第5話 一学期、中間試験【後編】


佐々良ささら、話をしようか」


 先輩は片づけを終えて帰り、部室には一年生である私たちだけが残った。私と佐々良は気まずくない程度の間を開けて向き合うように座っている。浮田うきたは私のやや斜め前に立ち、不服そうな顔をして腕を組んでいた。

 佐々良は私の膝辺りに視線を寄越しながら話を始めた。


「話って、そんなたいそうな物でもないんだけど……あ、時間取らせてごめん。えっと、それで…………」


 彼は人に伝えることを考えていないようなぼそぼそした声でしゃべる。口下手を悪いとは思わない。しかし、妙な間と特に意味を成さない前置きをじっれたいと感じてしまうのは仕方ないだろう。私はそれとなく相槌を打ちながら、彼が本題を切り出すのを十分に待った。それでも彼は何かをためらうようにずっとその調子なので、私はついにこちらから切り出すことにした。


白木しらきが、どうかしたんでしょ」

「う、うん」

「どうしたの」

「えっと、その」

「前置きはいいよ。もう十分。予防線だってばっちり。なんも気にせず話してみなって」


 苛立ちを抑え、努めて穏やかにそう促した。

 佐々良は親指の爪を人差し指の爪でこするような所作をしていた。癖なのだろう。彼にとってストレスになり得ることをなぜ話そうとしているのかが気になった。


 空はだんだんと昼の青さを失い始めていた。美術部は早くに帰る生徒が多いが、熱心な野球部や吹奏楽部は下校時刻を過ぎても残る。今は五時五十五分だ。私は下校時刻や他の部活のことを考えて、あと十分くらいなら彼に時間を割くのも仕方がないと思っていた。


 それじゃあ、と言ってようやく佐々良は話を始めた。


「白木さんが……その、昼休みとか、放課後とかに……すぐにどっか行っちゃうから…………」


 わざわざ話しかけてきた割には随分とありふれた話のように思われた。ここまでに五分はかかった。その価値があるのかはわからない。

 それはさておき、なぜ佐々良が白木の行動を知っているのかという疑問があった。浮田は心得たように私の疑問に答え、「同じクラスなんだよ」と知らせてきた。


「へえ。佐々良は白木と同じクラスなんだね」

「そう、同じクラスだから知ってて。それで、えっと……」


 彼が息を詰めたような気配がした。これ以上意味のない言葉を聞くつもりは無かったので、私は柄にもなく足を組んでプレッシャーを与えた。慣れないことは好きではないが仕方ない。

 うっ、とどこから出したのかわからない声を出してから、佐々良は絞り出すようにして言った。


「…………住谷さんのことを、好きになったのかなって」

「白木が私を?」


 こくんと頷く佐々良を見て、私はその何が問題なのかと考えた。


 好意からなのか、それとも依存先としてなのか。白木は私と浮田に隙あらば接触してくる。最初こそ私が目的だったようだが、浮田が排他的な態度を改めてからは浮田と会話することが増えた。白木が踏み込み過ぎた場合も浮田がさりげなく遠ざけている。私と浮田が話し、白木が私に話しかけ、浮田が白木に答えるというのがおよそ三人の関係として正しい構図だ。今の状況を見て白木が私を好きだと思うのは違和感があった。傍目から見るだけなら浮田の方が仲が良さそうに見えるからだ。

 それならば、佐々良がそんな考えを抱いたのは入学してすぐの、もっと言えば私に自ら会いに来たあの日からあまり経たないうちのことだろうと推測される。このタイミングで話してきたのは彼の口下手が原因だとしても、入学後の白木の行動をあえて気にするのだとしたら。


「ああ、小学校では佐々良だったのか」


 佐々良は黙ったまま顔が見えないほどにうつむいている。私は組んでいた足をほどいて楽な姿勢に座りなおした。それを一つの区切りと見なしたのか、ほとんど口を開かなかった浮田が確認のように言った。


「白木さんは小学校時代、佐々良くんについて回っていたってことで合ってる? ちょうど今、私たちに毎日会いに来るみたいにさ」

「……そうだよ。中学校に入ってから、白木さんは俺に話しかけてこなくなった……避けられてるわけじゃない。けど、俺の代わりが……できたんだなって」


 はあ、と私は大きな溜め息を吐いた。くだらない。白木が誰に構おうと勝手だろう。

 浮田は近くにあった椅子を引きずってきてどかっと座った。私と膝がくっつきそうなくらいの位置だ。彼女は私に当たらないように足を組んで、太ももに肘をつくような形で頬杖を突いた。そして、あからさまに気が抜けた様子の私を見て言った。


「白木さんって、一番の人に着いていってる感じなんだね」

「あいつが私に構う理由は確定した。でもなあ……」


 内股をぴったりとつけて縮こまった佐々良を見る。恋愛は私の管轄外だが、様子を見るに彼の感情はもっと単純なもののように思われる。押して駄目なら引いてみろ、でまんまと気になってしまったような。

 白木にその気はないのだろうが、図らずもこの状況は、積極的に関わってきていた相手が突然別の人にアプローチするようになり、自分に全く構わなくなったという状況だ。いつから白木が佐々良に関わっていったのかは知らないが、年単位のことだったのだろう。戸惑うのも仕方がないのかもしれない。さらに言えば、彼の社交性の低さには白木が関係している可能性もあるくらいだ。


 私は面倒になって椅子から立ち上がり、自分の鞄を担ぐ。浮田は慌てて椅子を元の場所に戻して鞄を引っ掴んできた。

 そのまま部室のドアに向かって歩こうとしたが、視界の端に戸惑った佐々良が見えたので振り返って言った。


「今日は初めての告白で疲れたでしょ。いったん心情整理して、もう一度話してみてよ」


 私は返事も聞かないままにドアに歩いて行った。浮田が背後で「戸締りよろー」と言っていた。




 部室を出ると吹奏楽部が廊下でミーティングをしていた。六時になる前にミーティングをして形式上終わりにするらしい。あくまで形式上だ。この後も部員たちが自主練習をするのだから、社畜教育が徹底されていると感心する。

 しかし私はそのミーティングに加わって、全校に騒音をまき散らすのをやめてはどうかと提案したかった。彼らは放課後になると職員室付近以外の全校に吹奏楽部が散らばり、我が物顔で何十デシベルの爆音を鳴らす。もし美術部のOGが防音ドアを導入していなかったら正式に抗議文を出すところだったくらいだ。


 面倒事があった後に聞く吹奏楽部の演奏は特に気に障る。全国大会で賞が狙えるレベルだとか、そんなことはどうでもいい。聞きたくないときの音楽は、ロックでもクラシックでも子供の喚き声と同じくらいにうるさく感じるものだ。


 早く帰ろうと思って会談へ向かう途中にミーティングが終わったらしい。けたたましい「ありがとうございました!」の声に、私の苛立ちは一気に高まった。思わず彼らの方をにらみつけると、不運なことに白木がいた。そして目が合った。


「浮田」

「はいはい」


 手で顔を覆い隠すように頭を抱えた私を浮田が支える。背中に手を当てながら腕をつかみ、一見すれば体調不良者と介抱する人のようだろう。即席のカモフラージュとしてはなかなかのものだ。

 浮田は駆け寄ってこようとした白木を軽く手を上げることで拒み、私の歩行を補助するようにして階段を共に下りた。そして、白木の視界から消えただろうところで演技をやめて、速足で二階と三階の踊り場まで駆け下りた。


「背中は触らないで。変な感じがする」

「すみゃあ13サーティーンだもんね」

「ああ。まあ意識しても背後からしゃべられるのは無理だよ。触られるのはもっと。ぞわぞわして居た堪れない」


 私たちは先ほどと打って変わってゆったりと階段を下っていった。運動部の掛け声や吹奏楽部の音、誰かの遠い話声が聞こえる。日の入りまであと四十分程度で、空の色は少しずつオレンジ色の範囲を増やしつつある。


「えー? じゃあ今のけっこう耐えてた感じ?」

「いっそ振り払ってやろうかと」

「あはー、ごめんごめん」


 白木や佐々良のことなど忘れてしまいたかった。面倒なのだ。一人になってしまえば完全に公のことなど忘れられる。でも、学校にいるうちは、浮田は忘却材として働く。たわいない話。くだらない。それだけでいい。


「ねえ、すみゃあ」


 下駄箱で靴を履き替えている途中に浮田は話しかけてきた。私は入学後しばらくして自転車を買い、帰りながらの会話はなくなった。だから、この辺りが一日最後のまともな会話になる。


「なに」

「白木なんて、いらないよね」


 私はなんだかおかしくなって、ふふっと笑った。


「私よりもお前の方が白木としゃべってるでしょ」


 浮田は「それもそっか」と言って、靴のつま先でとんとんと地面を蹴った。


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