第40話 その後 その1


 疲れ果てた俺がアスタルテの城塞へ戻ったのは五日後のことだった。とりあえず帰ってきたことを知らせるために、ミリアの執務継室を訪ねることにする。兄妹とはいえ、団長への帰還報告を怠るわけにはいかない。団員たちに示しがつかなくなるからな。というのは建前である。予定よりも帰ってくるのが遅くなってしまった。ミリアは心配性だから少しでも早く安心させてやりたかったのだ。

「イシュタル兄様!」

 俺の姿を認めたミリアが駆け寄り、その勢いのまま抱きついてきた。

「おいおい、大袈裟おおげさだな」

 室内に余人よじんはいなかったけど、他の騎士や従者に見られたら団長としてどうなんだ?

「だって!」

 ミリアはぷぅっと頬をふくらませた。その愛らしさに六歳のミリアが頭の中でよみがえる。

「兄様は明日か明後日には帰ってこられるとおっしゃったではないですか。それなのに三日経っても、四日経ってもお戻りにならないから、とても心配したのですよ」

「すまん、すまん。書類の改ざんに……ゲフンゲフン! 書類の手続きに時間がかかったんだ。だけど、これで俺は正式に聖百合十字騎士団付きの従軍神官になったぞ」

 関係各所の書類も全部書き換えてある。時間はかかったけど、不備はどこにもないはずだ。

「それはようございました。これでずっと一緒に居られますね」

 他に誰もいないせいか、今日のミリアはやけに甘えん坊だ。さっきから俺の腕にそっと手をかけたままである。それくらい不安な気持ちにさせてしまったのだろう。

「実は、遅くなったのにはもう一つ理由がある。これだ」

 俺はアクアマリンのように水色に輝く卵大のオーブをミリアに手渡した。

「なんと美しい……。清らかな聖水の結晶みたい……」

「おっ、少し当たっているぞ」

「当たっているとは?」

「これは元々『魔降臨のオーブ』という呪いのアイテムだったんだ」

「ええっ!?」

 びっくりしたミリアがオーブを落としそうになってしまう。

「安心しろ。俺がカクテルで作り替えてあるから心配はいらない。神殿の聖水に三日三晩浸しながら邪気を払い続けたんだ。その間にずっと魔力を送り込みながらな」

「ずいぶんとご苦労されたみたいですね。でも、作り替えるとはどういうことでしょうか?」

「これは一万人の生贄いけにえをささげて悪魔の力を身に宿すためのアイテムだったのだが、今では『デミテリアの奇跡』という秘宝になっている」

「デミテリア様? 治癒の女神さまですね」

「そうだ。表面に数字が書いてあるだろう?」

 ミリアは手の上のオーブをそっと確かめる。水色のオーブにはひときわ青く光る文字で10000の数字が浮き出ていた。

「この数字にはどういう意味があるのですか?」

 かつては生贄の数を現わしていた数字だが、もうそんな物騒ぶっそうなものではない。

「そのオーブを装着した状態で治癒魔法を使うと、その数字が減るんだ。あ、ただ使うだけじゃダメだぞ。ちゃんと治癒魔法で怪我人や病人を癒さないと意味がないからな」

「なるほど。それで、数字が減るとどうなるのでしょう?」

「最終的に0になると、治癒神デミテリアの加護が得られる。その力は……俺でもちょっとわからない。少なく見積もっても魔力は10倍、治癒魔法の効果も10倍くらいにはなるだろう」

「まあ! まさに秘宝と呼べるアイテムではないですか。それをイシュタル兄様が作っただなんて……」

 こんなことができるというのはミリア以外には教えたくない。力の誇示は不幸を呼ぶものだと俺は知っている。

「このことは他の人には内緒にしておいてくれよ」

「承知しました。誰にも話しません。私と兄様だけの秘密です」

 ミリアはデミテリアの奇跡を俺に返そうとしたが、俺はそのままミリアに握らせる。

「これはミリアが持っていてくれ」

「しかし、このような大それた秘宝を私が持っていてもよろしいのですか?」

「これはミリアのために作ったんだ。俺が持っていてもしょうがないだろう? そもそも俺は治癒魔法が使えないんだから」

「言われてみればそうでした」

 俺はデミテリアの奇跡を持つミリアの手を両手で握りしめた。

「13年間、兄らしいことは一つもしてやれなかった。これはその罪滅ぼしだと思ってくれ」

「そんな……。私だって兄様には何一つ……」

「ミリアがそこにいただけで俺は救われていたんだ……」

「兄様……」

 ミリアが俺の胸にそっと顔を埋め、俺はその肩を抱き寄せた。

 コンコン

 ノックの音に俺たちは慌てて体を離した。

「失礼します」

 入ってきたのはシシリア副官とフィッチャーだ。

「兄上様!」

「おお、お帰りが遅かったので心配いたしましたぞ!」

 二人は嬉しそうに俺のところへ詰め寄ってきた。こういうのも悪くない。命令書があろうとなかろうと、もう聖百合十字騎士団は俺にとっての帰る場所になっていたんだな……。

「ただいま、ちょうどさっき帰ってきたところだよ」

「騎士団のみんなにも顔を見せてやってください。みんな兄上様の帰りを心待ちにしていたんですよ」

 シシリアがニコニコと近況を教えてくれる。俺は気になることを尋ねた。

「そういえばリーンはどこにいますか?」

「リーン殿なら偵察に出てくれています。リーン殿のおかげで本当に助かっていますよ」

 リーンは斥候に破壊工作にと活躍しているそうだ。退魔師よりも軍人の方がむいているのか? リーンが向かった方向を聞いたので、俺も行ってみることにした。

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