第一章 炎獅子の青年②

「着いたぞ」

 ホムラの声に、アスカはそっと目を開ける。

 最初に目に飛び込んできたのは、そうされたいしだたみの道だった。道をはさんだ左右には石造りの家々が立ち並んでいる。草木はなく、むき出しの地面から湯気のようなものが立ち上っていた。

 ホムラはアスカの入った球体を地面におろした。

 アスカの全身をおおっていた光の球体が消えせる。

 これ幸いとアスカは石畳の上でぐったりと座り込んだ。

「おいおい……だいじようか?」

「だいじょばないです……」

 あんな速度で運ばれて正気を保っていられるほど、アスカはぜつきようマシン系に強いわけではない。何より、の口にくわえられての移動など、もはや生きた心地ここちがしなかった。

 真っ青になったアスカを、人型に戻ったホムラが怪訝そうに見下ろしている。

「ホムラ……これは、どういったじようきようで?」

 りんとした男性の声に、アスカはせていた顔を上げた。

 そこには美しい男性が立っていた。

 こしまであるつややかなくろかみを無造作に流し、あざやかな紅の両目が不可解なものを見るように細められている。けるような白いはだをもつ貴人は無表情でアスカを見下ろした。

 まとっている衣服が、アスカのいた世界の神父服とどことなく似ている。

「戻った、カヅチ」

「おかえりなさい、ホムラ」

 ホムラとカヅチが親しげにあいさつわした。

「アスカ、しようかいする。神官長のカヅチだ。実質、現在のフェルノ国のトップだな」

「誤解を招く表現はやめてください。私はただ、先王の命に従って行動しているのみ……言わば代理です」

 カヅチはジロッとホムラを横目でにらみつけると、深いため息をついた。

「ええっと……は、初めまして……アスカです」

 アスカはあわてて立ち上がり、カヅチに頭を下げた。

 とりあえずえらい人、とアスカはカヅチをにんしきすることにした。

「初めまして。火竜のカヅチです」

「ひりゅう……?」

 首を傾げるアスカの様子に、カヅチがあきれ顔になる。

「炎のドラゴンですよ。そんなめずらしいものではないはずですが?」

「ド、ドラゴンッ!?」

 アスカはひゅっと息を吞み込み、絶句する。

「アスカ、お前さっきからおどろき過ぎだ」

 呆れるホムラの横で、カヅチは疑わしそうな目でアスカを見下ろしている。その視線におじづき、アスカは余計に身をこわらせた。

「そんなことより、カヅチ……急いでこいつに『光の祝福』を施してやってくれ」

「このむすめさんが何者かもわからないのに、ですか?」

「おう。少しばかり気がかりでな。事情が分かる前に、こいつがしようめつするのはけたい」

 ホムラがいつしゆんだけアスカを見た。アスカも思わずホムラを見つめ返す。

「何かあれば俺が対処する。とりあえず、事情を聞く時間だけでもほしい」

 ホムラの言葉に、カヅチはこついやそうな顔でため息をついた。

「……わかりました。そこまでおっしゃるのでしたら、私も反対はいたしません。とりあえず、肉体の再構築を急いで行いましょう」

たのむ」

「さ、こちらです」

 カヅチはアスカとホムラをしん殿でんへ招き入れた。

 そこは、とにかくきよだい、その一言にきる。

 柱からそうしよく、通路のはばに至るまで、すべての規格がトラックなどの大型車両が通れる規模で作られている。柱一つとっても、その太さは大人三人ほどが、両手を広げて手をつないで輪になる必要があるほどだ。アスカの住んでいたアパートがこのろうに丸々入るのではないか。

 おとぎ話に登場する小人にでもなった気分である。

「すごい……人が、空を飛んでる」

 アスカは周囲へ視線を投げ、そっとこぼした。

 ホムラがけものから人間の姿に変わった時も驚いたものだ。

 行きう人々は本当に多種多様な姿をしている。

 人間のような姿もあれば、獣耳、尻尾しつぽを生やしたじゆうじんもいた。

 それだけではない。

 獣の姿のままの者。

 炎がそのまま人の姿をかたどったような者。

 竜らしき体の一部が、向かいの通路側からのぞいている場合もあった。

 神殿の巨大さとその場を行き交う多種多様な人々の姿に、アスカの目はくぎけになる。

 驚きのあまり、目をそらすことができなかった。

 そんなアスカの様子を、カヅチがどこかさぐるように見つめている。

「こちらです」

 曲がり角に差しかった辺りで、カヅチがアスカをうながした。

 そのまま神殿の廊下を進んでいくと、奥まった場所に巨大なてつが見えてきた。両開きの鉄扉は二階建てのアパートほどの高さがある。

 アスカがぼうぜんと鉄扉を見上げる。その巨大さにはもうあつとうされっぱなしだ。

 ホムラがつかつかと鉄扉へ歩み寄った。

「よっ!」

 掛け声とともに、ホムラが鉄扉を軽々と手で押し開ける。細かなほこりゆかに落ち、鉄扉がみみざわりなきしみを上げた。

「すごいっ……力持ち!」

 どう見ても人ひとりのわんりよくで簡単に開くようなとびらではない。それをあまりにも平然と開けてみせる様子に、アスカは感動してはくしゆを送った。肉体がないのであくまでも身振りだけである。

「そりゃ、毎日たんれんしてんだ。とはいえ、そうなおめられんのは悪い気がしねぇな」

 ありがとな、とホムラがどこかはにかんだように笑う。

 それまでの厳しい表情から一変、子どものようにじやに笑う彼にアスカも目を見開いた。

 ただこわい人だと思っていたが、こんな表情かおもするのか。

「ここから先が聖堂になります。私からの許可なしで、みだりに周囲の物にれることのないように」

「は、はい……」

 カヅチの忠告に、アスカは気を引きめた。

 アスカたちは扉をくぐる。その先は舗装されていない隧道トンネルが続いた。

 てんじようからはしようにゆうせきが垂れ下がり、ここがどうくつ内に建てられていることがわかる。周囲に大小様々な石柱が並び、やがて広い空間に出た。

 人工的に平らにされたらしいそこには、地面にほうじんが刻まれている。

 よく映画などに出てくるいけにえささげる場所みたいで、アスカはごくりとのどを鳴らした。

「魔法陣の中央へ行き、そこに座ってください」

「は、はい……」

 カヅチの指示に従い、アスカは床に刻まれた魔法陣の中に座る。

「アスカ、そんなにきんちようしてっとつかれるぞ? かたの力け」

「ムリです」

 呆れるホムラに、カチコチに固まったアスカは言い返した。思わずカヅチをぬすみ見るが、彼は特に表情を変えることなく床にえがかれた魔法陣を入念にチェックしている。

おそろしいなら、終わるまで目をつぶっていてください。下手へたさわがれてもめんどうなだけですので」

「べ、別に騒いだりは……」

「そうですか。ここに来るまで、大変落ち着かないご様子でしたので」

 カヅチは表情を変えぬままてきした。そう言われてしまえばぐうの音も出なかった。

「では、始めます」

 目を閉じたカヅチが、胸の前で両手を組んだ。何やら小さく唱え始める。

 アスカも慌てて目をつぶった。

 大丈夫、痛くない痛くない。

 子どものころに受けた予防接種を思い出しながら、アスカはひたすら胸の内で「痛くない」と唱えていた。

 やがて、全身がぽかぽかと温かくなってきた。最初は指先に、そこから全身をめぐってじんわりと熱が体にわたっていく。

 あたたかい……。

 まるで温泉にかっているような心地ここちだ。思わずホッとあんの息をつく。

 トクッと、自分の胸の辺りがうずいた。

 それまで脈打つことを忘れていた心臓が確かに動き出す。

 そんな当たり前のことが、なみだが出るほどうれしかった。

 閉じたまぶたの裏で、ちかりと何かが光る。

 何だろう?

 うっすらと目を開ける。カヅチが目を閉じて、何やら唱えている姿が見えた。足元の魔法陣があわかがやいている。

 魔法陣の光かな?

 アスカは再び目を閉じた。しかし、くらやみになるはずの視界にらめくものがある。今度はそのまま、揺らめくものを見つめた。

 ほのおだ。それも黄金に輝く炎が、その勢いを増してせまってくる。

 アスカは、顔をわずかに上げた。

 炎の中から、真っ黒なひとかげが覗き込んできていた。黒い人影は小枝のように細いうでをこちらにばしてくる。

 黒い人影はかすれた声を発した。


 助けて──。


「いやぁあああぁあああっ!」

 かんだかい悲鳴が自分の喉からほとばしった。

「アスカ!?」

 ホムラがあせった様子でみ込もうとする。しかし、ホムラの行く手を魔法陣から立ち上った炎がさえぎった。カヅチもとつに魔法陣からはなれる。

「これはっ……!?」

 立ち上った炎を見たカヅチが息をんだ。

「黄金の炎!?」

 黄金の炎はアスカの全身をおおい尽くすと、巨大な鳥の姿へと変じた。

 炎の鳥は甲高い声を上げ、つばさを羽ばたかせている。

「まさか……不死鳥……」

 呆然とつぶやいたカヅチをいちべつし、炎の鳥は広げた翼を折りたたむ。やがて、ただの炎のかたまりへと縮小し、アスカの身体からだへ吸い込まれるようにして消えた。

「アスカ!」

 ホムラがすぐさま魔法陣の中へ飛び込んだ。うつむくアスカの肩をつかみ、名前を呼びかける。

「黒い、人物が、来た。すぐ近く……また、私の方に……」

 アスカはぽろぽろと涙をこぼし、悪夢にうなされた子どものように両腕を伸ばす。

 ホムラはいつしゆん、アスカの行動にまどった。そくに自分の外套マントいでアスカに着せると、その上から彼女の背を軽くたたく。

「落ち着け、アスカ。まずはゆっくり深呼吸しろ」

「黒い人物……?」

 カヅチが顔をしかめる横で、ホムラはアスカを落ち着けようと彼女の背をひたすらさすった。

 しばらくして、アスカはようやく落ち着きを取りもどした。アスカは謝罪の言葉とともに、気まずそうにホムラから身を離す。

 そこで、自分の腕に目がいった。細くて白い自分の腕を見て、その視線を下へ向ける。

「えっ、うそ……服はっ!?」

 再びさけぶアスカに、ホムラがカヅチをり返った。

「カヅチ、アスカの服を──」

しん殿でんで支給している服をご用意します」

 ホムラの視線を受けたカヅチが小さくうなずいた。

 ひやりとする空気にぶるいし、アスカは盛大にくしゃみをした。まるで今まで忘れていた感覚が一気に押し寄せてきたみたいだ。アスカの全身ががたがた震え出す。

「さっむい!」

「どうやら、感覚は正常に戻ったようですね。肉体の再構築に成功したようです」

 ホムラから借りた外套でひとまず体を包んだアスカに、カヅチは冷静にぶんせきした。

「それでご自身としてはいかがですか? 身体や感覚にかんはありませんか?」

 カヅチの問いかけに、アスカは自分の両手へ視線を落とした。

 手をにぎり、広げることをり返す。

 はだでればがしっかりとそのかんしよくを伝えてくる。ゆかを撫でれば、ザラザラとした石のざわりがした。当然、すり抜けるようなこともない。

 現状では身体に異常は感じられなかった。

「特に今のところは……」

 アスカの回答に、カヅチはゆっくりと頷いた。

「いつまでもその状態ではいけません。えの衣服はこちらで用意させますから、温泉にでも浸かっていらっしゃい」

「えっ! 温泉!」

 パッと表情を輝かせたアスカに、カヅチが笑いかける。

「フェルノは国土の半分が火山地帯の国です。温泉はこの国の名物、きっと気に入っていただけますよ。ホムラ、連れていって差し上げてください」

「別にそれは構わないが……」

 ホムラが何か言いたげな様子だったが、カヅチはがおで軽く首を振った。

「私は少し、調べることがあります」

「……わかった」

 ホムラがため息交じりに応じる。ホムラは無造作にアスカをよこきにした。

「えっ!? いやいや、自分で歩けるので!」

あしじゃさみぃだろ。いいから運ばれとけ」

 赤面して暴れるアスカを軽く受け流し、ホムラは笑った。

「それに、ここへ来るまでの様子じゃ、ぜってぇ迷子になるしな」

「……よろしくお願いします」

 ホムラの指摘に言い返せなかったアスカはただ身を縮ませた。

「おう、任せろ。カヅチ、後はたのんだ」

「ええ。のちほど、私のしつ室にいらしてください」

 軽く言葉をわすと、ホムラはけ出した。

 その動作は人ひとりかかえているとは思えないほど、かろやかだった。

 まさかこの年になって異性に横抱きされるとは思わなかった。

 初めての体験にアスカはすっかり混乱していた。

「しっかし、おどろいた。炎を出すなら出すと、最初に言っといてくれればよかったんだが」

「えっ……炎?」

 一体、何の話だ?

 ホムラを見上げると、彼もこちらを見下ろしている。

「さっきの『光の祝福』で体を再構築した際、お前の身体が炎に包まれたんだよ。まぁ、そうめずらしい現象じゃねぇけどな」

 平然と言ってのけるホムラに、アスカはギョッとした。

 思わず自分の両手を見下ろして不安になる。

火傷やけどとかはしてないみたいだけど……それって危なかったんじゃ?」

 そもそも、人間の身体が自然発火することがつうの国ってどうなんだろう。

「お前、自覚してなかったのかよ」

 不安そうなアスカを見下ろし、ホムラは半ばあきれたようにため息をついた。

「炎の色はその人を表す。昔、親父おやじからそう聞いたことがある。お前の正体も、そのうちわかるだろうさ」

「いや、私は人間です」

「あー、はいはい。今はそういうことにしておく」

 ホムラの言わんとしていることはわかる。

 普通の人間が、死んでもこの世にとどまっているのはおかしいと言いたいのだろう。

 彼と出会ったときの様子から、それくらいのことはアスカでも察せられる。

 アスカは自分の両手を見つめ、握ったり開いたりを繰り返した。

 しきを受ける前とちがい、握った感触がしっかりと伝わってくる。

 アスカの素足をす冷たい空気やホムラの肌から伝わる体温も、先ほどまでにんしきできなかった感覚だ。

 今はとにかく、助かったらしいってことを喜ばなきゃ。

 アスカはそう自分に言い聞かせて、自分の中でふくれ上がる不安を無理やり押し込んだ。

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