第15話 屋敷の中で
「初日を終えてどうだい美雨。大変だっただろう?」
「……っ、ううん。楽しかった。少しお話できるようにもなったから」
「あ、そう言えば純さんが家庭教師をするのって今日からだったね」
その夜。父親、美雨。飛鳥の三人で食卓を囲っている時、藤原家はこの話題に花を咲かせていた。
「ね、美雨聞いていい? 今日はどんなことしたの?」
「今日は最初だったから、まずはわたしの学力を測って、次に会話をして。その二つで一時間」
「あ、レクリエーションみたいに進めてたんだね」
「うん。わたしを馴染ませようとしてくれたの」
「ほうほう。純くんもしっかり方針を考えて取り組んでくれているようだな。それに美雨のことも。なによりの内容だ」
「いきなり勉強をするって流れだと、わからないところとか聞きにくいからね……。どうしても遠慮しちゃうっていうか」
初日はわからない内容に大きく触れたりはしなかったが、この先、有意義な時間にするためにはレクリエーションは必要な時間。人見知りな性格がある美雨ならならなおさらのこと。
父も飛鳥もそこに理解を示しているために不満に思うどころか安心した気持ちでいる。
一つの方針、そのやり方を知るだけでも、どのような気持ちで臨んでいるのかわかるのだ。
「じゃあ次からが本番って形になるんだね。って、純さん美雨の頭の良さにビックリしてたんじゃない? 確か今、私と同じ範囲を勉強してるでしょ?」
「うん。『まじか』ってすごく驚いてた」
「ふふ、だよね」
予想通りだったと言わんばかりに口元に手を当てて小さく微笑む飛鳥。その様子を見て美雨はすぐにもう一つの言葉をつけ加えるのだ。
「でも、学力を測る時に純さんはわたしが解けなかった問題をすぐに理解してたから、わたしもまじかってなってた」
「えっ、美雨が解いてる問題集ってあれかなり難しいやつじゃなかった?」
「そう。スラスラ訳せて、すぐに内容を理解しないとあんなに早くわからないと思う」
「さ、さすがは翻訳者さん……」
「そ、そんなに純くんはすごいのか……」
「少し英語を喋ってて、その時の発音も綺麗だったから、学校の英語の先生より力はある……と思う」
高校一年の美雨だが、その頭脳は二年先の内容まで理解している。教える能力はもちろん教師の方が上だが、純粋な英語力で純は負けていないというのが彼女の意見だった。
「美雨がベタ褒めなんて珍しい……。えっと、文法を教えてもらうだけじゃなくて、発音の練習も一緒にできる先生ってかなり優秀だよね? ちょっと生々しくなっちゃうけど……お父さん。純さんは何円で家庭教師をしてもらっているの?」
首を傾げて質問する飛鳥に、父はどこか罰悪そうに言う。
「一時間1000円だが……」
「え……」
「え?」
飛鳥と美雨が同じ反応をした矢先、食卓の空気が凍った。
一時間で1000円。これはどんな見方をしても破格な値段設定なのだ。逆に、純からすればかなり厳しい報酬と言えること。
「お、お父さん。それって最低賃金だよ……? 家庭教師をつけてるお友達、一時間で3000円って言ってたけど」
「も、もちろん家庭教師の相場を調べてこちらは4000円の金額を提示したんだぞ? だが、それは純くんに断られてな……」
「こ、断られた……?」
「パパ、詳しく説明して」
このピリピリした雰囲気の中、自ら値段の下げるようなことはしない。と、疑ぐりの視線を向ける姉妹だ。
「そんな疑わないでくれ……。『素人の自分がそんな大金をもらうような教え方はできないから研修期間を設けさせてほしい』と、お願いされてな……。何度も食い下がられたら仕方ないだろう……?」
「ええっ!? じゃあ本当に純さんは自分から値段を下げたの? 美雨いわく英語の力は学校の先生以上なのに……」
「一時間で1000円はありえない……」
純の金額事情を知り、姉妹の視線が父を貫く。
「フハハハ、そうかそうか。これは参った。能ある鷹は爪を隠す……か。今度また純くんと話をするとしよう」
二人の言いたいことをすぐに悟り、昇給を匂わせる父。美雨の話を聞き、同じように報酬が少ないと感じていたのだ。
「って、このお話聞くとやっぱりズルいよ美雨。そんな純さんと一人だけたくさん関わって……」
「ふ」
「い、今鼻で笑った!? お父さん、いつの間にか煽り技身につけてるんだけど……」
「家族の前では伸び伸びしてくれるのが一番だ。それに文句を言うでない。飛鳥にはパパがいるじゃないか」
ニッコリと微笑みながら発言したその瞬間だった。
「……」
「……」
——空気が再び凍った。先ほどよりも酷く……飛鳥と美雨は表情を固まらせていた。
「お、お父さん……。今のはさすがにちょっと……」
「おねえちゃんはちゃんと言った方がいい。わたしは鳥肌が立った」
「なッ!?」
「うーん……。冗談っぽく言ってくれたら私も美雨みたいにはならなかったけど……」
「本気のトーンだったから。本気のトーンで語尾にハートがついてた」
「そ、そんなことはないぞ!? ただの冗談だよ。ハ、ハハ……」
事前に打ち合わせがされていたような見事な連携にたじたじになってしまう父。実際、愛娘からこんなことを言われたらそれはもう弁明もしたくなるだろう。
「コホン。ま、まあ……。話を戻そう。つまり問題なく進めそうではあるんだな、美雨は」
「うん。だから大丈夫」
「って、お父さんは純さんの紳士的な提案を聞いてたのに、美雨と二人っきりにさせたくない! とか漏らしてたの?」
「そ、それは……。その提案をされる前のことで……。だ、大体、年頃の男女が密室にいるのは好ましくないではないか!」
冷や汗を流しながら必死の返し。この発言に嘘はないが、慌てれば慌てるだけ信ぴょう性は落ちてしまうもの。
「怪しーい。そもそも『素人の自分がそんな大金をもらうような教え方はできない』って言える真面目な純さんがヘンなことするわけないのに。ねー、美雨?」
「っ!?」
飛鳥がこう促した途端、ビクンと肩を震わせ、丸くした瞳を作った美雨……。
「え?」
「え゙」
その反応はどう考えてもおかしいもの。
そして……考えように、意識しないように努めていたこと美雨は思い出してしまうのだ。純と二人っきりの時になにがあったのか。いや、なにを見られたのかを……。
「ぅ……」
「ど、どうしたの美雨……!? 顔が真っ赤だけど……」
「み、美雨……。も、もしや純くんが……」
「わ、わたしお手洗い……いく。純さんとは……なにもなかったから……」
頭を下に向け、カスタード色の長い髪を触りながら上手に顔を隠す美雨は椅子から降りる。
パタパタとし小さな足音を鳴らしながら逃げるように大広間を出ていった。
「ぐぬ゙ぬ゙……。まさか、まさか娘に゙……」
「お、おおおおおお父さん!? 落ち着いて! きっとなにかの誤解だから!!」
先ほど、純に感心していた父はもういない。
メラメラとした赤い炎を漏らし、握りこぶしを震わせる父をどうにかなだめる飛鳥でもあった。
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