第1章 謎の美女! エリス=レンデル

第1話 美女とひざ枕

 空が青い。ここはどこだ、俺は誰だ?

 ――思い出せない。頭を打ってしまったのか……?


 俺は頭に手をやる。


 むにゅん。


 手に当たる感覚は、やわらかい。そして、ひんやり冷たくて気持ちいい。


 これは一体――!?


「おお、目覚めたか」

 顔を上げると、そこには空色の瞳の美女の顔が、息のかかりそうな距離にあった。慌てて上半身を起こそうとするが、身体がいうことをきかない。

「無理はせぬ方がよいな。どうやらお主は、強い呪いを受けたばかりのようだ」


 見た目と相反するジジイのような口調で美女は言った。すみれ色の長い髪。丸くて大きな瞳に、ちょこんとした鼻。ぷるんとした唇。肌は白く、空に透けそうだ。


「のろ……い、だって?」


 声がかすれて上手く出せない。何千年も声を出していなかったかのようだ。俺の声ではないように聞こえる。


 いや、そもそも俺の――声ってどんなんだった?


「思い出せぬか」

 美女は低い声でつぶやいた。悩まし気に覗き込んでくる瞳は、よく見ると深いあい色だ。空は空でも、夜空のように果てしない闇をいだいている。

「さもあらん。強い呪いを受けた直後はショックでそうなるものだ。まあ、私はならなかったがな」

 そう言って美女は豊満な胸を張る。


「えっと、お前、も? 呪いを受けているのか?」

「さよう」

 けろりと美女は答える。表情は動かない。


「いや、ちょっと待て。それでも俺が呪いを受けたという証拠はないぞ」


 なまりのように重い身体をどうにか起こす。


「ほう、もう起き上がれるか、さすがだな」

「……ここは……?」


 そして、ようやく青空と謎の美女以外を視界に入れることができた。

 そこにはどこまでも続く水平線があった。


「海……」


 つぶやく俺の手に砂がまとわりつく。俺が横たわっていたのは、砂浜だった。振り返ると美女は、砂浜に正座している。こげ茶色のマントを身にまとい、そこから、にゅいっと白い脚が伸びて行儀よくたたまれている。このやわらかそうなひざの上で俺は寝ていたらしい。


 まさか、先ほど俺の頭上で触れたのは、まさか。


 俺はマントの上からでも分かる美女の豊満なボディを見る。そして、先ほどの感覚を思い出すように再び自分の頭に手をやる。


 やわらかい……!?


 ぷにゅん。ぷにゅ……ぷにゅ。


「な、ぁあ? あ!?」

 思わず、得体の知れない何かを掴み、力の限り地面に叩きつける。


 それは不定形のモンスターだった。いわゆる――


「スライム……?」


 慌ててもう一度頭に手をやる。髪は、ある。短い髪。顔のパーツを確かめるようにゆっくり触れていく。眉毛、鼻、口。それから両手でしっかりと、肩、肘、腹、脚。よし、大丈夫。なんか知らんが、大丈夫。


「おお、おお。見事に錯乱しておるのう」

 謎の美女は俺の行動一つ一つを楽しそうに、実に楽しそうに眺めていた。


「おい! お前、何か知ってるんだろ? 教えてくれ、どうなってるんだ」

「お前ではない」

「は?」

「お前ではない、と言っておるのだ」


 美女は立ち上がって、脚についた砂を払った。立つとその長い脚がさらに強調される。黒い紐が丁寧に結ばれている臙脂えんじ色のロングブーツで、何度か砂浜を蹴る。

 どうやら、神経質なタイプのようだ。


 砂粒がすっかり落ちて満足した様子で、美女は改めて俺に向き直った。


「エリ――」

「うごぶぁっふ!?」


 美女が口を開いた瞬間であった。先ほど、俺が叩きつけたスライムが音もなく俺に襲い掛かってきたのだ。掴みどころのないどろどろの物質が俺の顔面にまとわりつく。


 しまった! このままじゃ……っ。


 口と鼻を塞がれ、どうにか引き剥がそうとするも、伸びるだけで先ほどのようにはいかない。もがけばもがくほど、息が苦しくなっていく。


 このままじゃ、死、ぬっ。


散れっデスパース


 意識が遠のきかけたその時、スライムは爆発したように俺の顔から散り散りに弾けとんだ。


「ぶはっぁ……ぜぇ、ぜぇ……」


 ようやく吸い込めた空気をたくさん取り入れようと、俯きながら肩で息をする。美女が近づいてきて、マントかなにかで俺の顔を拭いてくれる。


「あ、りがと……う」

 息も絶え絶えにお礼を言う。


「なに、お安いご用だ」


 頭上から聞こえる声がおかしい。口調は同じだが、妙に声が高い。俺は不思議に思って顔を上げる。


 そこに美女はいなかった。いたのは――


 菫色の長い髪。丸くて大きな深い藍色の瞳に、ちょこんとした鼻。自信に満ち溢れ角度をつけられた唇。空に透けそうな白い肌。焦げ茶色のマントに身を包み、そこから伸びている脚が臙脂色ので隠れた――美少女だった。


「エリス=レンデルだ」


 美少女は両手を腰にあてて、ない胸を張ってみせた。

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