第2話 「讃岐造の妻」

 「(ついに……、行ってしまうのね……、ああ……)」


 天人が現れると同時に輝く月の光は強さを増し、目もくらむほどになった時、屋敷の周囲に居並ぶ2000人のもののふどもは一様に力をなくした。

 屋敷の中にいた媼にはその光は届いていないはずである。しかし、このとき媼は、間違いなくその強い光を感じていた。屋内にいて光の影響を受けたということは、おそらくこの光は視覚から人体に影響を与えるものではないのであろう。筆者は、この光の正体は、聴覚から侵入し、五感を始め人体の機能を制御する力を持ったものであると推察する。


 御簾の向こうでかぐや姫が立ち上がろうとしているのがわかる。衣擦れの音が聞こえたため、それと知れたのである。


「@#¥3*。」


 脳に直接語り掛けてくるような天人の声がする。聞き取ることができない発音による部分はおそらくかぐや姫の天上の名前であろう。

 家の一番奥まったこの部屋に続く障子が、すべて同時に開いた。

 

 かぐや姫が、自らの意思で歩を進めているようにも見える。

 その心中は、諦観か。それとも。


「今日まで……、育ててくれてありがとうございました。」


 かぐやの細い、それでいて不思議な力のある声が、頭の中に直接響いてくるようだった。

 彼女のうしろ姿を見送るほかない、老女の目に涙がとめどなくあふれ出てきていた。


(「かぐや……かぐや、許してちょうだい。」)


 媼の脳裏に今日までの出来事がよぎる。



 この子と出会ってから今までの7年間で、私の生活は変わった。

 「「竹やぶで拾ってきた、光る竹の中にいたんだ」なんて、見え透いたおかしな嘘をつくのかしら。」と思っていたわ。「どうせ里の女を孕ませて作ってきた子なんでしょう。」って。

 そう、私たちは子宝に恵まれなかった。造(村長)であるあなたは、跡取りを求めていたわね。私たちは、いつしか、もう子どもの事は諦めてそれについて何も話さなくなっていたわ。私はそれでもよかったの。あなたとさえ、いられれば。


 そんな時、あなたはこの子を連れてきた。

 どうやって、私はこの子を愛すればよかったの?あの時の私の顔、覚えてますか?


 そして、わずか3か月で、大人となったこの子。


 気味が悪かった。


 「あなたが、物の怪の類を連れてきてしまった」と、とても不安だったわ。

 でも、ふと抱き上げたときのこの子の笑顔を見ると、別れることができなかったわ。あなたが竹やぶで金が出たと言って帰ってくるようになってから、うちはみるみる裕福になっていったわ。それがこの子に纏わるものだと気づいていたから。尚更、この子と別れることができなくなったのよ。


 世の男たちの狂気を目の当たりにして、私は怖かった。

 みんなおかしくなっていた。異常だった。


 私は今、少しほっとしているのかもしれない。

 そう。私はかぐやが恐ろしかった。


 何か得体のしれないものとずっと一緒に暮らしていることが恐ろしかった。

 この子が実は自分は月から来たのだと言い出した時、何の抵抗もなく信じられたのは、きっとそのせい。


 でも、私は心を尽くしてきたわ。

 愛するあなたが連れてきた子だったから。

 一緒に過ごしているうちに、この子が見せてくれた、あの笑顔。楽しい時もたくさんあった。それは事実。

 実の子のように接してきたつもり。


 ……でも、ちょっと待って。私は彼女を本当に可愛がることができていたのかしら。そもそも実の子、とはなんなの。私は……、知らない。


 媼は、はっとした。


 月にはかぐやの実の親がいるのだ。


 彼女にとって、月に帰るのは、家に帰るも同じなのだ。


 そして、かぐやはいつから月の住人であるという自覚を持っていたのだろう。


 どの男の者にもならなかったかぐや。帝のお声がけさえ、断ってしまった。


(「もしかして……初めから……。私たち家族は……、すべて……すべて演技だったの?嘘だったというの?」)


 一瞬、媼の目から流れる涙の色が変わったように見えた。

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