沈む太陽の十倍の速さで走れメロス

@aiba_todome

沈む太陽の3倍の速さで村に帰れメロス

 メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、沈む太陽の1.5倍の速さで走れる村の牧人である。

 笛を吹き、沈む太陽の0.8倍の速さで走る羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。3日前メロスは村を出発し、野を越え山越え成層圏を越えて、約一光秒はなれた此のシラクスの市にやって来た。


 メロスには父も、母も無い。女房も無い。十六の、沈む太陽の0.9倍の速さで走れる内気な妹と二人暮しだ。この妹は、村の或る律気な沈む太陽の1.2倍の速さで走る一牧人を、近々、花婿として迎える事になっていた。

 結婚式も間近である。メロスはそれゆえ、花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。メロスには沈む太陽の1.5倍の速さで走る竹馬の友があった。セリヌンティウスである。今は此のシラクスの市で、石工をしている。その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。


 眼下には残照を残す月の地平線がある。その弧を描く筋を突き抜けて伸びる都の超大型移送路を歩いているうちに、メロスは、まちの様子を怪しく思った。

 ひっそりしている。まちの外に日光を散乱する大気は無く、沈む太陽の1倍の速度で沈む日は落ちている。暗いのは当りまえだが、夜のせいばかりで無く、市全体がやけに寂しい。


 のんきなメロスも、だんだん不安になって来た。路で逢った沈む太陽の0.9倍の速さで走る若い衆をつかまえて、何かあったのか、二年まえに此の市に来たときは、夜でも皆が沈む太陽の0.7倍の速さの歌をうたって、まちは賑やかであったはずだが、と質問した。若い衆は、首を振って答えなかった。

 しばらく沈む太陽の0.6倍の速さで歩いて0.4倍でよぼよぼ歩く老爺に逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。老爺は答えなかった。メロスは老爺の体を沈む太陽の1.1倍の速さでゆすぶって質問を重ねた。老爺は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。


「王様は、沈む太陽の7倍の速さで人を殺します」


「なぜ殺すのだ」


「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を持っては居りませぬ。」


「たくさんの人を殺したのか」


「はい、はじめは沈む太陽の3.1倍の速さの王様の妹婿さまを。それから、1.8倍の御自身のお世嗣を。それから、1.4倍の妹さまを。それから、1.6倍の妹さまの御子さまを。それから、1.6倍の皇后さまを。それから、4倍の賢臣のアレキス様を。」


「おどろいた。国王は乱心か。」


「いいえ、乱心ではございませぬ。沈む太陽の5倍も出せぬ人を、信ずる事が出来ぬ、というのです。きょうは、6倍の速さで六人殺されました。」


 聞いて、メロスは激怒した。「あきれた王だ。生かして置けぬ。」


 メロスは、単純な男であった。買い物を、背負ったままで、のそのそ沈む太陽の1.5倍の速さで王城にはいって行った。

 荘厳な宮殿の柱が竪琴たてごとの弦のごとくに震えた。メロスは牧人にしては速い方である。衝撃波で静まり返った空気を引き裂きながら、一条の弾丸となって走った。


 たちまち彼は、沈む太陽の3倍の速さの巡邏の警吏に捕縛された。しょせん2倍の壁も破れぬ平民である。あっという間に追いつかれ、調べられて、メロスの懐中からは短剣が出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。メロスは、沈む太陽の7倍の速さで走れる王の前に引き出された。


「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」


 沈む太陽の7倍もの速さで走ることができる暴君ディオニスは静かに、けれども威厳をもって問いつめた。その王の顔は蒼白で、眉間の皺は、刻み込まれたように深かった。


「市を暴君の手から救うのだ。」とメロスは悪びれずに答えた。


「おまえがか?」


王は、憫笑びんしょうした。


「仕方の無いやつじゃ。遅き者には、わしの孤独がわからぬ。」


「言うな!」とメロスは、いきり立って反駁はんばくした。


「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、民の忠誠をさえ疑って居られる。」


「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、あてにならない。人間は、もともと私慾のかたまりさ。信じては、ならぬ。」


 暴君は落着いて呟つぶやき、ほっと沈む太陽の3.5倍の速さの溜息をついた。メロスのそばにいた衛兵の肩鎧がえぐれ、血しぶきが蒸発する。


「わしだって、平和を望んでいるのだが。」


「なんの為の平和だ。自分の地位を守る為か。」こんどはメロスが嘲笑した。「罪の無い人を殺して、何が平和だ。」


「だまれ、下賤の者。」王は、さっと沈む太陽の4倍の速さで顔を挙げて報いた。真空が熟した果実のようにはじけ、延々立ち並ぶ列柱のしじまに木霊する。


「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、のろい只人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。磔になって重力圏から追放される時、泣いて詫びたって聞かぬぞ。」


「ああ、王は利口だ。うぬぼれているがよい。私は、ちゃんと死ぬる覚悟で居るのに。命乞いなど決してしない。ただ――」


と言いかけて、メロスは沈む太陽の1.4倍の速さで足もとに視線を落し、刹那1/1000000000000000000秒ためらい、「ただ、私に情をかけたいつもりなら、処刑までに三日間の日限を与えて下さい。たった一人の妹に、沈む太陽の1倍より速い亭主を持たせてやりたいのです。三日のうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ず、ここへ帰って来ます。」


「ばかな。」と暴君は、しわがれた声で低く笑った。彼でさえ、重力の助けを借り、丸一日かけてようやく地球に到達することができる。それをこの牧人は、たったの3日で行って帰ってこようというのだ。


「とんでもない嘘を言うわい。沈む太陽の1.5倍の逃がした小鳥が帰って来るというのか。」


「そうです。帰って来るのです。」メロスは必死で言い張った。


「私は約束を守ります。そんなに私を信じられないならば、この市にセリヌンティウスという沈む太陽の1.5倍の速さで走る石工がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が沈む太陽の1.5倍の速さで逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を殺して下さい。たのむ、そうして下さい。」


 それを聞いて王は、残虐な気持で、そっとほくそえんだ。生意気なことを言うわい。どうせ帰って来ないにきまっている。

 この嘘つきに騙れた振りして、放してやるのも面白い。そうして身代りの男を、三日目に殺してやるのも気味がいい。人は、これだから信じられぬと、わしは悲しい顔して、その身代りの男を太陽系追放刑に処してやるのだ。世の中の、正直者とかいう奴輩やつばらにうんと見せつけてやりたいものさ。


「願いを、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ。」


「なに、何をおっしゃる。」


「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ。」


 メロスは口惜しく、沈む太陽の1.7倍の速さで地団駄を踏んだ。あまりの速さに地に足が届かず、3ミリほど宙を浮いた。

 竹馬の友、セリヌンティウスは、深夜、沈む太陽の2.5倍の速さで王城に召された。暴君ディオニスの面前で、佳き友と佳き友は、二年ぶりで相逢うた。メロスは、友に一切の事情を語った。セリヌンティウスは無言で首肯うなずき、メロスをひしと抱きしめた。友と友の間は、それでよかった。

 メロスは、すぐに沈む太陽の1.5倍の速さで出発した。初夏、満天の星である。その星空を見下ろしながら、メロスは大地をさかしまに蹴ると、とてつもなく高い山の上にある、さらに言語を絶するほどの高さの城壁から、大気圏へ向け飛び降りた。

 徐々に強くなる地球の引力の助けを借りた、その速度は沈む太陽の3倍。白熱する肉体が昇華しないよう力を込め、メロスは流星となった。


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