第38話邂逅、そして会敵の朝✗38

「さあ、それでは始めよるとしようか。キルエリッチャ・ブレイブレド隊員。お前には倫理や道徳やそれ以前に、教え込まなければならないことがある。まず最初に、その自分の欲望と煩悩を最優先で実行してしまう五体に叩き込まなければならないことがある。その桃色の花畑が展開されている脳内に、刻み込まなけれならないことがある。先ほどの一件、お前のひと言で、私はそう確信した。それが何か解るか? キルエリッチャ・ブレイブレド隊員? いや、応える必要はない。何故なら答えは初めから聞いていない。お前には、そのようなものは求めていない。ふむ、ならば最初から訊くなというところが、お前の本音にして本心か? どうした? 違うのか? いや、違うまい。そのように鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしておいて、違うなどとは言えんだろう。しかし、お前がそのようなをするのは珍しいな。ああ、どうした? それほどまでに不可思議か? 何故こうまでも自分の思考が、相手に読まれてしまうのか。知りたいか? では教えてやろう。このようなことで部下を焦らして溜飲を下げるほど、私も落ちぶれてはいなからな。故にその答えは簡単にして簡潔だ。その解答は単純にして明快だ。キルエリッチャ・ブレイブレド隊員、お前はな、思考がすぐに顔にでるのだよ。いまもそうだ。お前の顔に配置されているパーツの全てが、お前の感情を形作っているぞ。うむ、それにしても見事だな。まさしく『驚愕』と題するしかない表情だ。切り取って額に入れて展示するか、そのまま教本に載せたいほどに、率直にして素直な感情の発露だな。まさにお手本と呼ぶに相応しい。うん、どうした? 今度はまたそのように、複雑そうに見えて実は根はシンプルな顔をして。そうだな。いまのお前の表情を題するならば、『困惑』といったところが妥当かな。しかしお前、そんな表情を浮かべるということは、真逆まさか、よもや、もしかして。ひょっとするとお前、自分がポーカーフェイスの無表情役だとでも思っていたのか? ああいや、何も言うな。お前の言いたいことは全て顔に書いてある。それはもうこの上なく解りやすく大書してある。まったく、お前の表情は本当に見ていて飽きないな。、見事と評するに値するぞ。それはいまも変わらない。『図星』から『否定』へと、表情が遷移していく過程に一切の無駄がない。まる清水が流れるが如く、ごく自然に感情を映し出し、その形へと移行している。お前の表情筋は、まるで熟練の職人のようだな。だが『否定』の表情を形作るということは、お前自身には何も意識も自覚もなかったということか。はてさて、それは少々問題だな。それも厄介な問題だ。知っての通り、我々は軍隊に所属し、軍務に服し、軍規に従う軍人だ。あまりこのような恩着せがましいことは言いたくないのだが、あえて言おう。キルエリッチャ・ブレイブレド隊員。お前の小学生の国語の問題よりも内心の変化が解りやい表情の変遷は、お前がこれからも軍に籍を置くつもりなら確実に不利益しかもたらさない。こんなことを言うのは柄ではないし、私が言えた道理ではないのだが、この小隊だからこそお前は許されているのだぞ。私が上官だからこそ、お前の心情に理解を示している。みんなが仲間だからこそ、お前の奇行を笑って流しているのだ。しかしこれがもし他の隊だったなら、こんなことは通用せん。お前が如何に能力が高く優秀であり、どれだけの己の有能性と有用性を立証しようとも歯牙にもかけてもらえない。いや、いまのお前が戦士としての素質と素養を示せば示すほど、うえはお前を煙たがり渋い顔をするだろう。お前に負けず劣らずな。そう、その顔だ。題するならば『倦怠』といったところか。それではどこも、誰も、私たち以外、お前を受け容れてはくれはしないだろう。それではお前の可能性を狭めてしまう。それはとても勿体ないことだ。いまはまだいい。。だがいつまでもずっと変わらず一生一緒という訳にもいかん。たとえ私を含め、みんながそれを望んでも、だ。いつか必ず独り立ちし、自分の足で己の人生を歩み出す日が必ず訪れる。それが軍人であろうと、まったく違う何物かであろうとだ。そのとき、お前のその癖? 性質? まあなんでもいいが、それがお前の未来の妨げとなるなど考えただけでやり切れん。憎まれっ子世にはばかるとはお前に当てはまる例えではないが、世渡り上手になれとも処世術に長けろとも言わん。だがせめて周囲との摩擦を最小限にする訓練くらいは、しておいて損はないぞ。そうして私を安心させてくれ、キルエリッチャ・ブレイブレド隊員。お前が私の元から巣立つとき、大手を振っておくりだせるようになってくれ。これはお前だけじゃない。私の小隊に所属する全員、みんなに対して望むことだ。それをお前にも望むことは酷なことだろうか。ふふ、どうやらそうでもないようだな。その表情は『許容』と『意欲』が等分といったところか。それなら私も安心だ。あまり私に心労をかけてくれるなよ。私はこう見えても小心なのだ。ん、なんだその顔は。もしかして『意外』とでも言いたいのか。まあ自己に対する認識など、自分と他人で違って当然だ。それはお前にしてもそうなのだぞ。というよりもお前がこの隊で最も自己に対する認識の乖離が激しいのだ。自分と他人、そのあいだでな。なんだその『絶句』とでも言わんばかりの表情は。お前、自分がクールキャラ担当だと思っているようだが、そう思っているのはこの隊でお前ただひとりだ。みんながお前をどう思っているかは、私の口から言えん。無論、私がお前をどう思っているかも言わん。それはお前自身が、自分自身で確かめなければならないことだ。詰まるところこれが私の一番最初に言いたかったこと。倫理や道徳以前の人間の基本。ひととしての基礎だ。うむ。ようやくこれで話が始められるな、キルエリッチャ・ブレイブレド隊員。よせよせ、そんないい顔をしてくれるな。そのように『承知』の見本のような顔をされてしまっては、自然と話に熱が入ってしまうではないか。いや、お前もそれを望んでいるのか。そうかそうか。その『漂白』された表情から何も読み取れんが、何だか知らんがとにかくよし! では、改めて始めるとしようか、キルエリッチャ・ブレイブレド隊員」

 ヴァルカ隊長、あなたのことは尊敬し、敬意の念を抱いています。

 いまのお話にしても、私のことを慮っておもんぱかってくださって涙がちょちょぎれてしまいそうです。

 いくつか本当に口で言いたいことはありますが、ここは黙って耐えましょう。

 けれど最後だけは違います。

 最後だけは解ります。

 私が最後に浮かべた顔は、「もうお願いですから勘弁してください」です。

 どうしてひとは、自分の一番の望みこそ叶わないものなのでしょうか。

 ああ、そうか。

 これが隊長の仰った、自分と他人、その認識の齟齬からくる悲しい運命さだめなのですね。

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