第9話 アルトとメディ

 宝石の散りばめられた義眼が俺を。グウェンの無機質な声とともに、その表面は不気味な光に覆われる。


語りなさいナラ

「……ぐっ!?」


 ドクンッ――


 耳全体を襲う大きな心臓の音とともに目の前が暗くなる。身体は強い衝撃を受けたように萎縮いしゅくし、血が凍ってしまったのかと思うくらいに寒い。


「……っ」


 なにも見えない。漆黒の闇のなか、感覚だけが失われていく。そしてそれに比例するように意識が研ぎ澄まされていく。この感覚を俺は知っている。いつぶりだろうか――死を見つめる感覚だ。


 刹那、いくつもの光景が目の前を過ぎて行った。


 ・・・


 深い森の中、木々の間から零れる光が、俺と目の前の男を照らしている。

 見覚えのある森だ……ナイトメアが俺に見せて来た森。


『お前は相変わらずだな、メディ』


 俺をメディと呼んだ男は、眉に掛かる前髪のせいで表情も年齢もよく分からない。無精髭のせいで少し老けて見えるが、実際は若いように見える。男は彫の深い顔に整然と配された黒い瞳でこちらを見つめている。敵対心などは微塵みじんも感じられない。なんとなく読みとれる感情は、どちらかといえば、家族や身内に対する慈しみに近そうだ。


 男は濃褐色の髪を軽く掻き上げて笑っている。


『たまには冒険しようじゃないか。キノコはロマンだぞ?』

『ロマンなものか、また毒キノコだったら今度こそアイツに怒られるぞ』


 俺はぶっきらぼうに続ける。


『どうでもいいが、お前が毒見係だからな? アルトリジオス』


 ・・・


 次の瞬間、場面は森の中を穏やかに流れる川に変わっていた。

 日が傾き、薄暗くなっていく空を見つめながら、メディ――俺が、一糸まとわぬ姿で全身を冷たい水に沈めている。


『いよいよか……』

『いよいよね』


 女の声とともに水の中から、にゅっと浅黒い肌が出て来て背後から俺に絡まる。


『……アルマ』

『ねえ、メディ。明日……誰が死んでも、私と生きてくれる?』


 甘く囁きながら、アルマと呼ばれた女の唇が俺のうなじ、背中に降って来る。小鳥が餌をついばむようでくすぐったい。


『……俺が死ぬっていう可能性は?』

『あるわけないでしょう。だって、アルトがいるもの。それに私も』


 アルマがスルッと水中を動き、俺の前面へと回り込んでくる。長い白髪が彼女の動きに合わせて水面をたゆたう。その間から目を引く褐色の肌が現れる。切れ長の目は、真っ直ぐに俺を見据えているが、エルフという彼女の種族の特徴である尖った耳は、微かに震えている。


『怯えているのか、アルマ』

『――魔王と戦うのが怖くない人なんているの?』

『それもそうだ』


 俺はアルマの頬に手を這わす。水面が飛沫を上げて静かに揺れる。慰め合う二人の姿を照らす月は今夜は出ていないようだ。


 ・・・


 パチ、パチッ――


 静寂に包まれた森に、木の爆ぜる音が鳴る。虫や動物の声も聞こえず、ただ揺らめく炎とだけ対峙しているように感じる。


 焚き火を囲んでいるのはアルトリジオス、アルマ、赤髪の美女に、小太りの小男。メディの姿はない。地面に膝をついてアルトリジオスが、じっくり焼けたウサギの肉をナイフで切り分けている。


『シャリーブは狩りの名手だな』

『罠の作り方さえ知っとりゃ誰にでもできるわい』


 シャリーブと呼ばれた小男が鼻を鳴らしながら言う。その鼻も、顔も目も丸くて、身長は低いが筋肉がしっかりついている。典型的なドワーフだ。


『調子に乗らないでよね、オッサン。アルトは誰彼かまわず褒めるんだから』


 アルマの言葉に、シャリーブはさらに大きく鼻を鳴らす。やりとりだ。赤髪の美女がその様子に堪えきれないというように笑う。


『あはははは』

『ちょっと、エリス。笑い過ぎ――まさかキノコ食べた?』

『ごめんごめん。食べてないわ』


 エリスと呼ばれた美女は涙を拭いながら続ける。


『解毒が必要になるものをわざわざ口にしたいなんて理解できないもの』

『やれやれ、君たちはロマンが足りないなあ』


 アルトリジオスがおおげさにため息を吐く。シャリーブは鼻を鳴らし、女子はふたりで顔を見合わせて笑っている。


 パチッ――と、木が爆ぜる。


 ・・・


 次の場面は、森の中ではなかった。

 冷たい石の上にアルトリジオスとエリスが重なるように倒れている。


『俺が死んだら弟を頼む』

『――アルト、やめて』

『アイツは俺よりよっぽど優秀だ。エンティアを国にして、よく治めてくれるだろう。そして、アルマはエルフの国を――シャリーブはきっと、よいドワーフの国を作ってくれる』

『私は……』

『新しい時代が来る。魔王が滅び、世界は混乱する。頼む――メディオラスを支えてやってくれ。新たな、人のレクスとして』


 それがアルトリジオスの最期の言葉だった。


「なるほど。あなたの正体が分かりましたよ」


 アルトリジオスとエリスを見ていたはずが、目の前にはいつのまにか白髪の女――グウェンが立っていた。義眼が俺の周りの光景を見るように鈍く光っている。


「おい、これはなんだ。お前は俺になにを見せている」

「これはあなたの肉体に刻まれた記憶です」

「俺の?」

「頭が忘れてしまったことも肉体は覚えているものですから。人というのは、死の際に今までのことを思い出すことがあるそうです。だから――あなたを死に最も近い場所へ追いやりました」

「……殺しはしなかったってことか」

「それだと記憶が見られませんし……彼女がそれを許さないでしょう」

「彼女――?」


 ボゥッ。


「っ……なんじゃこりゃ!?」


 言うが早いか、グウェンと俺の身体が青い炎に包まれる。熱くないが不思議と落ち着く炎だ。凍りついたなにもかもが溶けてゆく感覚とともに、俺は光のなか目を覚ました。

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