第16話 思い描く理想
アンネからもらった帽子を被って、ステラはニコニコと鏡を覗き込む。
伯爵家に帰ってすぐに着替えたドレスは天文台へ行く日のために用意していたお出かけ着。装飾が控えめで、動きやすい。
「意外と合うわね」
パーティー用の帽子の代わりにともらったものだから、控えめなドレスに合うか不安だったが、絶妙なバランスで合っていた。
これなら次の外出に使えそうだと、心が弾んでくる。
「ええ、とても」
ユッタが控えめに微笑む。
「……ところでステラ様」
「何?」
なんだかユッタはずいぶんと気まずそうだった。
「……殿下が、その、お披露目パーティーの日に駄目になった帽子の代わりを贈ると言っていらっしゃるのですが……」
「え? あ……ああ!」
そういえば、とあのお披露目パーティーの日を思い出す。
ゴタゴタの中で、ヘンリックはステラがアンネに帽子をあげてしまったのを見て、代わりのものを用意するとかなんとか言っていた気がする。
色々あってそれどころではなかったので、今日の今日まで忘れていた。
「……それって、もしかして天文台に行く日に間に合っちゃう感じ?」
「はい……」
ステラは帽子に手を当てた。
せっかくアンネからもらった帽子だ。さっそく着用していきたい気持ちは大きい。
その一方で、せっかく王太子が自分のために用意した帽子を被っていかないというのは、さすがにヘンリックに失礼だとも思う。
「……ふたつ頭があればよかったんだけど……」
無茶苦茶を呟きながら、ステラはもう一度鏡を見る。
「……また今度にします。そうね、アンネ様との次の約束の時にでも」
とても名残惜しそうにステラはそう言いながら、帽子を脱いだ。
「かしこまりました」
ユッタはステラから帽子を受け取り、丁寧に箱へ収めた。
「……でも、そもそも殿下、贈り物をするのには色々と差し支えがあるとか言ってなかったかしら……?」
オルティス公爵令孫のソルがやって来たときの一悶着で、そういうことを言っていたはずだ。
「おっしゃっていましたね。それはそれとしてまあ帽子については補填のようなものですし……」
「婚約者からの贈り物についている肩書きが補填ってどうなのかしらね……」
ステラは複雑な顔になる。
これまでは、別にそこまで気にしては居なかった気がする。
自嘲的な気持ちにこそなれ、そもそもヘンリックとちゃんとした婚約者になりたいなどと、思いもしない。
しかし、アンネとの会話を経て、ステラの意識は少しばかり変わってしまった。
『殿下にふさわしい人間になりたい』
自分がそんなことを言う日が来るとは思いもしなかった。
言ったはいいが、それがどんな人間か、ステラにはちっとも思い浮かばなかった。
(……そもそも殿下がいくらなんでも型破りすぎるのよ……。あれにふさわしい人間ってどんなのよ……)
恨み節が胸中にふつふつと湧き上がってくる。
(……ワインでも飲めるようになればいいのかしら……)
絶対に違うと思いながらも、ステラはそんなことを心中つぶやく。
そう、そんなことしか知らない。
ヘンリックのことなんて、ワイン好きの、自分勝手な王子だと言うことくらいしか知らないのだ。
「…………」
アンネに宣言して少しばかり立ち直したはずの気持ちがまたしぼんでいくのがわかる。
他には何を聞いたっけ。
そういえばアダムと取っ組み合いの喧嘩をしたと言っていたか。
さすがにこれは子供の頃の話だろうけれど。
しかし、今でもアダムはヘンリックの頭を容赦なく叩いていた。
それから、そうだ、アダムが『普通ではない』ヘンリックとアンネに『普通に』接してくれる、だったか。
しかしそれはアンネの認識だ。
ヘンリックがどう思っているのかはよくわからない。
別にアダムのことが嫌いということはなさそうだったが。
他に、気になることはと言えば――。
「……ねえ、ユッタ。殿下って……なんというか、その、アンネ様にも……ルナ様にも……あとうちの弟にも優しい気がするんだけれども……」
ステラは前々から気になっていたことをユッタに尋ねていた。
ユッタはきょとんとした。
「ルナ様……オルティス公爵のところのルナ様ですか」
「ええ……」
「はあ……彼女と殿下とはあんまり関わりはなかったとは思いますが……まあ、そうですね。女子供に助けを求められたら、できることはなさるお方ではあると思いますよ。ステラ様の弟君はまだ幼くてらっしゃるのでしょう?」
「ええ。まだ六歳よ。……じゃあ、もしかして、私、殿下にとっての女子供に入ってないのかしら……?」
「……ああ」
ユッタは苦笑した。
「そうかもしれませんね」
「ぐう」
子供扱いされていたとしたらもちろん業腹だが、女扱いされていないのはそれはそれで少々腹が立つ。
そもそもステラは婚約者なのに。便宜上とは言え。
「ええとですね、ここで言う女子供というのは……つまり庇護対象と言うことでして……」
ユッタが珍しく言い淀む。言葉を探しているようだった。
「つまり……ヘンリック殿下は、妻には対等であることを望まれているのだと思います」
「……対等」
無茶な。
こちらは身分だけかろうじてある没落令嬢で、相手は王太子だというのに。
「王妃様がそういう方ですからね」
ユッタは親しみを込めて王妃を呼んだ。
そういえば、ユッタは元々王妃の侍女の娘だったか。
……そのような人間をわざわざ付けてくれたところに、ヘンリックの本気度がうかがえる。ユッタという一人の侍女を通じて、『ステラは王太子妃候補である』という意思表明を確固たるものにする。
これがどこまでの人間に対して有効かはわからないが――ステラも今の今まで気付いていなかった――ヘンリックの意図が初めて少し掴めた気がする。
「そりゃ……王妃様は隣国の王女様で、そもそも講和のために嫁いでこられたのだものね……。陛下とも対等、というか、ええ、気概も身分も申し分ない方でしょうけど……」
そしてその原因は我らが星見伯家の失態なのだが。
そう思うと不思議な感じだ。
祖父が星見を間違えなければ、ヘンリックは産まれてくることもなかったのかもしれないのだから。
「……それを私に求められるのは、あの、荷が重いのですけど……」
「それはまあ、そうでしょうね」
ユッタが困ったようにうなずいた。
「しかし、人の固定観念というのはなかなかに拭いがたいものですから……ステラ様にだって、なんと言いますか、理想の夫婦像みたいなものはありますでしょう?」
「理想……」
ユッタの言葉に両親を思い出す。
母はもうこの世にはいないが、それでも仲睦まじい夫婦だった。
母は知らなかったはずの星見を父から習い、ステラに星図を遺してくれた。
お互いを優しく包み込むような、そんな夫婦だった。
ステラはそんな両親が大好きだ。昔から、今でも。
「……理想」
もう一度呟いて、ステラはため息をつく。
それが自分にとっての理想の夫婦だというのなら、ヘンリックとの間には望めそうにもない。
自分は母のように柔軟にはなれない。
母は父の持っているものを尊重し、よく学んだ。
父はそんな母に、惜しみなく自分の知識を分け与え、ともに歩んでいた。
自分はヘンリックを尊重したことがあっただろうか?
ヘンリックから何かを学びたいだとか、理解したいだとか、そんなことを、思う機会もない。
「……ゆっくりでよろしいと思いますよ」
優しくユッタがそう言った。
「ゆっくりで、よろしいと思います」
たしなめるように二度言われて、ステラは苦笑いをした。
外はまだ雨が降り続き、今夜の天体観測はできそうになかった。
それはステラにとって、とても心細いことだった。
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