第2話 美織スピードダッシュ(4)

[4]

 その翌日、学校を終えた朋美は、ママの言いつけで、芳翠先生の外出に同行していました。

 土曜日でした。近江工業のヘルパーさんが休みで、

「あんたでも、いた方がええやろ」

という事でした。

 朋美と美織は、京都駅前のホテルで人と待ち合わせる芳翠先生に付き添っていました。

 ラウンジのソファーに掛けて待っていると、やがて、チンと音がして、エレベータのドアが開きました。降りて来たのは、車椅子に乗った和服姿の女性と、付き添いの若い女性でした。

「暁子さん!」

 芳翠先生が、待ちかねていた様に立ち上がって、歩き出しました。

「清美さん」

 車椅子の女性が明るい声で応じました。清美というのは、芳翠先生の本名です。

「久し振りやあ! 思っとったより元気そうやないの」

「あなたも。変わらなくて」

 朋美も、美織を促して立ち上がりました。

「ご無沙汰しています。暁子おばさま」

 丁寧にあいさつをします。

「お久し振り。朋美ちゃん。きれいになって」

「お世辞や。この子は、まあ、冬でも真っ黒になるまで走り回って」

 お世辞でも照れます。暁子おばさまは、穏やかな笑顔を、朋美の傍らにいる美織にも向けています。

「おばあさまのお友達の島津暁子おばさまや」

 美織の耳元に告げると、美織も頭を下げてあいさつしました。

「お初にお目にかかります。島津様。美織と申します。よろしゅうお願い致します」

「初めまして、美織ちゃん。わたしの事は暁子と呼んで」

 暁子おばさまは、手を差し伸べて、美織の手を握りました。

「あなたの事は、テレビで見たわ。清美さんの新しいお弟子さんね?」

「弟子やあらしまへん」

 芳翠先生が苦い声で言います。

「孫や。ずうっとけったいな事ばかりやっとった娘が、やっと見せてくれた孫や」

 暁子おばさまは笑っています。

「孫やて」

 朋美は、美織の耳元にささやきました。

「ほんなら、返品は出来へんな?」



 島津暁子さんは、京都の九条家の生まれで、芳翠先生の高校の同級生でした。学校を卒業して、鹿児島の島津家に嫁いだのでした。

 数年前にご主人を亡くして、去年はご自身が心臓を患って、京都には久し振りの帰郷でした。

 付き添って来た孫娘の文子さんは、朋美より六つ歳上の大学生でした。

「で、今日はどちらに行かれるのえ?」

 ラウンジで、芳翠先生は尋ねました。暁子おばさまの膝には、花束が抱えられています。

「やっぱり、泉涌寺さんですか?」

「そうですなあ‥‥」

 暁子おばさまは、何やらはにかむ様に目を伏せました。

「やっぱり、わたし一人やと障りがありますからなあ」

「ふん。うちらは『だし』どすか? よろしいえ。今日は人に任せて来ましたから、お付きあいしましょ」

 車椅子の暁子おばさまのために介護用のタクシーが呼ばれました。膝が弱い芳翠先生も、外出時には杖をつきます。タクシーに皆で乗り込み、朋美たちは泉涌寺に移動しました。

 泉涌寺は、京都東山の古いお寺です。

 周囲にはいくつもの塔頭があり、そこここに墓地があります。

 週末の賑やかなお寺の脇を抜けて、朋美たちが訪れたのは、静かな墓地の一角でした。

 行きたいと希望したのは暁子おばさまでしたが、行き先を心得ていたのは芳翠先生でした。

 そこには「山本家」と彫られた立派な墓石があり、その傍らに「供養」とだけ彫られた小さな墓石がありました。

 裏に「山本健児」という俗名だけが彫られていました。朋美の知らない名です。

 生年は昭和19年とされていますから、芳翠先生や暁子おばさまとも近い世代でした。でも、没年は、昭和44年と彫られています。

 お墓にお水をあげて、周囲の草むしりをして、お線香をあげて、お花を供えます。そうして、墓前に額づく暁子おばさまと芳翠先生に合わせて、文子さんと朋美、それに美織も、お墓に手を合わせました。



 静かな時間の後、朋美たちは、塔頭のお茶室で一休みしました。

 それぞれに飲み物を頼んで、おばあさまと暁子おばさまは、共通の知り合いの消息について、話を始めます。

 幾人もの名前が出て、その中には朋美の知っている名前もありました。でも「山本健児」さんの名は出て来ません。

 仏様に関わる事です。口にするのもはばかられて黙っていると、ふと、文子さんが笑いかけているのに気づきました。

 おばあさまたちの会話が、途切れました。

「え、と‥‥」

 さりげなく、朋美は尋ねました。

「さっきのお墓は‥‥?」

 芳翠先生と暁子おばさまが、優しい目で朋美を見ます。

 やがて、おばあさまが、夢でも見るような目で言いました。

「素敵な方でしたなあ。そらあ、すらりと背が高うて、ハンサムで」

 えっ、と朋美は戸惑いました。

 暁子おばさまが、ぷっ、と吹き出しました。文子さんだけが、何もかも知っているような顔で笑っています。

 思わず、思いついた事を口にしてしまいました。

「もしかして、暁子おばさまとおばあさまって、恋のライバルやったん?」

「そうえ! なんやと思ってたんや?」

 今更何を言う、とでも言いたげな、芳翠先生の口調でした。

「うちのあこがれの人でしたん。なのに、この人ったら憎らしい、昔から、いっつも特等席で余裕しゃくしゃくでなあ」

 堪え切れずに、暁子おばさまがくすくすと笑い出しました。

「朋美さん、この人の法螺を信じてはいかんとよ」

 京都生まれの暁子おばさまの話し言葉に、時々、薩摩のなまりが混ざります。

「親が進めてただけの話です」

 朋美は、びっくりしてしまいました。

 今の今まで、二人は大の仲良しやと思っていたのです。

 いえ、おばあさまたちにそんな話があったというのが驚きでした。

 でも、そうすると、「山本健児」さんの没年が気になります。

 行儀をわきまえる気持ちと、ここまで聞いて触れないのが不自然な気持ちとが拮抗しました。

 朋美は、清水(きよみず)の舞台から飛び降りる事にしました。

「それで、健児さんは?」

 案の定、二人はしんみりと黙りました。

 やがて、おばあさまが言いました。

「色々あったんや、あの頃もな。ベトナムで戦争があったり」

 意味不明な事を言い出します。

「大阪で万博もありましたなあ」

 暁子おばさまもおっとりと言います。

「京都の大学でも、色々とあってなあ」

 そうして、二人は黙りました。

 静かな沈黙が流れました。そうして、暁子おばさまがぽつりと漏らしました。

「大切だったのでしょうね、あの人たちにとっては。でも、わたしは、生きていてもらいたかったなぁ」

 そうして、窓の外を振り返ります。

「わたしも、遠からず、あの人たちの所へ参ります。そうしたら、あの人は何と言うんやろう? つまらん女や言うのでしょうね」

「立派に生きたえって、大見得切ればよろしえ」

 おばあさまがばっさりと言います。

「お医者になろう言うてた方が、命を粗末にしてはあきまへん」

「そうですね」

 暁子おばさまが言います。

「わたし達も、もう、そんな説教くさい事を言うばあさまですものね」

「何を言います? ばあさまはあんただけやろ?」

 芳翠先生が言い返しました。

「うちは、まだまだ現役や」

「そういう事言う人が、一番嫌われますのえ」

 そう言って、暁子おばさまは、おかしそうに笑うのでした。

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