第3話

そういえば幼稚園に通うようになって、母さんから少しでも離れる時間が出来た事が、物凄く嬉しかった事をよく覚えている。

「おかあさーん」

と、泣いている友達を見て、何が悲しいんだろう?と不思議だった。

だって、嬉しいじゃん。一日中怒鳴られてひっぱたかれるより、ずっといいよ。給食もおいしいし、先生は優しいし、近所の子だけでなく、新しい友達も出来たし。

  幼稚園の入園テストは簡単だったよ。

 知らないおばさんが、ビー玉やらおはじきやら積み木やら、色々なおもちゃが入っている箱を前にあたしにこう言った。

「この中から赤いおはじきをみっつお父さんに持って行って」

 言われるままに、赤いおはじきをみっつ父さんに持って行く。父さんが何故か焦ったような、ほっとしたような顔で受け取ってくれた。

 おばさんの所へ戻ると今度はこう言われた。

「この中から四角い積み木をいつつお母さんに持って行って」

 また言われるままに四角い積み木をいつつ母さんへ持って行く。

 母さんも何故か慌てた顔で

「はい、ありがとう」

と言いながら受け取る。

 おばさんがまた言う。

「この中から黄色いビー玉をななつ持って行って、お父さんにふたつ、お母さんにいつつ渡して」

 またまた言われるままに黄色いビー玉をななつ選び出し、父さんにふたつ渡し、母さんにいつつ渡した。

  二人が同じ表情で同時に言う。

「はい、ありがとう」

 おばさんが言う。

「お父さんからビー玉をひとつ、お母さんから積み木をふたつもらってきて」

 また言われるままに父さんからビー玉をひとつ、母さんから積み木をふたつもらっておばさんに届ける。

 おばさんが満足そうに言う。

「うん」

 何だ、このおばさん。

  …後で知った事だが、何も知らずに行き、いきなり入園テストと言われた父さんと母さんはえらく焦ったそうだ。

「お前、教えたか?」 

「教えていない。どうしよう、マリ出来るかしら」

 そんな会話が交わされていたらしい。あははははは。心配御無用!

 あたしはあっさり受かり、晴れてその公立幼稚園に通うようになった訳だ。


 母さんはね、料理が極端に下手で、家で食べる食事をおいしいと思った事は一度もなかったよ。

 あたしにとって、初めて食べる「まともな食事」が幼稚園の給食だった。だから帰る時間が嫌だったさ。またあの家に戻るなんて、またまずい夕飯食べるなんて、ってね。       


  あたしは小さい頃、家で自分が何を食べていたか、覚えていないんだよ。普通、覚えているよね。けどあたしの場合、ほとんど記憶がないの。

  唯一覚えているのが、厚切りのハムに厚切りのパイナップルを乗せて焼いたおかず。甘くておかずにならなくて嫌いだった。

「おいしくない」

と言うと、母さんは間髪いれずにこう言ったよ。

「じゃあ自分でやればいいじゃない!」

  出来る訳ないじゃん、って思っていた。


 父さんもよく文句を言っていたよ。

「高野豆腐くらいまともに作れないのか」

とかね。

「まともな高野豆腐ってどんなの?」

って母さんが聞くと、説明する事が苦手な父さんは

「だから、世の中の高野豆腐だよ」

と、よく分からない答えを言っていた。世の中の高野豆腐って、どんなんだろうねえ。


 幼稚園の給食は色とりどりで、味付けもバランスもちょうど良かった。あたし、毎回おかわりしちゃったよ。おいしくておいしくて。

  先生も怒る事はなく、何かあっても「やった事を注意する」って感じで、お前は駄目な子だとか、まして死んだものと思っているなんて否定するような事は一度も言われなかった。だからあたし全然傷ついたりしなかったよ。次からはこういう事をしなければいいんだなとか、こうすればいいんだなって理解できたしね。

 友達も

「マリちゃん、遊ぼ」

って言ってくれて嬉しかった。

  あたしが初めて出会った「楽しい時間」が幼稚園で過ごすひとときだったよ。

家族で出かけたって、車に酔うか、喧嘩を見るかでちっとも楽しくなかったしね。

  あたしは幼稚園が大好きだった。

 そうそう、プロポーズしてくれた男の子もいたよ。トモくんって子。

「ボク、大きくなったらマリちゃんと結婚する!」

と、みんなの前で恥ずかしげもなく宣言してくれた。

 ノリくんが言う。

「お前、マリちゃんより背が小さいじゃないか!」

  トモくんが自信満々で答えてくれた。

「大人になったら男の方が大きくなるんだ」

 嬉しかったよ。

 ああトモくん、早く大人になってあたしを迎えに来て。


 幼稚園が休みの前の日、必ず上履きを持ち帰る。他の子はみんな、上履きをお母さんに洗ってもらっている様子だったが、うちは必ず自分で洗う決まりだった。

 汚れた上履きをバケツに入れ、洗剤を振りかけてたわしでこする。汚れがどんどん浮き出てくる。それをきれいになるまで洗い、すすぎ、ベランダに干す。

  ただ素手で洗うので毎回手が乾燥して嫌だった。あたしは幼稚園児ながら手が荒れていた。

 母さんが言う。

「あんた、子どものくせに手が荒れているわね。きっと苦労する人生ね」

 …苦労する人生なら生きたくないよ。


 うちは家の中では冬でも裸足で過ごすのが決まりだった。

「その方が足が丈夫になるから」

というのが母さんの言い分だった。

 だがあたしは何となく、靴下が早く傷むからなるべく履かせたくないと思っているのが分かっていた。その靴下も、穴があいたら自分で縫う決まりだった。

  春や夏になると、幼稚園でもあたしは裸足に上履きを履いて過ごした。他の子はみんな夏でも靴下を履かせてもらっているというのに…。

「マリちゃんってどうしていつも裸足なの?」

と友達に聞かれ、返事のしようがなくて困っていた。

  男の子にも

「やーい、裸足だ、貧乏だ」

とからかわれるし。

 迎えに来た母さんに思い切って言ったよ。

「母さん、みんな夏でも靴下履いているよ」

  あたしもそうしたい、という思いを込めて言ったのだが、母さんは高らかに即答する。

「よそはよそ。うちはそういう方針なのよ」

 どんな方針だい?靴下方針かい?

 困り果て、黙るあたし。

 満足そうな母さん。

 本当は靴下を節約したいだけじゃないの?娘の足より、靴下が傷むのが嫌かねえ。

 それでいてあたしがほんの少しでもみんなと違う事をするとこう言った。

「あんた、何でみんなと同じようにしないの?」

 …それは違った育ち方をしているからだよ。ところで、よそはよそ、じゃないのかい?

 七夕の短冊にこんなお願い事を書いた。

「くつしたがほしい」

 …夢がないねえ。


 もうすぐクリスマス。

「今年はサンタさんに何をお願いするの?」

 母さんの問いに即答した。

「靴下をたくさん下さいって言う」

  …叶うといいねえ。ところで、もうサンタさんは断るんじゃなかったのかい?


 その頃、姉ちゃんが歯の矯正と目の矯正をするようになったよ。姉ちゃんがニッと笑うたびに、ずらっと壮観なまでに矯正された歯が登場し、不気味だったさ。子どものくせに牛乳瓶の底みたいな分厚い眼鏡かけちゃってるし。それぞれの矯正に金がかかり、我が家はますます逼迫していった。

 …あたしも幼稚園の視力検査や歯の検査で、目と歯の矯正が必要という結果は出ていた。

 その頃あたしは「下の歯が前で上の歯が後ろ」になっていたんだ。友達にからかわれて初めて上の歯が前ってーのが正しいんだって事に気づき、そこだけは無理矢理自分で直したけど歯並びがガチャガチャなのは、どうしようもなかったし、右目はよく見えるけど塞いで左目だけで見ようとすると、あんまり見えないって事にも気づいたさ。

 幼稚園の担任の先生が

「マリちゃんも矯正した方が良いですよ」

と母さんに話しているのを聞いたけど、父さんも母さんも姉ちゃんは大事だけど、あたしはどうでもいいらしく、決してあたしの目も歯も矯正しようとしなかったよ。

「いいよ、マリは」

って一言で済まされちゃったしね。

  …まあね、あたしは「死んだもの」なんだから、矯正なんかしたってしょうがないんだろうしね。


  母さんは父さんが大嫌いだったから、父さん似のあたしが嫌だったんだろうな。

「マリ、あんたは小さいうちに死んだものと思っているからね」

というのは、ほぼ毎日言われていたけど、もうひとつよく言われたのが

「あたしの人生の最大の失敗は、父さんと結婚した事と、父さんそっくりのあんたを生んだ事よ」

という暴言だった。母さんは暴言とさえ思っていないみたいだったけど。

 どっちも返事のしようがなかったよ。聞こえないふりをして黙っていると、母さんも言った気がしなかったんだろうね。おんなじ事、何回も何回も言われたよ。

  あーあー、はいはい。生まれてきちゃって悪かったですね。すいませんね!なるべく早く死にますからもう言わないでよ!あたしは心の中でいつも叫んでいた。

 そして母さんは自分にそっくりで、尚且つ取り入るのがうまい姉ちゃんを、あたしの前でこれ見よがしに可愛がり、こう言った。

「悔しかったらあんたもいい子になりなさい。そうすれば可愛がってあげるから」

  あたしはただ黙って見ていたよ。張り裂けそうな心を持てあましながらね。

 こっちは

「悔しかったら良い母親になりな。そうすれば懐いてあげるから」

なんて言わないのにさ。

 それでいて機嫌良い時には、こんな事を言ってた。

「あんたがあたしのお腹にいる時に、夢を見たのよ。神様が出てきて、その子は男の子だって言ったの。立派な大人になるって言われたのよ。だからあたし、あんたは男の子だとばっかり思っていたんだけどさ」

 …すいませんねえ。女の子で、しかも立派じゃなくて。


 父さんはね、日本人なら誰でも知っている大手の航空会社に勤めていた。

 JELだか何か知らないけど、名前さえ言えば、みんながみんな、「へえ」と感心するような大企業だった。

 父さんの父さん、つまりあたしからするとじいちゃんが勤めていて、父さんの11人もいるきょうだい(昔は生めよ、増やせよで、どこも大家族が当たり前だったのさ)のほぼ全員がJEL社員だった(結婚した伯母さんたちは専業主婦になっていたが)。

 伯父さんは初代のパイロット、伯母さんは初代のスチュワーデス、別の叔母さんは日本初のタイピスト、もうひとりの叔母さんも重役秘書、叔父さんも機長。みんなコネ入社。そして航空会社一家って訳。ぱっと見は、華麗なる一族ってーの?

 そして母さんは自宅で造花教室を開いていた。姉ちゃんとあたしを産んでから、多忙の合間を縫うように勉強を始め、学び続け、資格を取り、師範にまでなった。何のコネもツテもなく、ただ努力するだけで頂点へ登りつめていった母さんには、壮絶なサクセスストーリーと、努力すれば必ず夢は叶う、という自信やら自負やらがなみなみと溢れていた。

 はいはい、立派だね。その前にあたしを殴ったり、否定したり、罵詈雑言浴びせるのをやめてくれないかね。我が家は綺麗なお花も溢れていたけど、汚い暴力も所狭しと溢れていたよ。


 ただね、大企業ったって薄給じゃしょうがないんだよ。母さんはいつもお金がない、お金がないって怒っていたよ。

  だったら姉ちゃんやあたしに習い事させなきゃいいのにさ。バレエだ、ピアノだ、オルガンだ、水泳だ、そろばんだって習い事ばかり。しかも全部母さんの意思で決められて、あたしの意思なんてひとつも通らなかったよ。どれもこれもやりたかねーよ。

「高い月謝払ってやっているのに、あんたはちっとも上達しないし一生懸命やろうともしない。勿体ないったらありゃしない!」

って怒られるばかりで、なんにも面白くなかったよ。

  姉ちゃんはバレエやピアノの発表会に出て活躍して、みんなに褒められてご満悦状態だったけど、あたしはまるきり上達しないから、発表会も何も出た事なんて1回もなかったさ。怒られる回数が増えるばかりで全然楽しくなかった。

  しかもその授業料がかさむとか言って、別の所にしわよせ来るし。


 あたしは小さい頃、身に着けるものは全部姉ちゃんのお下がりばかりだった。いつなんどきも、あたしは姉ちゃんの小さい頃に着ていたものを着せられていた。

 靴下だけは、姉ちゃんもボロボロになるまで履きつぶしていたから買ってくれたけど(すげー嬉しかったよ)、それ以外は全部お下がりだった。

  そこまではどこの家庭でも当たり前だが、母さんは家に来客があるたびに

「これ、上の子のお下がりなの。お下がりなの」

と、まるで言い訳するかのように連発していた。

 あまりに繰り返して言うのにたまりかね、反論ほど不得意な事のないあたしが思い切って言った事がある。

「ねえ、お下がり、お下がりって言うのをやめて」

 母さんは平気で言った。

「だってお下がりだもん。本当の事言って何が悪いの?」

「でも嫌だ。お下がり、お下がりって言われるの、嫌だ」

 母さんに気持ちを分かって欲しかった。お下がりを着せられるのが嫌なのではなく、そう言われるとあたし自身を「ついで、おまけ」と言われているようで嫌なのだという事を。

 母さんはそれからも得意気に、お下がりと言い続けた。

 お下がりは洋服や靴だけではなかった。


 あたしが小学校に上がる時の事だ。

  姉ちゃんは、もうランドセルを使わなくなっていた。学校で手提げ袋が流行っていて、それに教科書を入れて通学していたのだ。

 母さんは姉ちゃんのランドセルを手に取り

「まだきれいだもの。勿体ないわよねえ」

と、それこそ言い訳するように連発し、あたしにしょわせた。

 古いランドセルをしょわされたあたしは、学校で来る日も来る日もいじめられ、泣きながら家に帰る、惨めな小学校生活をスタートさせる事になる。

「どうしてランドセル古いの?どうして古いの?」

と、友達みんなに聞かれ、返事のしようがなかったのだ。それもみんながみんな、掻き分けるようにして聞いてくるんだよ。

「どうして古いの?どうして?どうして?」

って。

 あまりにいじめが激しく、担任の先生にまで

「新しいランドセルを買ってあげたらどうですか」

と言われた母さんが、しぶしぶ新しいものを買ったのは、あたしが2年生になる時だった。

  ちょうどその頃、父さんの転勤に伴い、あたしたちは福岡から大阪へ移り住む事になっていた。母さんとしては心機一転、学校も新しくなるし、ちょうどいいと思ったのだろう。  

 …だが新しい学校でも、あたしはスタートからみんなにいじめられる事になる。だってみんなが程々に使い込んだ中に、ひとりだけ新品のランドセルをしょっているんだもん。

「どうしてランドセル新しいの?どうして新しいの?」

と、クラス中の子に聞かれる羽目になっちまった。その時もみんながみんな、掻き分けるようにしてあたしに詰め寄って来たよ。

 まったく違う学校で、まったく違う友達なのに、まったく同じ光景を見る羽目になっちまった。

「どうして新しいの?どうして?どうして????」

って。

 それも返事のしようがなく、新しい学校でもいじめられ、あたしはいつも鼻を垂らして泣いていた。

 もういじめられたくない一心で、新しいランドセルを何とか古くしようと、叩いたり蹴ったりして傷を付けた。

「やめなさい!勿体ない!」

 母さんはわめいたけど、このランドセルがあたしを不幸にしていると思うとやめられなかった。

  他の子と少しでも違っていると浮いてしまう、いじめられてしまう、母さんはそれが分からなかった。自分だけが正しいと主張を譲らなかった。

  あたしは新しいランドセルを1ヶ月も使わなかった。もういじめられるのも、からかわれるのもたくさんだったからね。

  母さんがさんざん

「勿体ない!せっかく買ってやったのに!」

と言ったが、手提げ袋に教科書を入れて登校した。

  母さんは、適切なタイミングで適切な事をしてくれない人だった。


  また、あたしは自分では分からなかったが「福岡訛り」があり、人と会話している時に話が通じない事が多々あった。

 友達にも

「あんた、ナニジン?」

ってよく言われたよ。

 それもいじめに拍車をかけ、道を歩いていて

「やーい、ガイジーン!」

と男の子に囃し立てられたりもした。言われても困ったさ。訛ってるってー認識ねーっつーの!!


  更にその学校で、悲惨な思い出がある。授業中に失禁しちゃった事。しかも「でっかい」方。

 なんで漏らしちゃったのか、なんて分からない。聞かれたって答えられない。ただどうしても我慢出来なくて、先生に手を上げてトイレ行っても良いですか?って言えなくて、漏らしちゃったんだ。

 ニオイで、みんなすぐ気付いたよ。犯人があたしって事にもね。臭い、臭いって騒ぐみんな。どうしようもないあたし。

  やっと来た休み時間。トイレに駆け込み、漏らしたものを懸命に処理しようとするがしきれない。どうしよう、どうしよう、先生に言おうか、でも先生だって困るだろう。ああ、言えない。

 給食の時間、周りの子はみんなあたしを、これ以上避けられないってくらい避けながら食べている。あたしも、自分は臭いから悪いなって思いながら避けて食べる。

 消えちまいたいくらい居たたまれない1日が終わり、やっと下校時間。気持ち悪さを堪えながら家に帰った。

 風呂場で汚した下着やズボンを洗いながら、ようやくほっとする。ああ、明日は臭い臭いと言われなくて済む。

 そこへ母さんがやってきた。

「あんた、何してんの?」

 しぶしぶ訳を話したよ。

 そうしたら

「あんたには呆れるわ、小学生にもなっておかしいよ!」

と、また罵倒された。

 誰よりそう思っているのはあたしなのに、尚更惨めになった。

 そしてさも汚なそうに、風呂場の床に洗剤をバンバン撒き散らし、タワシでガリガリ擦る。

「ここにウンチがいっぱい付いているに違いない!」

とか言いながら。途中で嫌になったらしく、タワシを放り出して言う。

「あんたがやりなさいよ!自分の撒いた種、自分で刈り取りなさい!」

  仕方なく自分で風呂の床を掃除し始めたらこう言う。

「あんた、パンツ脱いでごらん」

 あたしだってもう大きいのに、そんな事したくないよ。困り果て、首を横に振る。

「いいから脱ぎなさい!お尻見せてごらん!!」

 どうしても、どうしても嫌で、首を横に振り続ける。ケツ見てどうすんだよ。

「あんた、どっかおかしいんじゃないの?」

 そのセリフなら、ウンチを漏らす前から何回も聞いてるよ。

  そして風呂掃除をし続けるあたしに向かって、ひとさし指を立てた手を突きつける。

「あんた、これ何本?」

  何でそんな事するんだろう。

「これは?」

  今度は4本立ててみせる。

「じゃあこれは?」

  次は2本だ。ピースサインかよ。

「これは?」

  お次は5本だ。平手で殴られるのかと思った。

「これは?」

  次はグーだ。拳で殴られるのかいな?

「じゃあこれは?」

 3本指が立っている。茫然とするしかない。

「なに、あんた、数も分からないの?」

  母さんが、気が狂いそうに苛立っているのが分かる。

「あんた、おしまいよ、おしまい!おしまい!おしまい!」

 その夜、帰ってきた父さんに母さんが、あたしが学校でウンチを漏らした事を言った。

  父さんがあたしをちらりと見て、大きな大きなため息をつく。酷い口臭がした。

「こいつはキチガイ病院行きだな」

 ああ、授業中にウンチを漏らしたらキチガイなんだ。


 そして翌日から、学校であたしのあだ名は「ウンチ」になった。

 男子も女子もみんなあたしを避け

「臭いからあっち行け」

「ウンチが通るよ!」

と来る日も来る日も罵倒された。

 ランドセルが原因のいじめの時とは違う、みんながみんな異物を見る目に耐えられなかった。


 当時、時々姉ちゃんが休み時間になると、あたしの教室に来てくれたよ。休み時間は苦痛だったからね。助かった、そう思いながら嬉しそうに廊下に出たもんさ。

 廊下で姉ちゃんとあたしは、ただ黙ってにこにこしていた。何も話さなくても、あたしが姉ちゃんを待っていた事は分かったんだろう。姉ちゃん来てくれないかなと思っていたよ、と顔に書いてあったんだろう。そう、その頃までは姉ちゃんも時々はあたしに優しかったよ。時々、はね。

  だがその後、姉ちゃんは勉強もできず、学校ではいじめられ、家でも親に怒られてばかりいるあたしを見下すようになる。賢い姉ちゃんはあたしをかばうより、母さん側について弱いあたしをいじめる方が楽になっちまった訳だ。

  それはそれは恐ろしかったよ。姉ちゃんにまでぐいっと踏み付けられ、あたしはいよいよひとりぼっちになっちまったんだから。


 台所にいる母さんに姉ちゃんが言う。

「母さんマリなんてね。今日教室行ったら、先生の話を手提げに顎乗せて聞いてるんだよ」

だの

「母さんマリなんてね。今日体操服忘れて、洋服で体育の時間やっていたんだよ」

だの、しょっちゅうチクッてやがった。

  そのたびに母さんがあたしの所に来て言うんだよ。

「マリ、あんた先生の話を手提げに顎乗せて聞いていたんだって?」

「マリ、あんたまた忘れ物したんだって?」

それを聞いた父さんが言った。

「そこまで忘れ物するなんて、こいつどっかおかしいんだよ。ナントカ言う病気だよ。医者に診せろよ」

 母さんがその言葉を真に受け、あたしをあちこちの医者やら宗教団体のオエライさんの所に連れていく事になる。


 母さんが言う。

「マリ、今日もあんたを病院に連れて行くからね」

 黙って付いていくしかない、小学校2年生のあたし。

 忙しくて持ち物チェックする時間は惜しくても、医者や宗教団体に行く時間は惜しまない、おかしな母さん。


 順番が来て、医者の前に母さんとあたしが座る。

「どうしました?」

 医者がにこやかに尋ねる。

 母さんが、まずは普通の大きさの声でこう言う。

「この子は忘れ物をするんです」

 次にあたしをチラ見して、気遣っているような素振りをしながら身を乗り出し「囁いて」みせる。

「どっかおかしいんじゃないんでしょうか?」

 どの医者も看護婦も宗教のオエライさんも、びっくりして母さんとあたしの顔を交互に見ていたよ。今の言葉、絶対にこの子に聞こえただろう。そう顔に書いてあった。

 そして医者や宗教のオエライ先生は、必ずあたしに憐れむような眼を向けた。囁いたってあたしは隣にいるんだもん。そりゃ聞こえるよ。丸聞こえだよ。あたしに聞かせたくないなら、紙に書いて渡すとかすりゃいいのに。

 その後、医者や宗教の先生が何事かを話し始める。内容はさっぱり分からない。

  時々「ああ、可哀想に」という目でちらちらとあたしを見る。あたしにはその視線にも耐えられなかった。

「どっかおかしいんじゃないんでしょうか?」

 その言葉だけが頭にこびり付いていた。

 待合室でお会計の順番待っている時、看護婦に

「お母さん好き?」

って聞かれた事もあるし。答えられずに黙っちまったよ。そんな意地の悪い事聞かないでくれよ、意地悪で聞いてるんじゃないんだろうけど。何でそんな事聞くかなあ。真意分かんねー。


 それは1回や2回じゃなかったよ。

  ある時、どこの医者だったか忘れちまったが、いつものように相談に行った時の事。

 順番が来る。診察室に入る。椅子に座る。もう慣れっこだ。

  ただひとつ違ったのは、その時にあたしが持っていた手提げを母さんに

「そっちに置きなさいよ」

と言われ、椅子の脇に置いた事だった。

「どうしましたか?」

何も知らない医者がにこやかに言う。母さんが

「この子は忘れ物をするんです」

と、普通の大きさの声で言う。

  次にあたしをチラ見してから身を乗り出し

「どっかおかしいんじゃないんでしょうか?」

と、小声で囁く。

 それを聞き、いつものように相手のびっくり仰天した顔を見て、母さんって同じ事を何回繰り返せば気が済むんだろうと頭の中でぼんやりと考えていた。

  どの医者も、機械を使うとかしてあたしの頭の中を見ようともしないし、宗教のおエライさんも念を送るとかしないじゃん。無駄な事するなよ。

 その医者も、憐れむような眼差しをちらちらとあたしに向けながら、何事か話している。内容はあたしにはまったく分からない。大人同士の難しい話だ…。

  あたしは窓の外に目を向け、そこから見える木の本数なんぞ数えていたよ。する事なかったからね。学校でウンチ漏らした事も相談するのかな、と漠然と思っていた。

 …はっとすると、母さんが立ち上がりあたしに

「ほら、行くよ」

と、めんどくさそうに言っている。

 ああ、儀式はやっと終わったのか。ふらふらっと立ち上がったら、母さんが慌てて言った。

「あっ、荷物」

 ああ、そうか。椅子へ戻り、手提げを持って向き直ったら、母さんがそれこそ「ほら見ろ、こいつまた忘れ物したじゃないか、あなたの目の前で」というオーラをバンバン出しながら医者の顔を凝視していた。仁王立ちで、目を真ん丸くして、さも仰天したような顔で。

 看護婦さんが、見るに見かねたように言ってくれた。

「お母さんが急かすから、つい忘れちゃったんだよね」

 それは救いにも、何にもならなかった。

 母さんはまるで、超常現象が目の前で起こったかのような、証拠を突きつけるような顔をして叫んだ。

「でも先生っ。JELって会社知っていますよねえっ?主人はJELなんですうっ」

 医者と看護婦さんの顔が、呆れたように、仕方なさそうに曇る。

「私の父は弁護士ですうっ!父方の祖父は銀行の頭取やっていたような人なんですうっ!母方の祖父は医者ですうっ!主人の家系も代々立派ですうっ!この子の上に娘がいますが長女もまともですうっ!あたしは造花教室やってますうっ!経営者ですうっ!うちでおかしいのこの子だけなんですうっ!」

  母さんがあたしを指差しながら叫ぶ。

「こんなおかしい子、生まれる筈ないじゃないですかっ!」

 指をさされたあたしは、ベンゴシとか、イシャとか、ギンコーのトードリとかケイエイシャってそんなに立派で偉いのかなあ?と静かに考えていた。

「それにこの子、霊感が強くて、この子に主人のご先祖様の霊が降りてきた事もありますうっ!あたし、この目で見ましたあっ」

 母さんが自分の目を指差して言う。

 医者と看護婦は、痛ましい目で母さんとあたしを見ている。

 それさえ、あんたに原因があるんじゃないの?このお母さんそういう考え方しか出来ないんだな、本当に病んでいて、本当に治療を受けるべき患者はこのお母さんだって思っているのは、小学校低学年のあたしにさえ分かった。分からないのは母さんだけだった。

 更に叫ぶ母さん。

「この子が確かにおかしいって事を、もうひとつ証明してみせます!」

 母さんはあたしの顔の前に、2本指を立てた手を突きつける。

「マリ、これ何本?」

 答えたくない。んなもん、2本に決まってる。

「マリ、これは?」

 今度は指を4本立ててやがる。分かったよ、わーかったよ、4本だろーが。だが答えたかねーよ。

「マリ、これは?」

 今度は1本だ。もううんざりだよ。

 医者と看護婦は、目の前で繰り広げられる「変な劇場」に辟易している。

 母さんは苛立ちながら、まだ指を立て、2とか3とか、やっている。

「マリ、あんた小学校2年生にもなって数も分からないのっ?」

  分かってっけど、答えたくねーの!早く終わってくれよ、その「指攻撃」。

  …診察室を出て、支払いの順番を待っている間、母さんはあたしをじっと見下ろしながら独り言のようにつぶやいたよ。

「やっぱりこの子はどっかおかしいんだわ・・・。この子もうおしまいだわ」

 ああ、あたしおしまいなんだ。じゃあ勉強なんかしたってしょうがないんだろう。友達と仲良くしても、夢を持っても、何かを努力しても、生きててもしょうがないんだろう。あたしはまったく価値のない、しょうがない存在なんだろう。

 小学生の子どもにだって、少しはプライドがある。あまりにも情けなくて、惨めで、張り裂けそうだった。

 それでも、もしかして受け入れてくれるかも知れないと、僅かな望みを抱きながら言った。

「母さん、ねえ母さん」

 歩み寄ろうとしたあたしの存在を、伸ばした手を、母さんは汚いもののようにパンッとはたく。

「あたしもう嫌なのお!あんた見るのもう嫌なのお!!」

そう言いながらとめどなく後ずさりする、切れ切れ母さん。

 母さん、そっちは壁だよ。そっちに道なんてないよ。

 ああ何て切ないんだろう。母さんはもうあたしを見たくもないんだ。触れられるのも嫌なんだ。近寄ってはいけないんだ。

 だったらあたし、いったいどうすればいいんだろう。本当にどうすればいいのか分からないよ。良い子になれったって、どういうのが良い子なのか、それさえ分からないよ。茫然とするあたし。

  後ろから、看護婦の深いため息が聞こえる。 


 医者や宗教団体を訪れた日は、家に帰ると決まって父さんが母さんに聞く。

「医者は何て言っていた?」

とか

「宗教のお偉いさんは何て言っていた?」

とかね。

「それが…」

 母さんが何事か答える。あたしにはそれも、何だかさっぱり分からない。

 父さんがあたしを、まるで汚い昆虫でも見るような目で見ながら言う。

「お前がおかしいという事がはっきり証明されたんだよ。それも医者にさえ分からない異常さという事がな」

 母さんはこう言った。

「まあ、あんたは死んだものと思っているから」

 だったら最初から、医者にも宗教団体にも連れて行くなよ。


 母さんは聞かされる相手がどんな気持ちになるかなんて、考えた事さえないんだろうな。

 父さんの前でもよく言っていた。

「もっといい人と結婚すれば良かった。あたしは結婚に失敗したわ」

そんな事を言われたら、父さんだって怒るに決まっている。

「あんたなんかと結婚しなきゃ良かった」

  平気で言う母さんに、父さんは怒り心頭で鉄拳を振り下ろした。

「じゃあ結婚しなきゃ良かったじゃないか!」

 母さん憤然と反論する。

「だってそうしたら、子どもたちだって生まれてこなかったじゃない!」

「じゃあいいじゃないか!」

その意見は父さんが正しい。いいぞ!父さん!少なくともそこは間違っていないぞ!

「あんたが悪いのよ!あたしとあんたは合わないのよ!」

「じゃあ出ていけ!ここは俺の家だ!今すぐ出ていけ!」

 ああ、母さん、どうか父さんを怒らせないで。

 そして父さん、どうか母さんを殴らないで。

 あたしは喧嘩を止めるのに忙しくて、まったく何も手につかなかったし、まったく何も考えられなかった。


 父さんと母さんは、こんなにお互いを嫌い合っているのに、何で結婚なんかしたのかな?おおいに疑問だった。

 父さんがいない時、恐る恐る母さんに聞いてみたよ。

「何で父さんと結婚したの?」

「だって、ある程度の年になってひとりでいると、どうして結婚しないの?って周りに聞かれるから。会社とかで、社会的信用が得られないのよ、ずっと独身だと」

「…そうじゃなくて、どうして父さんと結婚したの?」

「JELだから。父さんはJELだから」

 そんな理由で父さんと結婚したのか、と落胆した。

「じゃあどうしてお姉ちゃんを生んだの?」

 子どもが好きだったから、とか何とか答えて欲しかった。

 しかしその思いは、次の瞬間もろく打ち砕かれる。

「だって、結婚して子どもいないと、どうして子ども生まないの?って周りに聞かれるから」

「じゃあ、どうしてマリを生んだの?」

「だって2人目は?ひとりっ子は可哀想よって周りに言われるから。そういうのも社会的信用に関わるのよ」

そんな理由であたしたちを生んだのか、もっと傷ついた。

「母さん、子ども、好き?」

  無い勇気を振り絞って聞いてみたら、こんな答えが返って来た。

「だって、みんなが言うんだもん。自分の子なら可愛いよって」

  答えになっていないよ。みんながそう言うから可愛いのかなと思って生んだら、ちっとも可愛くなかったって事じゃん。

 母さんは周りに言われるから結婚をし(それも父さんというより、父さんの職業と)、周りの言うままに子どもを生んだのだった。

  大事なのは「社会的信用」であり、「自分が周りにどう見られるか」だった。

「あんたも大人になれば分かるよ。いちばん大事なのは何なのか」

とも言われた。

 本当にそうなのは、母さんの「しょうがないじゃない」と言わんばかりの顔を見てよく分かった。


 その頃から、父さんがお酒を飲んで帰ってくるようになった。

「ただいま」

 細い声で、青い顔で、居心地悪そうに、家に入ってくる父さんが情けなく悲しかった。

 母さんは遠慮なくわめき散らす。

「飲む余裕がどこにあるのよ!そんなお金どこにあるのよ!」

 父さんも、飲まずにいられなかったんだろう。家で晩酌ではなく、外で飲んで嫌な現実を少しでも忘れたかったんだろう。少しでも遅く家に帰りたかったんだろう。

 母さんは壁のカレンダーにマジックで大きく書いた。

「父さん飲んだ日」

 嫌味ったらしいね、これみよがしにさ。あたしは父さんが可哀想だった。

 カレンダーは「父さん飲んだ日」という文字でいっぱいになっていった。


 小学校3年生になる時、また父さんの転勤で東京へ引っ越す事になった。

 あたしは転校出来るのが、嬉しくてたまんなかったよ。もう、ウンチだの、クセーだの、いじめられなくて済むしね。新しい学校では絶対にウンチも何も漏らすまいと力んでいた。

 …だけどね、あたしがそう力めば力むほど、事態は何だか変な方向へ行っちまった。

 あたしは毎朝必ず家でウンチを済ませたし、あまり水分を取らないように気を付けていたし、学校に行ってすぐにトイレへ行き、休み時間のたびにトイレへ通い、常に膀胱を空っぽにするようにしていた。けど、どういう訳か、授業中に必ずスゲー尿意に襲われるんだよ。しかも毎回毎回。

 同じ間違いをしたくなかった。また漏らして新しい学校でもいじめられるのはまっぴらだった。

 だから焦って先生の所へ行き、小声でトイレ行って良いですか?って聞き、トイレへ駆け込んだよ。

 だけどさ、それが毎日、毎授業続いてごらんよ。先生も呆れるし、みんなも変に思うしさ。

 ある時、ついに先生は言ったよ。

「沖本さん、ちょっと我慢してごらん」

 冗談じゃない。漏らしたらどうなるか、どんなあだ名をつけられるか、どんなに避けられるか、どんなにいじめられるか、あたしゃ前の学校で経験済みだよ。教室を飛び出し、トイレへ駆け込む惨めなあたし。

 クラスのみんなは、あたしのつらい気持ちをよそに平気でこう言った。

「仮病じゃない?」

 どんな仮病だよ、そんな仮病あんのかよ!

 あたしは新しい学校でも心機一転どころか、やはり浮いた存在だった。理解してくれる人なんてひとりもいなかったしね。


 もうひとつ、大阪訛りがあるらしくて、それも友達にからかわれる原因になっていた。

「あんたナニジン?」

って。まったく違う学校で、まったく違う友達なのに、まったく同じ事言われる羽目になっちまった。ほんとに訛ってるってー認識ねーっつーの!

 そしてトイレの件で、学校から連絡を受けた母さんはあたしにこう言った。

「やっぱりあんたはどっかおかしいんだわ。あんたおしまいよ」

  そしてこうも言った。

「ほら、パンツ脱いでお尻見せなさい」

医者でも看護婦でもないあんたに、ケツ見せてどうなるっていうんだよ。

「今度授業中にトイレ行ったら、おむつさせるからね」

って脅すし。

 おむつさせられるなんて、まっぴらだよ。冗談じゃない。そんな事言われたこっちがどんなに傷つくか考えもしないんだろう。また授業中トイレに行きたくなったら…考えるだけで気が狂いそうだ。 

 おむつさせられる、おむつにおしっこしなきゃいけない、濡れて気持ち悪いそのおむつを次の休み時間まで我慢して、自分でトイレで替えるのか?どこに捨てるんだ?おむつ…おむつ…おむつ…。

 ああいっそ学校なんて行きたくない。登校拒否しようか、でもそんな勇気ない。

 父さんは父さんでこう言った。

「お前はトイレキチガイだ」

…タオルキチガイとか、家キチガイとか、トイレキチガイとか、色々なキチガイがあるんだねえ。


 日曜日は家にいられて、トイレの心配をしなくて済む。ああ家も悪くないな、なんて思っていたら部屋に父さんが入ってきた。

「お前、父さんと母さんが離婚したらどうする?」

 あたしは黙っていた。そんな返事のしようのない事を聞かないでよ。

「俺が出て行ったら、お前がひとりでいじめられるんだろうなあ」

 父さんは考え込み、困り果てていた。苛立ちを堪えるかのように、自分の足をこつんこつんと叩いている。

 あたしも考え込み、困り果てた。自分の足をこつんこつんと叩く気にはならなかったけど。

 考えきれないよ。どうしていいか、わからないよ。ただ、今目の前にある問題、父さんと母さんの毎日繰り返される喧嘩を止める以外、何をすればいいかまったく分からないよ。

 きっと父さんは、自分は母さんにもう耐えられないし、姉ちゃんはまだ何とか母さんとやっていけるだろうけど、あたしだけは可哀想だと思っていてくれたんだろう。少なくともその瞬間はね。

 あたしは全然親思いの子どもでも何でもなかったが、家が気になり、学校が終わるといつも飛んで帰っていた。父さんからは母さんを、母さんからは父さんを守りたかった。

 父さんの会社はシフト勤務体制で、出勤時間がまちまちだった。夜勤の日は、日中喧嘩しているのが分っていたから、一刻も早く帰って2人の喧嘩を止めなくてはと、使命感に似た思いを抱いていた。

 だが帰ってみて、やっぱり2人が喧嘩している姿を見るのは悲しかった。家にいるのはつらくて嫌だったし、喧嘩を止めるのは骨の折れる作業だった。


  父さんは頭に血が昇ると、周囲が見えなくなるタイプだった。小さなあたしたちが見ていようが何だろうが、一切構わず馬乗りになって母さんを殴った。

「口で言って分からないなら体で分からせる!」

 おなじみのセリフだった。それでいて人前ではおとなしかったよ。

  父さんを知る人はみんなこう言った。

「あんた、あのお父さんに殴られた事があるの?」

  あるよ、あるよ、何千回もね。


 そして母さんは、これ見よがしな性格だった。父さんに殴られている自分を「どうだ」とばかりに姉ちゃんとあたしに見せ付けた。

 ああ、マリたちが見ている。この悲惨な姿を見せれば同情して自分の言う事を聞くだろう、そんな感じだった。

 そして殴られた後に必ず

「お姉ちゃん、マリ、ここに来なさい」

と言って、自分の両側に姉ちゃんとあたしを座らせ、両手であたしたちを囲むように抱き寄せ、何事かじっと考えているような顔をしていた。本当は何も考えていないくせに、何も分かっていないくせに、ポーズだけそうしていた。

 姉ちゃんもあたしも迷惑だったよ。早く母さんから離れたかったさ。殴られて可哀想なんて、全然思わなかったしね。父さんを罵らなければ良いのにと思う事は多々あったけど。

 そしていつもあれが気に入らない、これが気に入らないと文句を言って泣いてばかりいた。


 そう、母さんはあたしたちの前で泣き過ぎていた。滅多に泣かない人が泣いていれば、そりゃ誰だって心配する。けれど、いっつも泣いている人がまた泣いていたって、誰も何とも思わないよ。ああ、また泣いている。よく泣くね。泣くのが好きなのかな、とさえ思ったさ。

 しかも、母さんは泣きながら怒る人だった。

「あたしは泣いている時は慰めて欲しいのっ!」

って。母さんの場合、順番が逆だろう。慰めて欲しいから、同情してほしいから、わざわざ泣いて見せているんだろう。

 それでいて外面は良かったよ。相手によって態度を変えていたけど。あと、場所が変わるたびにすっと馴染んでた。カメレオンかいな。

 自分に利益をもたらしてくれる人には、素晴らしい挨拶をして周囲をお見事に圧倒してた。

 家に来客があると、まずは玄関で立派な挨拶をし、招き入れたリビングで、夏は冷たいお茶が、冬は暖かいお茶が、お客さんが座るのとほぼ同時に、さっと出されていた。温かい微笑を浮かべながら相手の話を熱心に聞き、上手に褒め、良い気持ちにさせてあげるのが、それはそれはうまかった。

 そして自分の造花教室の生徒さんをたいせつにし、よく褒め、教え方もうまかった。

 お花のセンスも 抜群によく、色彩感覚はもはや天才的で、家の中を常にきれいなお花で飾り立て、自分の人生も飾り立てていた。

 そして独学で英語の勉強を続け、英検の2級まで取得し、外国人の生徒さんに英語で造花を教えるまでになっていた。

 母さんを知る人はみんなこう言ったよ。

「物凄く良いお母さんね」

 違うよ、違うよ。職業と挨拶とお茶出しと建前が立派で上手なだけだよ。努力家なだけだよ。内情はぐちゃぐちゃだよ、うちは修羅場だよ。

「ではまた。ごきげんよう」

と上品にドアを閉め足音が遠ざかった途端に、仮面ライダーよろしくがらりと変身するよ。

「あの人はいかにも商売人って感じの人ね」

だの

「あの人は虎の威をかっているわ」

だのと、さっきまで仲良くしていた人の悪口を得意気に言うよ。自分は洞察力があるだろうと言わんばかりにね。

 その後は決まって父さんの悪口だよ。自分は夫選びに失敗しただの、一流企業に勤めているんだからもっと良い暮らしが出来ると思ったのに生活費が足りない、社宅暮らしで持ち家も買えない、ハプニングに対応出来ないだのと散々言ってから

「あんたは父さんそっくり!」

と憎々しげに言うよ。その姿を見て欲しいもんだよ。

 小さい頃、暴力を振るう父さんが悪いのかと思っていた。でも段々そうじゃない事が、嫌でも分かってきた。母さんが父さんの言う事なす事否定し、好きなものを遠ざけ、嫌いなものを押し付け、激高するまで神経を逆撫でするのが悪いんだって事が。

  当時、DVなんて言葉さえなかった。夫が妻や子どもに暴力を振るうなんていうのは、テレビドラマの中だけの話だった。そしてそのテレビドラマでさえ、毎日それを受けている人の苦しみをきちんと描けていなかった。

 それと一緒で、当時は虐待という言葉もなかった。まま母ならともかく、実の親が子どもにそんな仕打ちをする訳がないと、誰もが思っていた。

 あたしは自分が否定されるのも、暴力も、暴言も、嫌味を言われるのも、追い出されるのも、勿論つらかったが、それ以上に誰も助けてくれる人がいない、何を言っても誰も信じてくれないというのが本当に悔しかった。誰かに助けて欲しくてたまらなかった。


 学校で仲良くなった佐藤さんという女の子に「実は」という感じで相談した事がある。佐藤さんは「半信半疑」という顔で聞いてくれたが、翌日学校に行くと別の子が3人も並んでやってきて真顔でこう言った。

「沖本さんって、毎日親に殴られているんだって?」

 …え?あたしは佐藤さんを信頼して、佐藤さんだけにというつもりで「恥と苦しみ」を打ち明けたのに、別の子たちに言いふらしていたなんて、と落胆した。

「え?何の事?あたし知らないよ」

  すっとぼけて逃げるしかなかった。

  また、この人ならと信頼した先生に相談した事もある。その先生も信じてくれなかった。

「沖本さん、同情買おうとしているの?私はあなたのお父さんとお母さんに会った事あるけど、あのご両親がそんな事をするとは思えないわ。あなた嘘言っているわ。テレビの見過ぎじゃない?」

 ああ、あたしを助けてくれる人なんていないんだ。それ以上の言葉を飲み込んで、つらすぎる現実と、誰にも守ってもらえない孤独を背負ったよ。

 この先生にしても

「殴られているんだって?」

と言いに来た高橋さんって友達にしても、きっとそういう目に遭わないんだろうなあ、だから未来永劫分からないんだろう。

 高橋さんは、別の時にこんな事を言った。

「まともな人って、自分が間違っていて、みんなが正しいって思うんだって。でね、キチガイの人って、自分が正しくてみんながおかしいって思うんだって」

 それってあたしに対する嫌味かい?あたしがキチガイって言いたいのかい?父さんと母さんが正しくて、あたしがおかしいの?そうなの?

 …だがもしかしてみんなの言う通り、本当はあたしがおかしいのかな?って気もした。だけど現にあたしゃ毎日殴られて、嫌味を言われているんだよ。こいつぁどう説明してくれるんだよ!

「夢でも見たんじゃない?」

だと。夢でも何でもないよ!現実だよ!この痣を見てくれよ!


 それでいてスッゲー不可解だったのが、父さんと母さんが決して仲が悪い訳ではない事だった。

 毎年家族で海外旅行にも行ったしね。学校でも海外旅行なんて行った子なんて全然いなくて、外国に行った経験のある子なんて、あたしくらいだった。今と違って、海外旅行なんて信じられないって時代だったし、1ドル360円くらいだったし。

  アメリカのディズニーランド(外人の白雪姫に会ったさ)だ、ハワイだ、ヨーロッパも一周したし、韓国だ、中国だって本当に世界中を飛び回ったよ。

 特にイギリスやフランスの街並みが美しく、空も日本とは明らかに違っているのが印象的だった。

 歩いている人の放っているオーラも違ったね。

 本物のベルサイユ宮殿も行ったし、美術館もいっぱい行ったよ。あたしの愛読書は漫画の「ベルサイユのばら」でさ。初恋の人はオスカル様だもん。そりゃ嬉しいさ。

 欧米ではアイスクリームの大きさが日本とは桁違いで、どうしても食べきれず姉ちゃんもあたしも残して捨てざるを得ない量だった。本当にバケツみたいなデカいアイスクリームで、こっちの人はこれを食べきれるのかって驚いたよ。

 トイレの鍵の閉め方が分からず鍵を開けたまま(ドアは閉めてたよ)用を足していたら、女の人がドアを開け、あたしの姿を見て

「ソーリー」

と言った。こっちも

「ソーリー」

と思わず言っちまったさ。あはははははは。

 カナダやトロント、ノルウェー、シンガポール、旅行は本当によく連れて行ってくれた。ナイアガラの滝の内側を船で通ったしね。ずぶ濡れになったけど、迫力あったし良かったよ。オーロラも見たさ。不思議でたまんなかったさ。

 コペンハーゲンでは道端にヘアヌードの女の人の写真が貼ってあってびっくりしたもんだよ。当時日本ではヘア解禁されていなかったから、珍しくてさ。

 姉ちゃんと

「コペンハーゲンのちんげ」

とか言って大笑いしたもんさ。あれえ、放送禁止用語だねえ。あははははははは。

 南米では、あたしたちがいたホテルの部屋に外人の(そりゃ外人なのは当たり前だけど)女の人がやって来て、忘れ物があるから部屋に入れろという意味の事を言ってきた。怖かったよ。

 父さんが必死に抵抗して入れなかったけど。

「あれきっと強盗だよ。部屋に入れた途端にズドンと撃たれたよ」

と言っていた。あれえ、外国ってのは恐いんだねえって思った。

 それ以来、観光の為に部屋を出る時も、外出先からホテルに帰って来た時も、廊下等あたりを見回して

「それっ」

という父さんの掛け声と共に、部屋を出たり入ったりしたもんさ。あはははははははは。一応家族を守ってくれたよ。

 でね、旅行中に父さんが何度も黒人の事を

「くろんぼ」

というのが気になったよ。差別用語じゃん。言わなきゃいいのに。

 スイスで一度、

「ジャップ!」

という声と共に石が飛んで来た事があった。誰にも当たらなかったけど、やっぱり傷ついたよ。向こうの人から見たら日本人は見下すべき存在なのかってね。

 オーストラリアで入ったレストランでは、ウエイターが現地の客とあたしたち日本人とで明からに接客態度が違ったし。

 …父さんがくろんぼ、くろんぼ、と言わなければそういう目に遭わないのかなって気もしたけど。つまり「言った言葉が巡り巡って自分たちに返ってきてる」って事。

 あと、時差ってのにも驚いた。ここはこんなに明るいのに日本は今夜中の3時、とかね。どういうこっちゃい。

 本当に旅行はよく行ったよ。当時はJELも羽振りが良く、社員も家族も飛行機はタダで乗れた。ただしいつも羽根の上の座席で、飛行機内から外を見ても景色はあまり楽しめなかったけどね。

 旅行以外でも、しょっちゅうあたしたちを連れてスケートやら花火やら海やら遊園地やら、あちこちに遊びに行ってたし、喜劇王と呼ばれたチャップリンの映画観に行った時なんて、楽しくて面白くて、来ているお客さんの中でいちばん大きな声で笑ったさ。

 宝塚や有名な劇団のミュージカルの舞台や歌舞伎も、何回も連れて行ってくれたし、上野動物園にパンダも見に行ったし、イルカショーやら、潮干狩りやら、イチゴ狩りやらで、本当に忙しかったよ。

母さんは手先が器用で、造花もうまかったけど、洋裁の達人でもあった。自分や姉ちゃんやあたしの洋服は勿論、よそ行きのドレスまで仕上げてくれた。

 とてもじゃないが、素人が作ったと思えない出来栄えの洋服やドレスは、みんなに羨ましがられたもんだよ。そのドレスを着て、親戚の結婚式に出席して、列席者から可愛いお嬢さんたちね、とか褒められて父さんも母さんもご満悦だったし。

 ある結婚式で、父さんと母さんの結婚式で仲人やってくれた人ってーのに会った事もあったよ。父さんと母さんがその人の所に姉ちゃんとあたしの手を引っ張って駆け寄り、挨拶してた。

「結婚式で仲人をしていただいた沖本です。その節はお世話になりました。生まれた子どもたちです」

と言いながら姉ちゃんとあたしを紹介してた。

 訳が分からないながらにお辞儀をする姉ちゃんとあたし。そのおじさんは覚えていないらしく、困ったような顔で笑っていたけど。

 家でテレビの歌番組なんぞ見ながら、一緒に声高らかに歌っていた事もあったしね。そんな時、父さんと母さんは心から楽しげで、さっきの殴り合いはなんだったのかな、あたしの記憶違いだったのかなとさえ思った。ホント不思議でたまんなかったね、ありゃ。

ただね、あたしとしては、みんなが羨むほどの旅行やドレスより、喧嘩や暴力をやめてほしかったんだよ。

 つまりうちは、「天国と地獄を同時に味あわされる家庭」だったんだ。天国も要らないから、地獄も勘弁して欲しいよ。


 でね、姉ちゃんって自分から勉強する子なんだよ。珍しいと思うよ。そういう子の方が少ないし。姉ちゃんを見ていて、それが普通だって父さんも母さんも思ったみたい。だから全然やらないし、出来ないあたしが信じられないような事よく言われた。

「何であんたは勉強しないの?お姉ちゃん見習ったら?」

ってしょっちゅう怒られたけど、死んだものなら勉強なんかしたってしょうがない訳だし、しないなりに理由あるよ。

 物心ついた時から死んだと思っていると言われ続けて、どうして勉強勉強って言うのかそっちの方が分からないよ。それに誰かを見習えって言われる程悔しい事ないしね。

 あたしは母さんに他のお母さんを見習えって言った事ないのにさ。

「あんたどうするつもり?」

って聞かれても困るよ。どうすりゃいいか分からないから。

 だって死んでるんでしょ?あたしはユウレイなんでしょ?じゃあどうするもこうするもないじゃん。おしまいだ、おしまいだって決めつけて、だったらいいよ、おしまいで。死んだものと思ってるとか、死んでくれとか、そんな事ばっかり言って、言いたい放題、暴力も振るいたい放題、さぞかし気持ちいいだろうね。こっちは地獄だけど。

「どうして欲しい?」

とか

「どうしたい?」

とか

「これとこれ、どっちがいい?この中からどれがいい?」

と言ってくれた事いっぺんもないし、いつも一択でこれしかないからこれにしろって押し付けられてきたしね。

 あたしは希望を聞いて欲しかったし選ばせて欲しかったんだよなあ。


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