Moon Night Capriccio

玖亭拓也

プロローグ:ある日の昼間

「本日の天気は標準、大気循環器は通常レベルで稼働しています。東部第五ブロックでは先日からグラザとガルーシャの抗争が続いていますので近づく方はお気をつけて!」

 テーブルの上に映るホロモニターでは報道屋の若い娘が楽しそうに喋っている。企業統治下でないここでは貴重な情報源だ。寝ぼけながら目を開くと左上に表示されている時刻は11:32、いささか寝過ごした。軽い二日酔いで痛む頭を抑えながら冷蔵庫から昼食のブリトーを取り出してパックを開く。酸素と反応して小型のヒーターが加熱され、即座に温まったブリトーにかじりつく。淡白な合成食品をごまかすために濃くなった味をインスタントコーヒーで流し込むとようやく頭が働き始めた。

 すると気になるのは甘ったるい甘味料とアルコールの匂い、酔っ払うためだけの不味いカクテルの残り香だ。発生源の服を洗濯機にぶち込んでシャワーを浴びる、が身体に降り注ぐお湯はシャワーとしてはぬるい。給湯器の修理に思いをはせるが違和感のする左手を眺めてため息を一つ。仕事道具の整備と天秤にかけてQOLを取れるほどの余裕はないのだ。

 ボロいGパンと色落ちが目立ち始めたシャツ、合成皮のジャケットを着込むとようやく昨日の酒が抜けてきた。部屋に戻って机の上に置かれた黒い箱の光る部分に触れ、軽快なモーター音を響かせて開いた中のリング状の物体――PT(パーソナルターミナル)を手に取り、左腕の手首に装着する。

 フオォォォン、と浮遊感のある音が鳴り透明な部分を黄色い光が二週、すぐさま薄い青色に灯る。個人認証が終わるとともに机の上と同様のホロモニターが起動を告げた。体内ナノマシンの活性度は97%、左腕の義手の自己診断結果は機械部の不調、体温血圧ともに正常。ナノマシンが視界に移すインフォメーションを一通り読み通すと右手を振ってウィンドウを閉じる。バイタルスキャンで読み取れない微妙な倦怠感を背伸びで振り払い、外出準備を始める。本当は一日寝ていたいところだが、生憎と仕事を終わらせなければ左手の修理もままならない。

「これで……よし」

 財布や鍵、必需品が収まったウエストバックを引きずり出し、銃のホルスターとマガジンをくっつけたベルトを巻けば準備完了。玄関を出て扉に向き直る。表札には「レーン探偵事務所」、賞金稼ぎの傍らで始めた便利屋のような仕事だが、飽きることない楽しい仕事だ。PTを弄って表札下のミニモニタを「外出中」の表示に切り替え、表通りに繰り出す。

 薄暗闇とそれを彩る有機ネオンのコントラスト。充満するカビ臭い空気とそれを彩るベッタリとした甘味料の香り。この粗野な風景が月面都市「ムーンアルパ」の中央、Z97地区の日常だ。

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