第5話 美織、絶体絶命!(2)

[2]

 アレキサンダー君は「ふんふん」と鼻を地面につける様にして、河原町通りの人波の中を進みます。

 美織は、相変わらず「つーん」とした顔で歩いて行きます。

 一行は、それにいて通りを渡り、家並みに挟まれた高瀬川と木屋町通りを行き過ぎて、鴨川に架かった団栗橋(どんぐりばし)を渡って、再び、川の東岸に移動しました。

 鴨川の河原には、曇り空にも関わらず、そぞろ歩きの人たちが大勢いました。

 着物姿の人たちもいます。レンタルで着ている観光客もいるのでしょう。

 このごろは、襟や袖にレースを配した着物が人気で、川べりの散策路は、ヒラヒラした蝶々がいっぱい舞っているみたいです。

 川沿いのツツジは、そろそろ盛りを過ぎますが、川には、カルガモが群れをなしてにぎやかに泳いでいます。

 土手の上の川端通りを渡って川岸を離れ、家々の間を抜けて、建仁寺の裏手に出た時でした。

「きゃああ! 美織ちゃんやあ!!」

 華やかな声がして、祇園の小径の向こうから3人の振袖姿の舞妓さんが小走りで来ると、たちまち美織を取り囲んでしまいました。

「かわいいわあ!! 本物の美織ちゃん?」

 驚いてしまいます。

「へえ! あの‥‥、本物です」

 美織は答えました。

「どこへ行くのん? 犬のお散歩?」

「へえ。まあ‥‥」

 美織は、辺りをきょろきょろと見回しました。なぜだか、たった今まで隣にいた朋美の姿が見当たりません。石畳のきれいな小径の端で、佐久間君たち1年男子がおろおろしているばかりです。

「やっぱり、そう見えますなあ‥‥、はは、は」

 美織は、乾いた声で笑うと、先へ行きたがるアレキサンダー君を胸に抱き上げました。

「祇園で見るの、初めてやわあ!」

「いつも、お茶会や観光名所にいはるもんなあ」

 ネット動画ばかりで見ているとそう思われても仕方がありませんが、美織は介護ロボットです。

「そら、そうや。美織ちゃんは、京都の観光大使やもん」

「えええっ! そうやったんですか!?」

 美織も初耳です。

「そうや! 美織ちゃん、京都の案内するなら、舞妓になればええんよ!」

「え! え! 舞妓さんですか?」

 うろたえてしまいます。

「せやけど、美織、言葉が‥‥」

「そういや、美織ちゃんて、基本、標準語やなあ?」

「あかんよぉ、美織ちゃん。正しい日本語話さんと」

「すす、すんまへぇん!」

 美織は小さくなってしまいました。

「美織、滋賀の生まれやよって、京都言葉が話せへんのです」

 声まで小さくなります。

「あん! そんなん関係あらへん。この人なんか、島根の松江や」

と、年かさらしい舞妓さんが、一番小柄ではんなりした舞妓さんを示して言います。

「へ? 松江ですか?」

 美織が尋ねると、

「そうやぁ! うちは、松江生まれの舞妓どすぅ」

 松江生まれの舞妓さんは、おっとりと品を作って言いました。

「美織ちゃん、松江て知ってはる?」

「ええとぉ‥‥」

 美織は、あやふやに、今来た団栗橋の方を指差しました。

「あっちの方でしたか?」

「そうやあ! よう知っとるやなあい!!」

と、松江生まれの舞妓さんは、熱烈に美織をハグしました。

「せやから、この人の京言葉は、なんやのったりしとるんや」

「そぉんな事はあらへん!」

と、松江生まれの舞妓さんは肩をそびやかしました。

「あんたの京言葉は勉強して覚えた京言葉やから、分かり易うて聞きやすいって、お母さんに言われたもん」

「とにかく、そういう訳やから、美織ちゃん、滋賀なんて、全然大丈夫や」

「そ、そうですか? 美織、イケますか?」

 舞妓さん、イケるかも知れません。

「そうや! 美織ちゃん、フルーツパーラーで働けばええんよぉ!!」

 最初の舞妓さんが、両手の平を合わせて言いました。

「えええっ!? フルーツパーラーですか!?」

 話題についていけません。メイドさんみたいな服を着るのでしょうか?

 頭でイメージしてみます。

「ええ考えや! うちら、お座敷の後で必ず寄るんよ。そうしたら毎日会えるやん」

「そそ、そうですなあ」

 確かにそうかも知れませんが、

「けど、美織、そのお店で使おて頂けるかどうか‥‥」

「大丈夫! お店に話通しておくから。美織ちゃん、ラインのアカウント持ってはる?」

「ラ、ラインですか? 近江LANのアカウントは持っとるんですけど、ラインはぁ‥‥。あっ!」

 美織は、巾着から名刺入れを出して、3人に名刺を渡しました。

「ブログやっとりますから、よろしければこちらに」

「へえ! 美織ちゃん、ブログやっとるんやあ」

 実は、書いているのは近江工業の広報スタッフですが、それは社外秘です。

「うち、見たことあるよぉ!」

「え? そ、そうですか!?」

 失敗したかも知れません。見た事があるそうです。

「コメすると、必ず返事くれるんよねえ!」

「え? あは、あはは!」

 声が上ずります。美織は、実はほとんど見ていません。

「うちのこの間の書き込み、見てくれた?」

 美織は、きつく目をつぶりました。


 もはや、絶体絶命です!


「大変! もうこんな時間や!」

 腕時計を見て、一番きれいな舞妓さんが言い、他の舞妓さんたちもあわて出しました。

「うちらな、踊りのお稽古に行かなあかんのよぉ。時間に遅れたら、師匠(センセ)がこれや」

と、両手の人差し指で頭に角を作ってみせます。

「ほな、写真だけ撮ろう」

と、スマホを取り出し、美織を中心に3人固まると、

「ひの、ふの、みぃ!」

と言ってシャッターを切り、

「ほな、またなあ!」

と、3人の舞妓さんは、嵐の様に去って行きました。

 路上でふらふらしている美織に、背後から肩越しに、

「美織、あんた。舞妓さんにパワー負けしとって、どないすんやぁ?」

と、朋美が声を掛けると、

「と~も~み~さんかて~~~ぇ!」

 美織は、振り返りもせず、地の底からうなる様な低い声で言うと、キッと振り返り、

「どこに雲隠れしとったんですかあっ! 美織、壊れちゃうかと思ったやないですかぁっ!!」」

「いやあ、おもろなりそうやったんで、つい。うちがおったら邪魔やったやろう?」

 美織は、朋美をジトッと見ると、つんっと背を向けて、アレキサンダー君を足元に下ろして、再び歩き始めました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る