街へ

 朝日が、眩しい。

目覚めて最初に、テントを出た俺が思ったことはたったそれだけだった。

太陽は、月の様に欠けず、未だ健在であった。

「今日はもう、森を抜けた方がいいだろう。」

ムドウは再び、独り言を一つ。

 少女がテントから出てきた。

「おはよう、眠れたか。」

「…………。」

返事は、相変わらずない。

いや違う。彼女の場合は表現の仕方を知らないだけだろう。

だから、彼女が自分から質問できるように————

「しかし、他人が居るってのは良いもんだよな。俺の癖が一つ減る。」

謎めいた言葉を、一つ。彼女との会話はこうして成り立つのだ。たぶん。

「癖って、なに?」

かかった。

「独り言、それが俺の癖だ。こうして会話が成立しているうちは、俺の癖である独り言は独り言じゃなくなるって訳だ。」

「…………それじゃ、これ。ふたり、ごと?」

「クク、かもな。」

堪え切れずに俺は笑う。それを不思議そうに見つめる少女がいた。


 朝食をとり終わり、俺はテントやら焚火やらの片づけに入っていた。

そんな中、少女はその辺りの丸太に座っていた。

(昨日よりは……食ってくれたかな。)

ふと、先ほどの、なんでもない食風景を思い浮かべる。

「なに、してる?」

「片づけさ、森は特殊な所だからな。俺達、人間はあくまで『借りてる』ってポジションさ。」

「…………。」

「これから森を出て、街の方に行く。お前の服とかを調達するためにな。」

「…………。」

「まったく、お前おかしいんじゃないのか?こんな森の中で全裸とか。どこの部族だっての。そんなんでケガでもしたらどーするってんだ。」

「……これ、ヘン?」

少女は体を示すように、肩に両方の手のひらを乗せた。

「『変じゃない』と言えば、嘘になる。確かにってのは人間のあるべき姿なんだろうが、一般社会に慣れ親しんだ俺からすれば、それはもう変としか言いようがないだろう。」

「…………。」

少女は落ち込んだように下を覗き込んだ。

(やっぱり、ただ無口って訳じゃないのな。)

「そうだ、そうだ。一個大切な、すごく大切なことを忘れてたよ。」

「…………?」

「俺の名前はムドウ。そう、名づけられている。お前は?」

「…………?」

「お前の名前だよ、。」


「……わたし、は、なまえ、ない。と、思う。」


「えっ?」

ムドウとは、街へ向けて歩みを進め始めた。

******

 戦場というのはいつも突然だ。

たとえばそう、今。俺と少女は、昨日とは違う化け物と対峙していた。

その容姿は、例えるならば熊。

しかしてその顔は、魚のそれであった。その癖、目は幾つもあるときたもんだ。醜いったらありゃしない。

「さすが『多々裸眼熊魚タタラメノクマウオ』。噂通りにキモイな。」

石製の大剣を携えた俺は、暴言を一つ。

今は、熊魚の正面に立っている。

だから当然、その攻撃は俺に当たるわけで————

「うおっと!あっぶねーな。一発でお陀仏だぞ、コレ。」

下がる、まるで追い詰められたように。

「ハハ…………笑いごとじゃねえよな。」

笑いを、噛み殺す。

そんなことより————

「おい!嬢ちゃん!仕事だぞ!」

「…………りょう、かい。」

茂みに隠れた少女に叫ぶ。

そこには、現代的な機銃……ではなく原始的な、即席の弓矢を構えた少女の姿があった。

 弦を、絞る。ぎぃと音を出しながら、獲物エモノは熊魚への敵意を募らせていくのであった。

そして————張る。限界まで来たようだ。

ここまで来ることができれば、あとは少女の覚悟次第だ。

「…………。」

少女は、ただ黙る。しかし、そこにはいつもの様な気怠さのような雰囲気は、無い。そこに漂うのは、戦いへと赴く者の、恐怖ともとられる気迫だけ。

「…………!!!!」

今、タイミングはここしかない。

放たれた矢は、熊魚の目を————貫いた。命中だ。

どんな生物であれ、目を潰されれば怯んでしまうのは必然だろう。

無論、いくつも目があるこの化け物であれ例外では無い。

熊魚の目は、残機を増やしている訳ではない。単に弱点を増やしただけだ。

「よくやった!」

少女に激励を送る。そこに居たのは、ただ息を吐くのみの——いつもにもまして——少女であった。

 熊魚は、攻撃の表情をやめ、逆に苦痛の表情を浮かべていた。

気迫は、十分。しかしそこに『戦う』という意思が無いために、この存在の未来は、決定してしまった。

「余所見、厳禁だ。」

熊魚は今、俺を目に入れていなかった。故に、先ほどの一撃を躱すことなど、出来るはずもなく————!


 そうして、そこにあるのは生命がこびり付いた殻だった。

「よくやったな。」

「…………。」

死体目前、少女の頭に手を乗せた。

少女は、口を開かない。しかしその表情には歓喜とも恍惚ともとれるものであった。

「さて、もうすぐで街が見えてくる。いくぞ。」

そして、俺と少女は歩みを進める。少女の体にかかり、体を隠すような布は、彼女の歩調に合わせて、揺れていた。






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