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 子供部屋の隣には割と広めの納戸がある。

 しまってあるのは、主に古い思い出の品や、置き場に困った不要物ばかり。


 こんな場所を作るくらいなら、私たち姉妹にひとりひと部屋与えて欲しい。いつもそう思っていた。


 昔は姉妹一緒で楽しかったこともあったが、妹が思春期に突入してからは、毎日喧嘩が絶えない。


 原因を作るのは主に妹だ。私が黙っていても、顔を合わせれば、ほぼ確実に向こうから突っ掛かってくる。


 さっきだって溶けてさえいなければ、憎まれ口か舌打ちのひとつでももらっていたところだ。


 やれやれと首を振りながら、納戸に足を踏み入れる。


 奥の方にしまわれた、棺桶みたいに大きな段ボール箱をふたつ引きずり出した。


 読まれていない漫画本や季節外れの服のケースに妨害され、なかなか苦労した。


 段ボール箱には、ひと箱につきひとり、家族の名前がフルネームで書いてある。出してきた箱にはそれぞれ、母と妹の名前。


 まずは妹の箱を開けた。


 中身は大きなビニール袋に包まれており、私はまるで、寝たきりの人の着替えでも手伝っている気分で、それを引っ張って脱がせた。


 摩擦で何度も引っ掛かりながらようやく姿を現したのは、妹専用の人体モールドだ。


 半透明のシリコン製で、二年前の妹の姿がかなりリアルに再現されている。

 残念ながら片面タイプなので、しばらく背面が真っ平らになると思うけど。


 普段があんなひどい寝相じゃ、かえっていいかもしれないな。


 喉の奥でくくっと笑いながら、私はモールドを箱から取り出した。


 妹をモールドに流し込むのはたいへんだった。

 両手を使って、すくっては入れ、すくっては入れしたのだが、発育がいいせいでなかなか終わらない。


 額から滲んだ汗が、顎に溜まっては床に落ちる。


 妹の体格は、三歳年上の私とほぼ変わらない。しかも、ドロドロのボディは半透明で軽そうに見えるのに、しっかりとした重さがある。


 途中で何度も腕が吊りそうになった。

 たぶん、明日は筋肉痛だろう。


 そろそろモールドがいっぱいになるというところで、問題が発生した。


 ……余るのだ。


 べちょべちょになった白いラグの上に広がる妹の体が、モールドに入りきらない。


 実はなんとなくそんな気はしていた。


 しかし私は、自分の今までの苦労を無駄にしたくないがために、最後まで気付かないふりを決め込んだ。


 思えば当然の結果だった。


 近所のホームセンターでこのモールドを作ったのは、もう二年も前になる。


 その間に、妹は成長期を迎え、身長で言えば十センチほど、体重で言えば十五キロは増量している。


 入りきるはずがない。


 さらにここ数年、夏の暑さが増したことで、我が家には念願のエアコンが設置された。


 エアコンのある生活は快適だ。外が炎天下で、陽炎が立ちのぼっていようと、室内にいれば汗ひとつ流すこともない。


 それどころか、冷房をきかせ過ぎて、上着を羽織ることだってある。


 溶けるなんてまず考えられなかった。


 そのおかげで、完全に油断していたのだ。


 妹自身も、その成長を見守り考慮し備えるべき両親も。


 もっとも、両親が彼女の成長を見守っていたのかと言われれば、怪しいところだが。


 我が愚妹ながら、少し可哀想に思ってしまう。


 私は樹脂のスクレーパーを使って、丁寧に妹の残りを集めた。ラグの長毛がくせものではあったが、指先でつまんで丁寧に搾り取り、床掃除用のバケツに入れた。


 日頃あれだけストレスを掛けられているにも関わらず、トイレ掃除用のバケツを使わなかったのは、この姉の慈悲深さだ。

 あとで泣きながら感謝してほしい。


 妹の片づけは完了した。


 ベタベタのラグはあとで自分で洗濯してもらうとして、私は肉色の液体がなみなみと注がれたモールドを覗き込む。


 あとは冷やして固めるだけだ。


 髪の毛や細かなゴミが混入しているが、これは問題ない。


 詳しいことはわかっていないが、溶けている間にうまいこと吸収されてしまうらしい。


 地球温暖化に伴い、人間は目覚ましい進化を遂げた。


 長時間高温に晒されると身体が溶解し、それ以上は高温による影響を受けない。


 更に、数日程度ならば放っておいても、生命活動を維持することができる。


 溶ける温度には個人差があるが、今現在、地球上に存在する人間のほとんどは溶けると言われている。おそらく、私も。


 しかもそれは、ここ百年ほどで起きた変化だという。

 あまりに急激な進化に、百年前の人々はさぞかし驚いたことだろう。

 当時は、謎の奇病という扱いを受けたときく。


 今の時代となっては、家族が溶けても『メンドクサイ』だけだけど。


 私は妹の生温かい肉に、両手を突っ込んだ。

 気持ち悪がっていたはずが、かき集めているうちにすっかり慣れてしまった。


 ドロドロの液体を指の間で弄びながら、私はふとあることを思いついた。


 汚れた手を掃うと、妹の机の引き出しを開ける。どこになにが入っているかなど、当然わからないので、手あたり次第に開けていく。


 学習机備え付けのキャビネットの二段目から、目的のものを見つけた。


 ませた妹がネイルアートに使っているらしい、細かいラメの入った小瓶だ。

 全部で三十ほどある。


 私はそれらの蓋を開けると、妹が詰まったモールドに加えた。

 全部使ってしまうとすぐにバレるから、各種半分くらいずつ。


 いやがらせのつもりはない。純粋に、興味本位だった。


 料理でもしているような、魔法の薬でも調合しているような、そんな気持ちで、妹と妹の好きなものを混ぜる。

 手にラメが付くのが嫌だったので、スクレーパーを使った。


 モールドの中、窓から差し込まれる陽射しを受けて、妹はキラキラと光った。


 これ、あれだ。少し前に流行った、ラメとかビーズが入ったスライム。とてもきれい。


 明らかな人工物だけど、果たしてこのキラキラは妹に吸収されるのだろうか。固まるのが楽しみだ。


 我が家には冷却室がないので、父親の帰りを待たなければならない。車を使って市の冷却所まで運んでもらう必要がある。


 妹をこぼさずに一階まで降ろす方法も、大人である父なら当然知っているだろう。


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