平坂隆司の葛藤⑤

 霧子に相談をしてから数日がたつ。 


 同時に之葉と指折りの指切りをしてからも同じ日にちが立ったということだ。


 当日の待ち合わせに遅れないようにあらかじめ駅までの道のりを実際に歩いて確かめた。 


 デートの際に見る予定の映画の前売り券も買ってある。


 そして夕食を食べるためのお店のディナーの予約も入れた。


 誕生日プレゼントだって……。


 順調だ。 特段トラブルも無くあとは当日を迎えるだけなのだけれど……。


「はあ…どうしよう」


 あの約束を交わしてから何度もしたであろうため息がまた一つ漏れる。


 1DKの自室でテレビもつけず。 この春に引っ越したばかりでまだピカピカのフローリングの床を撫でながら僕は悩んでいた。


 なぜなら例の約束。 つまり誕生日プレゼントに之葉の指を折るという予定については結局撤回できていないからだ。


 霧子に相談する前から何度となくそれを止めようと試みたけれど、タイミング悪く之葉がバイトだったり、霧子がからかってきたりしていてどうすることもできなかったのだ。


 メールで言おうともしたけれど、なにかそういった大事なことをメールで済ませようとすることは格好悪いような気がしてそれも出来なかった。


 結局僕はどうしたかったのだろう?


 いや答えは決まっている。 彼女の指を折る? そんなことはできない…いや、したくないのだ。


 けれどもその度に之葉が熱っぽくどの指を折るのか凄く楽しみとか、とても待ち遠しいということをストレートに言ってくるので言い出すことが出来なかった。


 その期待を断ってしまえば、二人の関係が終わるような気がしてしまい、ビビッてしまったのだ。


 いやいやそんなはずはないじゃないか! と何度も否定するけれど、それを払拭することが出来ない。

 

 結局のところそれを言い訳にしてしまっている僕が居た。


 その日が近づくにつれて徐々に増えていくため息。 内部から崩れていくようにガラス製のテーブルに突っ伏す。

   

 それでも少し顔を上げ、ヒンヤリと硬いテーブルの上で左の薬指を右手で握りながら決して曲がらない方向へと押してみる。


 骨がきしむギシギシと言う音、神経と皮膚が引っ張られてピンと張りつめる感触。


 そのままゆっくりと力を入れていくと、


「痛ッ…!」

 

 指の根元から痺れにも似た痛みが走り、同時に本能的な恐怖で声が漏れて反射的に右手を離した。


 解放された薬指にはまだジンジンとした痛みとわずかな痺れ、そしていまだ誰かに強く握られているような熱い熱が…。


 自分自身でさえ怖くてしょうがないというのに彼女はこれを望んでいる。


 ふとあのときの之葉の表情が思い出された。


 子供がほしくてたまらない何かをねだるようなキラキラとした瞳と期待を込めたまなざし。


 同時にその大きな瞳の中には拒否されたら?というわずかな不安が滲んでいて…それが僕をどうしようもなく不安にさせてしまうのだ。


 もし。 もし…。 仮にだ。 僕が『そんなこと出来ないよ』と言い出したらどんな反応をするのだろう?


 きっと一瞬だけ顔を曇らせて、わずかに下を向いた後にまた僕が大好きなあの笑顔を浮かべて『うん、わかった』と明るく言ってくれるとは思う。


 けれどその内面には失望が生まれていることだろう。 


 『いままで私のことを理解してくれる人は居なかったの』

 

 いつかのベッドの上、僕の腕枕でまどろみながら発したその言葉はまっすぐに僕の胸へと入っていった。 


 その特殊な願望がゆえに、歴代の恋人とは別れることになったという彼女の告白はそれ自体が僕への強い戒めになったのだ。


 だからこそ努力した。 必死でどうすればいいのかを考えた。


 きっと普通の恋人同士だってそれくらいのことは悩むことだろうけれど、僕が感じた苦悩と努力は誰にも巻けることは無いと断言できる。


 彼女を愛している。 


 とても口には出せないであろう恥ずかしい想いが僕にはあり、それは収まるどころか日に日に強く燃え上がっていくのだ。


 だがこれは…。 これだけは…。

 

 僕はどちらの罪悪感を選び、そして耐えなければならないのだろう?


 その問いかけは決して外には漏れず、減ることも無く心の中でグルグルと循環してどこにも行けないまま。


 ずっといつだって僕の内部で蠢いている。

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