第3話 美織、フィールドに立つ

第3話 美織、フィールドに立つ(1)

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 5月です。

 京都東山の中村芳翠先生のお屋敷では、庭のツツジがにぎやかに咲き、木々が青々と若葉を伸ばしていました。


 近江工業株式会社の介護ロボット「ホームサポート」シリーズのモニタリング実証試験は、順調に進んでいました。

 ロボットたちは、どこの施設や病院でも、おおむね好評に受け入れられていました。

 しかし、モニタリング試験が進むにつれて、多くの不具合の報告も、ピークを迎えていました。

 特に多いのが、近江工業独自の「モノ・リレーション・ロジック」のバグに関するものでした。

 ロボット達が介護を担当するお年寄りや患者さんには、多くの家族がいます。「モノ・リレーション・ロジック」は、その呼び名から個人を特定するプログラムです。

 例えば、親子であれば、子は親を「お父さん、お母さん」と呼びます。孫と祖父祖母であれば「おじいさま、おばあさま」です。ところが、お年寄りの入所している施設を家族の方々を訪れると、しばしば、娘さんがその子供に、

「おばあさまにごあいさつなさい」

などと言います。また、それに対して、入所者のお年寄りが、

「お兄ちゃんは大きくなったねえ」

などと言います。

 この時、ロボットは、「おばあさま」というのが既に亡くなった先代ではなく、目の前にいる娘さんの「お母さん」であり、「お兄ちゃん」というのがよそに住む入所者のお兄さんではなく目の前にいる小学1年生の男の子である事を理解しなければなりません。

 さらに、入所者が孫に向かって「パパとママの言う事をよく聞くのですよ」と言うのを理解できないと、あるロボットは柱に頭をもたれかけて停止し、あるロボットはトイレに駆け込んで一人で肩を震わせるのでした。

 しかも、この「モノ・リレーション・ロジック」に不具合のある事がインターネットで広まるにつれて、そこを突いて来る悪質な攻撃が始まったのでした。

「じいさんの愛人の子が、おやじの土地を勝手に処分しやがってよ!」

などという難解な攻撃をロボットに執拗に仕掛けて来るのです。

 この様な、どうして良いのか分からない攻撃、略して「DoS攻撃」に対応するために、近江工業は、ロジックのバグを修正するシステム・アップデートを公開して、受け入れ先に配布していました。

 ところが、ある日には、そのアップデートが600件にも及ぶ事態になり、

「アップデートを当てるためにロボットを導入したんじゃない!」

と、ネットでは炎上が起こり、

「近江工業、リコールを申請・か?」

と、夕刊紙には誤報が踊り、その日、近江工業の株価は900円も下落したのでした。

 しかし、その翌日に、芳翠先生の介護ロボット美織が「醍醐寺で修学旅行の中学生をおもてなし」などという記事が京都新報の紙面に載り、ネットで動画が公開されると、株価は適正価格まで反発するのでした。

 近江工業の株価は、今や、美織の小さい肩に支えられているのでした。


 とはいうものの、その美織も、まったく問題がない訳ではありませんでした。

 美織の環境は恵まれていました。基本的に一人暮らしの芳翠先生のお屋敷では、芳翠先生は「先生」と呼ばれています。芳翠先生を「おばあさま」と呼ぶのは朋美たち外孫だけで、娘の綾美さん、和美さん、睦美さんは芳翠先生を「お母さん」と呼びます。

 システム・アップデートは美織にも当てられていましたが、緊急性は低いのでした。

 美織の問題は、ハードウェアにありました。

 最大の課題は、歩く足の遅さです。5月初めの改修で体のバランスは大幅に向上したものの、二足歩行の美織は、やはり、歩くのが遅いのでした。

 銀閣寺の庭園を、美織が、杖をついて歩く芳翠先生に付き添う動画がネットに上がると、再生回数はたちまち10万回に達します。

 でも、実は、芳翠先生が、美織に合わせて歩いているのでした。

「やれやれ、今日は疲れましたで」

 お屋敷に戻って、撮影スタッフも引き上げ、ほかに聞く人もいなくなると、芳翠先生は美織に言うのでした。

「そらまあ、どこかの施設で大勢のじいさん、ばあさんの間を動き回るには、大きな足で車輪で動く方がええのやろうなあ」

 お座敷に座った美織に、芳翠先生は言います。

「でも、ここは普通の日本家屋や。家の中には、段差もあれば敷居もあります。二階に上がるのにエレベータがある訳でもあらへん。あんたの足でのうては困ります。でもなあ、そこまで遅くっては、普通に困りますやろう? うちが徘徊(はいかい)でもしてみなはれ。あんた、ついて来られまへんえ?」

「徘徊‥‥、せんといて頂けると、美織も助かりますぅ」

 美織が小さな声で言うと、

「誰が、徘徊したくてすると思うとりますか?」

と、返って来ます。

「そらまあ、うちが元気な内はそれでもええやろ。でも、あんたかて、いつまでもこの家にいるとも限らへんやろう? 実証実験が終わったら、一旦は近江工業に戻りますのやろう? あんた、自分の将来を、どう考えてますのや?」

「そんな事、美織に言われましてもぉ‥‥」

 美織は、両手の指先をつつき合わせて、肩をすぼめるのでした。

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