストン、オストロ・サウル、シエラ・ルシア、リッキンドル・フォーデンス、リリア・ムーナ、以上だ」

 受験生の誰もが、ミレスの言葉の意味を理解出来なかった。何もしていないのに、すでに試験の結果が出ているとは、一体どういうことなのか。受験生の中から、不満の声が上がる。静寂が破られ、会場が混沌とし出した。ミレスをはじめ、近衛兵たちも困惑した表情を浮かべているが、リースだけは無表情のまま、右足で地面を踏み鳴らした。

 その瞬間、地響きと共に地面が小刻みに揺れ出した。一瞬にして、会場が再び静まり返る。リースが土の魔法で、局所的な地震を引き起こしたようだ。彼の動きは造作もないもので、受験生が感じた魔力も微かなものだった。憤然としていた受験生たちも、驚きで固まってしまった。騒ぎと揺れが収まると、リースは口を開いた。

「静粛に、説明は俺からしよう。理由は単純明快。練兵場に入ってくる際に通った門、あれは特別な鉱石で作られたもので、魔力の質、量によって発光する特性がある。そして、その基準に達したのが先ほどの五名であり、それ以外は不合格。以上だ」

 リックは自分が通った時の光景を思い出した。門の下を通ることが試験、と疑問は湧いて出てきたが、淡々としたリースの説明には、有無を言わさない迫力があった。もちろん、すんなりと納得出来る者などいなかったが、もう誰も、その不満を口には出そうとしなかった。重苦しい沈黙が流れる。そんな中、あの~、と場違いに間延びした声が響いた。誰もが俯いている中で一人、小柄な少年が手を上げている。リースが鋭い視線を向け、なんだ、と尋ねると、彼は恐る恐ると言った感じで言葉を続けた。

「せっかくここまで頑張ったのに、そんなあっさり追い返すなんて、いくら何でもひどすぎじゃないっすか? もっとしっかりと―」

「しっかりと、実技、筆記なりで判定すればチャンスはある、とでも言うつもりか?」

 呆れ顔で、リースが少年の言葉を遮った。更に表情を険しくし、甘い、と怒号が飛ぶ。

「お前たちが目指しているものを、何だと思っている? 国王陛下直属の国防の要、魔法使いの部隊ソル・セルだぞ? その姿こそ民の希望であり、その双肩には幾十万の命がかかっている。たとえ一瞬の試験でも、そこで認められもしない者に、国の命運を預けることが出来るわけがねえだろ‼」

 練兵場中に鳴り響く怒号に、少年はすっかり委縮してしまい、涙声で、すみません、と小さく答えるのが精一杯だった。リックには少年の気持ちも分かったが、時に命を懸けて戦線に立ち、王国を守らなくてはいけないのが魔法使いの部隊(ソル・セル)だ。その責任を考えると、リースの言葉は厳しくも正しい。

 今度こそ、誰も声を発する者はいなくなってしまった。リースは、ミレスに目で合図をして、話の続きを促した。

「…先ほどの五名は、私に付いて王宮へ。国王陛下の御前で、入隊の儀を行う。それ以外の者は、こちらに残っているように」

 ミレスがそう告げると、後ろに控えていた近衛兵がリックの元にやってきて、付いてくるように言った。他の四名も同様に声を掛けられたようで、項垂れている不合格者の間を縫って、ぞろぞろと集まってくる。全員が来たことを確認したミレスが、私語は慎むように、とだけ言って歩き出した。黙々と歩く間、リックはほかの四人に視線を向けた。右前を歩くのは、首元くらいまで茶髪を伸ばした少女で、赤みがかった瞳をしている。身長がリックより少し低いくらいだから、一見すれば男の子に間違われそうだ。その後ろに、先ほどリースに意見をした小柄な男の子の姿もあった。今はすっかり落ち込んで、肩を落として俯いている。視線を戻して、左前にいる少年はリックよりも少し背が高く、肩幅もがっちりしているので、相当に鍛えていることが分かる。髪は借り上げた金の短髪で、灰色の瞳は鋭く、口元は真一文字に結ばれている。しかし一番気になったのは、リックの左後ろ、少し距離を置いて、あの少女がいたことだ。相変わらずフードを被って俯いているが、歩く度に、首元から出ている銀色の髪が日の光に揺れている。

 合格したとはいえ緊張感が続くのか、あるいは警戒心からか、五人の間にはピリピリとした空気が流れていた。リック同様に、他の四人もチラチラとお互いの様子を伺っているが、声を掛けようとはしなかった。

 しばらくして、道は王宮の中庭へ抜けた。中央の巨大な噴水を横目に進み、石畳の広い階段と、その上にあるガルディア宮殿の前に出る。階段を上がってすぐに門があり、その先に真昼の日を浴びて輝く、白亜の建物が見える。四階建てのその建物の右側に一つ、後方に二つ、計三本の巨大な塔が、天を突くような大きさで聳えていた。

 ミレスが不意に足を止め、ここがガルディア宮殿だ、とリックたちを振り返る。先ほどまでのピリピリとした雰囲気は無くなり、この時ばかりは五人とも、宮殿の大きさに圧倒されていた。ふっと表情を緩め、ミレスが再び口を開いた。

「諸君らも知っての通り、この建物は五百年前のフェレス王の時代の建物だ。中庭を囲む正方形上の本棟は、この国最大の建造物でもある。三つの塔は、手前から王国の繁栄、魔力の加護、大いなる自然への感謝を表しているという」

 一行は階段を上り、またも大きな広場を抜け、とうとう宮殿の中へ入った。外観以上に、内装は贅を尽くした作りとなっている。一階は吹き抜けの大きなロビーで、入り口の正面に半円形の階段があり、踊り場からは更に左右に階段が分かれている。天井の梁から手すり、窓枠にまで金箔が施されており、床は磨き上げられた大理石で、深紅の絨毯が敷き詰められていた。懐中時計を眺めたミレスの歩調が、少し早くなる。

「予定時刻が迫っているので、少し急ぐぞ。入隊式の場所は、最上階の玉座の間だ。他の階は、今後、嫌でも覚えてもらうことになるから説明はしない」

 宮殿はかなりの広さだし、同じような部屋も多いため、一人だったら確実に迷ってしまいそうだ。ほかの四人も同じようで、必死にミレスの後に続く。四階まで上がったリックたちは、一際大きな扉の前に立った。ミレスが居住まいを正し、五人に向き直る。

「入隊の儀とはいえ、式典形式ではなく、陛下と長たちの前で忠誠を誓う簡素なものだ。それに、君たちはすでに実力を認められた逸材。緊張せずに、堂々と臨んでくれ」

 表情が強張る五人に、ミレスは優しく微笑んだ。しかし、リックの表情が和らぐことはなかった。四人の長が出席するということは、この扉の先に父親がいるということだ。

 逸るリックの鼓動とは裏腹に、ミレスは扉を開けることなく、フードを被っている君、と声を掛けた。皆の視線が、フードの少女に向けられる。

「ここからは王の御前だ。フードは脱いでいただけるかな?」

 ミレスの言葉に、少女はまだ躊躇いがあるようだったが、ゆっくりと被っていたフードを脱いだ。現れた顔はやはり、リックがあの晩出会った少女だ。ミレスをはじめ、リック以外の四人がその容姿に驚いた表情になると、少女はまた俯いてしまった。気を取り直すように咳払いをしたミレスが、それでは行こう、と言って扉に手を掛けた。

  

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