竜宮之葉の独白①

 彼が無理をしていることには気づいていた。 


 けれど私は気づかないフリをしている。


 なんて悪い女の子なんだろう。 自分でもそう思う。


 でもだからといってそれを後悔する気もないの。 反省はたまにするけれど。


 だってそれが私なんだもの。


 どうしようもなく…。 うん、本当にどうしようもなく…ね。


 それに気づいたのは幼稚園の時だった。


 日曜の朝八時からやってる幼児向けの人気アニメ。 悪い魔法使いから地球を守るために頑張る魔法少女が主人公で、毎回悪役に捕まっては苦しめられる。


 きっと私と同じ年齢ならばみんな見ていたはずの人気だった。


 けれど私が好きなところはみんなとは違っていた。


 ほかの子達は主人公が頑張ってピンチを脱出したり、主人公のことが好きな男の子のキャラのことが好きだと言っていたけれど、私は主人公が悪役に苦しめられるのを見るのが好きだった。


 他の子と違う部分が好きだという異質なところに私は結構早くから気づいていて、同時にそれはあまり言ってはいけないことだとも理解していた。


 誰もが幼稚園から小学校、中学校と成長していくうちに見るものは変わってくる。


 それは人気のアイドルだったり、アーティストだったり。


 それでも私の本質はずっと変わらないでいた。


 まるで定められたかのように、生まれつき刻まれていたかのように…。


 あるいはそれが私の根源なのかもしれない。


 だからこそ私は『私』を隠していた。


 知っているのは親友の霧子と決して多くはない歴代の彼氏、そしていまの恋人の隆司君だけ。


 いや、はっきりと私の『好み』を伝えたのは異性では隆司君、ただ一人だけだ。


 今までの恋人はあくまで匂わせる程度で、お遊びのような内容でしかしたことない。


 だって私はどうしようもなく『私』だから、彼らはそこまで向き合ってはくれないことがすぐに理解できてしまう。


 当たり前だ。 愛し、愛されながらも苦痛を与えてほしいなんて。


 それはありえないことなのだから。 


 我ながら性質が悪いことにただ痛めつけられるだけなんて絶対に嫌なの。


 外れた感性の私とて人並みに愛されたい。

 

 そこに愛がなければそれはただの暴力なのだから。 


 霧子には『まるで沈みながら泳いでいるみたい…矛盾そのものね』と言われたことがある。


 それは本当に正しい。


 私は矛盾している。


 気づいてはいても是正することなんて出来ない。 


 それが私という『私』なのだ。

 

 だからこそ、すぐに関係は破綻してしまう。


 誰もが付き合い始めの頃は『私』を理解しようとはしてくれたけれど、それは私から見れば的外れで、ぬるくて、ガッカリしてしまうような行為ばかりだった。


「君が怖いんだ」


 何人目かの恋人にそれを言われたとき、もう期待をすることは止めようと決意した。


 私だって自分が怖い。 


 自分とは違う骨太で力強い腕、それに抱きしめられたいと同時にそれで殴られたいという衝動が跳ね返るように私の中に沸いてくる。


 殺されてしまうかも、死んでしまうかもしれない。 そんなギリギリの中に投げ出されたい願望。 


 でも同時に愛されたいという当たり前の感情もあるので、私は私を愛してくれて痛めつけてくれる矛盾した存在を求めている。


 だから霧子が呆れ半分で「夢見る少女」じゃないのよと笑う。 


「わかってるよ~、でもそれが理想の相手なんだもん」

 

 そう唇を尖らせてスネる私を彼女は優しく頭を撫でてくれた。 


 だから隆司君に告白されたときには「ああ、またか」といううんざりとした考えが正直あった。


 私の『私のどうしようもなさ』を知っている霧子は色々と牽制はしてくれたけど、それを掻い潜って熱心にアプローチする彼に半ば根負けしたのかもしれない。


 そして私もある意味根負けしたようなものだ。


 霧子は容赦が無い。


 冷徹に、冷静に、ピンポイントで冷たい一言をヒットさせても彼は多少はひるみはしてもすぐに立ち直ってまた私に声をかけてくる。


 そのあまりの献身ぶりにはうんざりを通り越して感心すらした。


 もしかしたら彼もまた私と同じタイプなのかもしれないと考えたこともあるけれど、結局はそれは誤解で、彼は彼なりの真心を持って私を好きになってくれた。

 

 ねじれた私の感性にそのまっすぐな心根はとてもまぶしくて…。 


 恋愛というものに半ば失望して、もはやそういうのを除外した性癖を満足させるためだけの関係でしか…。


 どうしようもない私はそうするしかないのかと思っていたところに彼は運命の人のように現れてくれた。


 この人なら…。 隆司君なら…。


 かつて少なくない数の失望すら…もしかしたらと思わせてくれた。


 ううん、それは幻想かもしれない。 この人もやはり今までの人と同じかも。


 期待すると同時に諦めにも似た感情がジットリと這い出てくる。


 だから私は彼から告白を受けたときに、正直に『私』を話した。

 

 彼は「大丈夫だよ」と不安を優しく溶かしてしまう笑顔で答えてくれた。 けれど私はまだそれを信じてはいなかった。


 私達が晴れて恋人となった瞬間。


 お互いに照れくさそうに笑ってはいたけれど、私の方はその表皮のすぐ下で「本当に?」と冷たくも硬い問いかけを隠していた。


 そしてその日、顔を真っ赤にして私を好きだと言ってくれた人に最初に言ったことは、まるで意地悪な試験官が試すような問いかけから始まる。


「それじゃ私のお腹を殴ってくれる?」


 そのときの彼の表情を今でも思い出す。 


 驚いて、全身を強張らせて、それでもまるで恐怖と戦うように…すぐに真面目な顔になって「わかったよ」と彼は言って。


 そして実際に行動してくれた。  


 そうされる度に鈍く重い痛みがズシンとお腹に走り、吐き気と涙が止まらない。


 唇から粘度の高い液体が漏れ出て、でも恥ずかしいからそれを必死でお口の中に留めながら彼を見上げると…。

 

 そこには泣きそうな顔。 まるで自分もそうされているかのように彼の顔は苦痛で満ち溢れていて、いまにも許しを請うような怯えた表情で。


 とたんに私の中に罪悪感がこみ上げる。


 なんてひどいことをしているんだろう。 


 させているのだろう。

 

 でもそれと同時に殴られた場所からポワンとした暖かい喜びがジンジンと全身に広がっていく喜びに笑みがこぼれてしまう。


 どれくらいの時間がたっただろう? 決して長くは無い。


 情けないことに私は彼の殴打に耐え切れず、身体を折り曲げて、顔を床に垂れて動けなくなっていた。 


 涙に溶けて混じったファンデーションの味が舌先に心地よく、我慢してきた胃液交じりの涎を床に溜めて、それに頬を浸している。


 もうお腹いっぱい。


 満足した私ははいつくばって視線を上げた先にいる彼を見つめる。


 その不快に満ちた表情で荒く息を吐く彼を見たときに私は今までに感じたことの無い幸せと安心感に打ちひしがれていた。


 ああ、きっと…ううん、絶対に。


 この瞬間に私は彼のことが大好きになったのだ。

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