第11話 コンポート

「ゲオルクさん、気をつけて行ってきてくださいね」

「いってらっしゃーい」


 こちらに手を振りながら仕事に向かうゲオルクを、リザとユアンが見送る。

 ゲオルクの姿が見えなるなると、二人は家の中に戻った。

「それじゃあ、私と一緒にお留守番しましょうね」

「うん」

 リザの言葉に頷くユアンの腕の中にはくまのぬいぐるみが収まっている。

 よほど嬉しかったのだろう、ユアンはこのぬいぐるみに「トビー」という名前をつけて、片時も放そうとしない。

「トビー。はい、お茶ですよ。たくさん飲んでくださいねー」

 空の食器を使っておままごとをしているユアンを見守りながら、リザは一冊の本を読もうとしていた。

 その本は、彼女が山の中で捨ててきた本と同じものである。

 もちろん、拾いに戻ったのではなく、たまたま同じ本がゲオルクの家にもあったのだ。

 初めて目にした時は本当に驚いた。

 ゲオルクに聞くと、彼も幼少期から読んでいた物らしく、意外な共通点である。

 表紙をめくると、中には何度も読み込んだ物語が綴られていた。

 だが、紙の微妙な汚れや折れ目がこの本は思い出の本とは別物であると表している。

 懐かしさと寂しさを感じながら読み勧めていると、ある神の名が目に入った。

 『エギヒデム』

 ユアンが以前、唯一本物の神ではないのかと聞いてきた名である。

 リザはちらりとユアンに視線を向けると、彼はリザの視線には気づかず、楽しく遊んでいるところだ。


 エギヒデムとは、泥の神である。

 その姿は魚のようでもあり、蛇のようでもあり、全身は黄金の鱗で覆われ、また小さな島なら丸呑みにしてしまうほどの巨体の持ち主だと言われている。

 普段は神々がいる『輝く大地』の地下深くにある泥の海で暮らしており、滅多に姿を見せることはない。

 神々の中でも決して目立つ存在ではないし、華やかな活躍があるわけでもない。

 神話に興味を持たなければ、その名前を知ることはない存在だ。

 そして、このエギヒデムには一つの逸話があった。

 それはエギヒデムが『門』を通じて地上に降臨し、己の生み出した泥で地上全てを覆い尽くしてしまい、その泥の上で新しい世界を築くというものだ。

 つまり、エギヒデムには世界を滅ぼす破壊神としての側面と、創造神としての側面が存在しており、このことからエギヒデムを恐ろしい邪神だという人もいれば、偉大な神だと崇める人もいる。

 だから、ユアンの発言を考えればエギヒデムを信仰する人の元で育った可能性が高い。

(それでも、エギヒデムだけが本物の神で他の神は偽物だなんて……温厚で寛容な宗派とは言えないわ)

 むしろ、危険思想ともとれる。

 世界を滅ぼし、世界を造る恐ろしい泥の神。

 そんな神を崇める過激な人々。

 その人々の元にいたであろうユアンは泥を吐く体質。

 何かが繋がりそうで、繋がらない。

 必要なピースが抜けているのだろう。

 そして、それが騎士たちにユアンが狙われる理由なのかもしれない。

(本当に、どうしてユアン君は、あんなひどい目に合っていたんだろう……)

 誰かを気づかえる優しい子。痛いのを我慢して歩こうとする健気な子。無邪気に遊ぶ可愛い子。

 あんな扱いを受けなければいけない理由なんて、どこにも見つからなかった。

「リザお姉ちゃん?」

 ぼんやりとユアンを眺めていると、視線に気づいたユアンがリザに不思議そうな顔を向ける。

「どうしたの? お腹痛い?」

「ああ、いえ、なんでもないの」

「本当?」

 ユアンはリザに近づいて、顔を覗き込む。その顔には、心配だという気持ちがありありと浮かんでいた。

「本当よ。なんともないから……そうだ、一緒に遊びましょうか」

「本当!」

 ユアンの瞳がキラキラと光り、リザの手を掴むと「こっちにきて」と引く。

「じゃあ、ぼくが勇者やるから、リザお姉ちゃんは連れ去られたお姫様ね」

「まあ、私がお姫様なの?」

「そう! とっても優しくてかわいいお姫様なの」

「ふふふ、それは光栄ね」

 お姫様なんて柄ではないが、ユアンが望んでいるなら精一杯お姫様らしく振る舞おう。

 そうしてリザはお昼になるまで、ユアンとたくさん遊んだ。


 そろそろお腹の虫が鳴く頃。

 リザは昼食の準備に取り掛かった。

 食料は好きに使っていいとゲオルクから言われているが、無駄遣いするわけにはいかない。

 保存庫の中を覗き込んで吟味していく。

(卵をそろそろ使った方がいいわね。それから、野菜もとらないと……卵に混ぜて一緒に焼けばいいかしら? いや、スープの方がいいかも。確かトマトがあったはず)

 献立を決めると、材料を取り出して料理に取り掛かる。

「リザお姉ちゃん、今日のお昼は何?」

 そんなリザの姿を見て、ぬいぐるみを抱えたユアンが聞いてきた。

「スクランブルエッグと野菜スープとパンよ」

 彼女がそう答えると、ユアンの顔は少し嫌そうな顔になる。

「グリーンピースは入ってる?」

「入ってないわ」

「よかったぁ」

 ユアンは否定の言葉に安堵の表情を浮かべ、またぬいぐるみと遊び始めた。

 基本的に好き嫌いせず、苦手なものが出ても我慢して食べるユアンだが、どうしてもグリーンピースだけは駄目らしい。

 嫌いな食べ物はない方がいいが、一つぐらいなら問題ないだろうとリザは極力グリーンピースを出さないようにしている。

(そういえばユアン君、ここに来てから泥を吐かなくなったな)

 屯所にいた頃は、一日一回は泥を吐いていたというのに、逃げ出したあの日に追手によって追い詰められた時以来、一度もユアンは泥を吐いていない。

 あの窮屈で孤独な環境そのものが、ユアンにストレスを与えていたのだろう。

 泥を吐いている時、ユアンはとても苦しそうだった。

 できれば、もう二度と見たくない姿だ。

 その為にも、どうにか逃げ切らなければいけない。けれど、できれば安定した生活、つまり今のような日常を送りたい。

(……私達は、いつまでこの生活を続けていけるのかしら……)

 そんなことを考えながら、バターで熱したフライパンによく溶いた卵を流して焼いていった。




 日が落ちる頃、ゲオルクが帰ってきたのだが、彼を出迎えたリザは驚きの声をあげる。

「そのリンゴ、どうしたんですか?」

 彼の両腕の中には大量のリンゴが入った紙袋が抱えられていた。

「農家をやってる知り合いがいるんだが、仕事の帰りにばったり会ってな。その時、もらったんだ。なんでも、見た目が悪くて売れ残ったらしい」

 苦笑を浮かべたゲオルクの言う通り、彼の持っているリンゴ色が悪かったり、形も歪だ。

「知り合いのよしみとか言っていたが、実際は持ち帰るのが面倒だったから押し付けてきたんだろうよ」

「ふふ、でも実がしっかりしていて美味しそう」

 リンゴを手に持つと、ずっしりと重みを感じる。

 見た目が悪いだけで、味には問題なさそうだ。

「リンゴ? 食べるの?」

 ユアンがそわそわとした様子で聞いてくる。

 食べてみたくて仕方がないのだろう。

「今、切ってくるから待っててね」

「うん」

「ゲオルクさんもお仕事で疲れているでしょう? ご飯の準備をしますから、座っててください」

「悪いな。助かる」

 ユアンとゲオルクはリビングで待機し、リザは台所に向かう。

「あのね、今日はリザお姉ちゃんと勇者ごっこしたんだよ。僕が勇者で、リザお姉ちゃんはお姫様なの」

「へえ、それは楽しそうだな。今度、俺も仲間に入れてくれ」

 そんな会話が後ろから聞こえてきた。

 リザは料理を温めながら、包丁を手に取りリンゴを切っていく。

 準備した食事をトレイに乗せ、それを持ってリビングに戻る。

「おまたせ。さあ、召し上がれ」

 ゲオルクの前にパスタとスープ。テーブルの中央にリンゴの入ったお皿を置いて、リザも椅子に座った。

「うまそうだな。いただきます」

「いただきまーす」

 その言葉と共に、ゲオルクはパスタに、ユアンはリンゴに手を伸ばす。

「うん、相変わらずリザさんの料理はうまいな」

「ありがとうございます」

「このリンゴも甘くておいしいよ」

「あら、本当に?」

 ユアンが差し出したリンゴを受け取り、口に含んだ。

 シャキシャキとした歯ごたえがして、甘くて酸味のある果汁が口に広がる。

「本当においしいわね」

「ね!」

 二人でリンゴをかじっていると、パスタを食べ終えたゲオルクもそれに混ざった。

「ああ、これもうまいな」

「明日も出しましょうね」

「そうだな。だが、少し量が多すぎて、食べ切る前に悪くなってしまいそうだ……」

「だったら、コンポートにしましょう。それで少しは日持ちするはずです」

「コンポートって何?」

「果物を砂糖水で煮たおやつよ。ユアン君も作ったら食べる?」

「食べる! 食べたい!」

「コンポートだけでもうまいが、パンにつけるともっとおいしいぞ?」

「本当に? 楽しみ!」

 三人でそんなおしゃべりをしながら、仲良くリンゴを食べていく。

 リザの脳裏に浮かぶのは孤児院で過ごした日々。

 あの頃も、状態の悪い果実を近所の農家から分けてもらって、みんなで食べたものだ。

 コンポートを作ったこともあるが、砂糖を節約する為に水だけで煮るか、入れられたとしても少量だけだった。

(あの頃のは、いつか甘いものをお腹いっぱいに食べることが夢だったわね……)

 もう二度と戻らぬ懐かしき思い出。

 それがとても美しかったように思えるのは、あの場所を永遠に失い、思い出を共有できるはずの人々とは離れ離れになったからだろうか。

 だからこそ思ってしまう。

(ずっとこのまま、穏やかな暮らしが続いていけたなら……)

 そんなこと、どうしたって無理なことはわかっていても、願わずにはいられなかった。

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