第1稿 悪魔の囁きと奇妙な男(5)

 七条君は「突然、何を分かり切ったことを言っているんだろう?」と言いたげな表情をしているが、冒頭での状況説明では言い忘れていた。

 「場面は推理小説研究会」と述べたが、もう少し具体的に言えば、京都の御所近くに拠点を構える大学の推理小説研究会の部室である。

 だが、説明し忘れたとはいえ、いくつかの手掛かりは示されていた。まず、七条君が俺の大好物のカールをコンビニで買ってきてくれるという部分。2017年からはカールは西日本以西でしか販売されていない。コンビニでカールが買えるというのは、この場所が関西地方にあるという証拠である。

 それに、俺たちの学年を示す際に「一年生、三年生」ではなく「一回生、三回生」という表現を用いた。実は関西地方では、大学の在籍年数を「回生」で表現するのがメジャーである。元々は京都大学に由来し、京大が卒業までに一定の科目を履修する「科目制」を採用したことが始まりらしい。これも、ここが関西地方である証明になる。

 他にも、七条君のいくつかの台詞から読み取ることができただろう。先程、七条君が事の顛末を語る場面で

「大学見学の人や観光客が……」

 と言っていた。そもそも、普通は大学に観光客が入ってくることなど珍しい。ましてや、一眼レフを持った人が敷地に入りなどしたら瞬く間に通報されてしまうだろう。しかし、この大学の周囲には観光地も多く、大学自体も歴史があり、校舎がレンガ造りでオシャレな雰囲気を醸し出している。それ故に、たまに観光客が観光ついでに見学や撮影に訪れる。通学で使うバスや電車でも多くの観光客を見慣れているので、咄嗟に観光客という言葉が出てしまうのは京都ならでは。

 また、最初の方に話した七条君の自己紹介での

「実家が老舗の料亭で、市内にあるので機会があれば食べに来てください」

 という台詞。この台詞に関して俺は嫌味な台詞と言ったが、京都に詳しくない人は家の自慢を嫌味と言ったのだと捉えてしまったかもしれない。しかし、京都だと少し意味が違ってくる。

 京都には京都カーストという、住んでいる場所によっては羨ましがられたり、逆に馬鹿にされたりといった選民思想のようなものが存在している。実は俺は宇治市に住んでいるのだが、それを自己紹介で述べた際に、彼は先の台詞を口にしたのだ。宇治市は洛外と呼ばれている地域で、京都市内に住んでいる人の中には「京都ちゃう」と認識している人もいる。七条君の実家は左京区の下鴨神社近くにあり、市内の中では中の上くらいの位置づけなのだが市内の老舗であることには違いないので、洛外に住んでいる俺に対してあのような台詞が出てくるというわけだ。

 「ここの人間なら古本市で……」という台詞もあったが、京都で古本と言えば「下鴨納涼古本まつり」という大規模な古本市である。下鴨神社近くの糺の森で毎年行われ、京都人が希少な古本を手に入れるためにドッと押し寄せる。七条君の実家の近くで行われるということもあるが、京都人が古本と聞けば真っ先にこのイベントを連想してしまう為、このような台詞が出てきてもおかしくはない。

 以上、この場所が京都であることの証明終了。

「でも、ここが京都であることと、男が大量の本を持ち歩いていたことと何の関係があるんですか?」

 七条君が首を傾げる。ここが京都だっていうヒントがあれば想像できそうなものだと思うが……。

「京都に来る旅行者が複数の本を持ち歩くといったら、アレしかないだろう」

 七条君はポンと手を打った。

「あぁ、そうか! ガイドブック!」

 その答えに俺は頷く。最近のガイドブックは一県一冊ということはない。京都だけでも複数の出版社が出しているし、同じ出版社でも女子層やシニア層など対象ターゲットを変えて名所スポットを紹介する為に、複数の京都ガイドブックを出版している。しかも、最近は文庫本サイズのガイドブックもあるらしく、二、三冊程度なら複数持ち歩くということも充分に考えられる。

「でも、先輩。確かにガイドブックを旅行者が持つことは考えられます。でも、十冊全部が京都のガイドブックっていうのは無理がありますよ。そんなに多くの情報を仕入れたって回り切れなきゃ意味ないです。それに、いくら文庫本タイプのガイドブックでも十冊もあれば、流石にかさばりますよ。そんな物、好き好んで持ち歩きますかね? 十冊必要だったとしても、電子版を買えば済むことじゃないですか?」

 七条君はまだ腑に落ちない顔をしている。そう、この点は俺も悩んだ。ガイドブックだとしても、好き好んで十冊も持ち歩くような人間がいるとは思えないし、そもそも、様々な場所を歩き回る旅行において、大量の荷物は邪魔にしかならない。しかし、

「発想の転換だよ。好きで持ち歩いているのではなく、どうしても持たざるを得ない状況にあるとしたら……」

「十冊のガイドブックを持ち京都中を歩き回れ。さもなきゃ爆破するぞって脅されたということですか?」

 七条君の咄嗟のボケに俺は椅子から滑り落ちてしまった。我が後輩ながら発想力が変な方向に向かっており、心配になってしまう。

「どうして、君は犯罪に話を持っていこうとするんだ! もっと現実的に考えなよ。例えば、沢山の本を持ち歩いて京都の名所を調べ上げ、写真を撮ることが必要な仕事だと考えればどうだ?」

「成る程! 仕事ですか。もしかして、カメラマンとか?」

 今度はまともな発想で安心した。だが、まだ甘い。

「カメラマンなら大量の本を用意する必要などない。スマホで画になりそうな場所を調べれば済むからね。しかし、男は大量のガイドブックを持ち歩いていた。それは名所の位置だけでなく、その場所はどんな所なのか、何が行われているのかを明確に知る必要があったからだ。それはに必要だったんだよ。つまり、男の正体は作家かドラマのシナリオライターだと予想できるね」

 これが俺の出した結論だ。作家であろうとシナリオライターであろうと現実世界を創作の舞台に使う場合、取材旅行を行うことは必然。そして京都はウチの大学の外観を含め、画になる名所が数多く存在する。これまでも、ドラマやアニメで京都を舞台にした作品が数多く世に出された。

「ちょっと待ってください。それは矛盾していませんか? 何処で何が行われているかの情報だってスマホで簡単に調べられますよ。それに先程も言いましたが、電子版で購入すればわざわざ重い本を運ぶ必要はないんですよ」

 いきなりの七条君の反論。だが、その程度では俺の論理は崩れない。

「いや、スマホの情報だとデマも多いし、検索の仕方によっては偏りが出る。その点、出版された本からの情報ならデマは無いし、偏った情報収集を避ける為に複数の本をわざわざ持ち歩いていたんだ。それにデジタルだと付箋を貼ったり、書き込みをすることができないじゃないか。作家やシナリオライターなら取材先で色々と書き込んだりするだろう。最近はメモもデジタルで出来るらしいけど、年配者であればペンで紙に書き込むというアナログな手法に慣れ親しんでいる人もいるからね」

 反論が見事に論破され、七条君の顔は悔しそうな表情になる。俺は得意げに推理を続けた。

「ちなみに作家かドラマのシナリオライターのどちらなのか。あくまで想像だが、俺はシナリオライター説を推すね。作家の多くはパソコンのワードで文章を書く。思い付いたあらすじや台詞などを忘れないように、すぐに残しておく必要があるからパソコンは常に持ち歩いている筈だ。だが、男は鞄が濡れた時、パソコンを気にする素振りはなかった。つまり、パソコンを普段から持ち歩かないドラマのシナリオライターだと考えられる。Q.E.D証明終了だ! どうだ、俺の推理は!」

 格好良くキマッたと思い、俺は胸を張る。目の前には尊敬の眼差しに満ちた後輩の姿が、と思いきや、その後輩は冷たい眼差しをこちらに向けていた。

「最後の最後でやらかしましたね。最近はスマホで小説を書く人もいますし、シナリオライターだってパソコンは使いますよ。それに職業に関係なく、ただ単にその時にパソコンを持ってなかっただけかもしれないじゃないですか。流石はN先輩! 肝心なところでアホなずっこけ方をしましたね!」

 確かに、我に返ってみれば最後の推理は強引だったかもしれない。だが、後輩にここまで言われれば引き下がれない。

「ほう? 後輩のくせに俺の推理にケチをつけるつもりか?」

「いや、ケチをつけるも何も。あくまで想像だがって先輩が言ってたじゃないですか」

 ぐっと言葉に詰まる俺。仕方ない。こうなりゃ自棄やけだ!

「よし! ならば賭けようじゃないか! 男が作家もしくはシナリオライターで取材に来たとなれば、近いうちに京都を舞台にした作品が公になるだろう。それがドラマか映画なら俺の勝ち。小説だった場合は七条君の勝ちだ。賭けの賞品は、負けた方が勝った方に四条で焼き肉を奢るというのはどうだ?」

 その言葉に後輩の冷たい眼差しが、一気に勝負師の熱い眼差しに変わる。ギラリと光ったその眼は、ネズミを狙う野良猫のようだ。

「分かりました。いいでしょう! 後悔しても知りませんよ」

 その挑発的な言葉に、俺も負けじと啖呵を切る。

「大丈夫だ! 推理の悪魔が『ここまで導き出したお前に間違いはない! 絶対にドラマか映画だ!』と囁いている!」

「また、先輩の悪魔の囁きですか。いつも、それで痛い目見てるのに! 本当に馬鹿な先輩ですね……。あっ!」

 突然、七条君は何かに驚いたように叫ぶ。目線は部室の時計に向いている。此奴が部室に来てから、かれこれ4時間が経っていた。

「先輩、明日までの原稿。大丈夫ですか?」

「……この野郎! お前のせいで間に合わねぇ! どう責任取ってくれるんだ!」

「すみません! カール買ってきますから許してください!」




 数週間後、俺と七条君は部室でのんびりとテレビを見ていた。

 あれから、原稿はギリギリで間に合った。嵐を何とか乗り切った俺は戦士の休息を楽しんでいる。

「あ、N先輩! 見てください!」

 突然、七条君が声を上げる。指を差している方を見ると、テレビでとあるCMが放送されていた。


「突如、にわか雨で鞄がびしょ濡れになった少女にハンカチを貸してくれたイケメン男子! ハンカチを返そうとするも、男は姿を消してしまう。手掛かりは彼が京都の何処かにいるという情報だけ! 彼にもう一度、会う為に少女は京都中を駆け巡る! 果たして少女はイケメン京男に再び会うことができるのか? 発売開始から二週間で累計80万部突破! 『京都を巡るハンカチと恋』は〇川文庫にて好評発売中!」


 そのCMを見て、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべ、勝者の後輩はこちらを向いた。俺は膝から崩れ落ち、拳を床に叩きつけた。

「畜生! 推理の悪魔め!」 


(第一稿 終幕)

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