第5話 脱出

 屯所の隅。まるで隠されるように建てられている小屋の前で、二人の騎士があくび混じりに話していた。

「おい、聞いたかよ。騎士団長たちが来たってさ」

「あー、みんな騒いでたな。俺も行きてぇ」

「行ってどうすんだよ」

「もしかしたら出世コースに乗れるかもしんねぇじゃん」

「んなわけねぇだろ」

 そんなくだらなくもどうでもいいことを話していると、一人の女性が彼らに近づく。

「ああ、あんたか」

 二人は彼女に見覚えがあった。

 自分から厄介事に巻き込まれる変わった女性、リザだ。

「騎士団の団長さんがお二人をお呼びですよ」

 彼女の言葉に二人は顔を見合わせる。

「団長が? 俺たちに?」

「なんの用だ?」

「さあ? そこまでは……でも、すぐに来て欲しいとのことです。それまで、少しの間私がここを見ています」

「ああ、そうか。それじゃあ、頼むよ。行くぞ」

「おお」

 リザの言葉を二人は特に疑う様子もなく信じ、その場を離れる。

 それを見送り、リザは周囲の様子に注意しながら小屋の中に入った。

「ユアン君……」

 ベッドで眠る小さな体。

 リザはその体を揺すって、起こそうとする。

「ユアン君、起きて。ユアン君」

「ん……ん? リザお姉ちゃん?」

「ええ、さっきぶりね」

「なに? どうしたの?」

 目をこすって起き上がるユアンに目線を合わせるように、リザは腰を落とす。

 そして、なるべく平静を装って声をかけた。

「……あのね、ユアン君……私と一緒にお外に出ようか?」

 リザの言葉に、ユアンは目をぱちくりとさせる。

「外……?」

「うん、それで……遠くに行きましょう」

 突然の言葉にユアンが困惑しているのが、リザにもわかった。

 けれども、詳しく話している余裕はない。

 彼女はユアンに手を伸ばす。

「ね、お願い。ついてきて……」

 祈るような気持ちで見つめていると、ユアンはリザの顔と手を交互に見て、ゆっくりとその手を掴んだ。

「……ありがとう」

 不安だろうに、それでも自分の手をとってくれたことが、嬉しかった。

 周囲に注意しつつ外に出たリザたちは、誰にも見つからぬように外に出る。

 幸いなことにユアンがいた小屋がもともと屯所の隅にあることもあり、外に出ること自体は容易かった。

 ただ、ユアンの足取りはどこかおぼつかない。

 もともと足が悪いのか、それとも閉じ込められていたせいで足腰が弱ってしまったのだろう。

 そのため、リザはユアンを抱きかかえて進む。

 たどり着いたのは屯所近くの森。

 そこにあらかじめ隠し置いていたリュックとポシェットを回収すると、そのまま森の奥へと進んでいく。

 夜の森は暗く、道もないので危険だし、歩くのにも時間がかかる。

 けれども、整備された道では間違いなくすぐに見つかってしまうだろう。

 だからリザは山の道なき道を進む。

 せめて地図とコンパスがあればよかったのだが、今からではどうしても手に入らない。

 月や星の位置で方角はだいたいわかるのでそれを頼りに進んでいく。

 勉強の気休めで得た知識が、こんなところで役に立つとは思わなかった。

「大丈夫、ユアン君?」

「うん、だいじょうぶ」

 ユアンはリザの腕の中でおとなしくしているが、その眼差しは空に向けられている。

「どうしたの? 何を見ているの?」

 リザの問いかけに、ユアンはぽつりと呟く。

「空、大きいなあって……」

「……」

 その言葉につられるようにリザも空を見上げる。

 そこには、なんの変哲もない空があるだけだ。

 一つの月と無数の星が散らばり、いくつか雲も見える、普通の空。

 それを、感慨深い様子で見つめるユアンに胸が詰まるような思いをしながら、リザは小さくそうねと呟いた。


 どれほど歩いただろう。

 流石に疲れてしまい、足を止めてユアンを降ろす。

「ごめんなさい……少し、休ませて」

「……大丈夫? リザお姉ちゃん」

「うん、大丈夫よ」

 心配そうに見上げるユアンを安心させようと笑いかけるも、疲れで引きつっているのがわかる。

(これは、どこかで休憩をいれないときついかも……)

 どこかで一息つけるところはないかと周りを見渡すと、どこからともなく水の流れる音が聞こえてきた。

「ユアン君、あっちに川があるみたい。行きましょう」

「うん」

 進んでみると、そこには予想通り川がある。

「ふう……」

 手頃な場所に腰を落ち着けて、リュックを降ろす。

 食料や衣服など、いろいろ詰め込んであるので重量があるのだ。

 もともと手荷物が少なかったのは幸いといえる。

「ねえ、見てリザお姉ちゃん! 魚がいるよ」

 ユアンは川を覗き込みながら、興奮気味に叫ぶ。

「ユアン君、危ないからあんまり離れないで」

 注意しつつも、あの部屋では見られなかったはしゃぐユアンの姿に微笑みを浮かべ、リザもその横に向かう。

「ほら、あそこ」

「わぁ、本当ね」

 夜なので良く見えないが、川の中には魚の鱗が月明かりを反射して光っているのが見える。

 ゆらゆらと揺れるそれを見つめていると、後ろからがさりと音が聞こえた。

「……ん?」

 後ろを振り返ってみると、大きな何かがリュックを漁っているではないか。

(え……)

 それの正体に思い至った瞬間、リザは隣りにいたユアンの口を抑えた。

「むぐっ!?」

 突然の出来事にユアンは驚き身をよじろうとするが、それでもリザは手を離すわけには行かない。

 大きな音を出してしまえば、あれは……熊はすぐにでも自分たちを襲いかかってくるだろうから。

 リザはごくりと息を呑んで、熊の様子を観察した。

 恐らくリュックの中の食料の匂いを嗅ぎつけたのだろう熊は今のところリュックに夢中で、リザたちに興味が無いように見える。

 とはいえ、相手は獣。いつ標的をこちらに向けるかもわからない。

(……リュックはもう諦めるしかないわね)

 なにかの本で書いてあった。熊に奪われたものを取り返してはいけない、と。

 例えそれが、どんなに希少な物であっても、価値のあるものでも、大切なものでも……家族であっても、絶対に。

「……行きましょう、ユアン君」

 小さく囁くと、ユアンはコクリと頷いた。

 なるべく音をたてないように、背中を見せないように、慎重に熊から距離をとっていく。走り出したい衝動を抑え、一歩、一歩、静かに、刺激しないように。

 熊の巨体は小さくなっていき、やがて見えなくなった。

 それでも念の為、できる限り離れる。

 しばらくしてようやく、リザはユアンの口から手を離した。

「ぷはっ」

「苦しかった? ごめんね」

「ううん。でもクマって大きいんだねぇ」

 ユアンは「こんぐらいあった!」と両腕を広げて熊の大きさを表す。

「ユアン君、怖くなかったの?」

「? 何が?」

「だって熊よ?」

「なんで?」

「うーん……」

 どうやら、この子には熊の知識が少ないらしい。

 通りで比較的に落ち着いていたはずだ。熊を目の前にしても、その危険性が把握できなかったに違いない。

 今回はそれに助けられたが、危険性を認識できないのは命に関わる。きちんと教えておかないとならないだろう。

(いや、今はそれより早く山から降りることを考えないと……)

 なにせ持ってきた食料を全て失ってしまったのだ。

 金銭はポシェットに入れていたので無事だが、こんな山の中ではなんの役にも立ちはしない。

 自分はまだしも、体の小さなユアンには空腹は辛いだろう。

 今夜は夜通し歩くことになりそうだ。

 リザは小さくため息とついた。






 一方その頃、屯所内は大騒ぎになっていた。

「駄目です! どこにも見つかりません!」

「やはり森の中に逃げたものと思われます!」

「くそっ! 見張り共は何をやっていたんだ、この役立たずめ!」

 部下たちの報告を聞いたエレウスの怒号が響く。

「おい! 確かリザとかいう女はお前が連れてきたんだったな、これはどういうことだ!!」

 エレウスは激情のまま使用人頭の胸ぐらを掴む。

「い、いえ、わ、私は……私は何も知らないのです、こ、こんなことに、なな、なるなんて」

 彼女は青ざめた顔で必死に弁明を行うも、エレウスは鋭い眼光で睨みつけたまま、再度口を開いて怒鳴りつけようとする。

「エレウス、落ち着け。ご婦人から手を離せ」

 だが、それ以上は見ていられなくなったログウェルが彼を止めた。

「……ちっ」

 命令するなと言おうとしたエレウスだが、彼の後ろに団長の姿を見つけ、忌々しげに舌打ちをすると使用人頭を離す。

「この失態はここにいる者たちではなく、あの少年の重要性を把握しきれていなかった我々にある。それに争っている暇はない」

「そうだな。もしかしたら、あの連中が関わっている可能性もある」

 団長の言葉に、エレウスは目を見開いて口を開く。

「団長、もしや連中というのは」

「ああ、エギヒデム教団だ」

「あの組織は壊滅したはずですが、生き残りなどいるでしょうか?」

「では、そのリザという女性は一人で逃亡を計画し、実行したと? 彼女はあの少年と出会って日が浅いと聞く。可能性としては低いだろう。むしろ、裏で何者かが糸を引いている方が納得できる。そして、あの少年を最も欲しているのは奴らだ」

「確かに……その可能性は高いでしょうね」

 ログウェルも同意の言葉をあげるが、エレウスは非難の眼差しを彼に向ける。

「何をのんきなことを言っている。ログウェル、エギヒデム教団殲滅の指揮をとったのは貴様だぞ。つまり、その女がエギヒデム教団と繋がりがあった場合、討ち漏らしを出した貴様の責任でもあるということだ」

「待てエレウス、これはまだ仮説だ。それに、もしそうだとしてもその責任をログウェル一人に押し付けることはできない」

 団長の言葉に、エレウスは一瞬顔をしかめたものの、すぐに平静を装う。

「はい。了解いたしました」

「うむ。二つの班に分かれて、東西に別れ森を探索をする。それぞれログウェルとエレウスをリーダーに任命する。私はここで待機し、情報収集と伝達を行う。それでよいな」

「はっ、ではすぐに班を編成いたします」

「うむ、頼んだぞ」

 早速騎士を集めようと走るログウェルの背中を、エレウスは忌々しげに睨みつけていた。




(相変わらず腹立たしい奴だ!)

 森の中を進みながら、エレウスは怒号を飛ばす。

「いいか! 草の根分けても女と子どもを探すんだ! 万が一取り逃がしてみろ! この俺が直々に首をはねてやる!」

 彼の言葉に指示に従う騎士たちは顔を強張らせながら「はっ!」と応えた。


 エレウスにとって、ログウェルは疎ましい存在である。

 彼はエレウスとほぼ同時期に入隊し、ほぼ変わらぬスピードで出世を重ねていた。平民出身にもかかわらず、だ。

 代々騎士を輩出している家に生まれ、自身も幼少期より厳しい訓練を受けてきた彼には耐え難き屈辱であった。

 さらに、先日あったエギヒデム教団襲撃作戦。よりにもよってあの男が指揮を取り、自分は従う立場になってしまったのだ。

 実績も実力も決して劣ってはいないのに何故このような采配なのか、エレウスにはわからなかった。

 だからこそ、この状況は彼にとってチャンスなのだ。

 ここであの男以上の活躍を見せれば、自分の方が優秀であることを示せる。

 うまくやれば失脚させることだってできるだろう。

 そのためにも、まずは逃げた女と子どもの行方を掴まなければならない。


 必ずや栄光をこの手にしようと、エレウスはより一層声を張り上げ、部下たちを動かす。

 そのうち、ある一報が彼に届いた。

「何、熊?」

「はっ。何やら、誰かの荷物を漁っているようなのです」

「案内しろ」

 部下の後をついていくと、そこには確かに一匹の熊がいた。

 その熊の周囲には誰かの持ち物であっただろう荷物が散らかっており、それらを入れていたリュックと思わしきものが引きちぎられている。

 そして当の熊は、パンや肉を頬張っていた。

 荷物を調べるには熊の存在が邪魔だ。

 エレウスは呪文を唱えて火の玉を生み出すと、それを熊にぶつけた。

 突然の出来事に熊は飛び上がり、周囲を警戒する。そして自分を攻撃したエレウスたちの存在に気づくと、唸り声をあげて威嚇した。

 だが、エレウスはそれに構わずまた何度も火の玉を放つ。

 それに怯んで、熊は獲物を置いて逃げ出した。

「ふん、他愛ない」

 熊が散々散らかした荷物を手に取り、中身を確認する。

(中に衣服は女物……やはり、あの女の物である可能性が高いな)

 エレウスは口角を上げる。

 自分に運が向いていることを感じたのだ。

「連中は近くにいる! 徹底的に探せ!!」

 エレウスは大きな声で命令を発する。

 その脳裏には自分こそがログウェルより優秀であると証明され、正当な評価が得られる場面が思い浮かんでいる。

 森の木々の奥で、熊がじっと睨みつけていることには気づくことはなかった。


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