01 手を振る彼女は真っ赤に燃えて



 電車の中だけのロマンスだなんて言えば聞こえはいいが、彼女との朝はいつも同じで代わり映えはしない。


「おはよう」


 という一言から始まり、少し会話をすることもあれば無言の時もある。

 彼女から話しかけるのは最初のおはようだけ。あとは眠そうにあくびをしながら、俺の問いに適当に答えてくれるだけである。


「あの、氷南さんは部活とか入ってるの?」

「なんで?」

「い、いや帰宅部はダメだって。この前先生に怒られたから」

「私も言われた」

「そうなんだ。じゃあ、部活決めたの?」

「……文芸部」

「へぇ、文芸部って本読んだりするところだよね?俺もそうしようかな」

「部室は図書室の隣」

「そ、そっか」


 こんな感じで会話が途切れる。

 電車で一緒なのはせいぜい二十分程度。気が付けば学校前の駅につき、彼女は静かに立ち上がり先に行ってしまう。


 そんな彼女だけど、まだまだ狙っている男子は多く時々他のクラスから声をかけにやってくる奴やその姿を見に来るだけの連中までいる。


 最も、誰一人として相手にはされず、窓際に座る彼女は席を立つこともほとんどない。


 ずっと一人で外を見たり本を読んだりしながらじっとしている。


「おい、氷南さんのことばっかり見てるけどまだ未練あるのか?」


 と俺に声をかけるのはクラスメイトの羽田誠はねだまこと

 中学からの腐れ縁、イケメン枠に所属する彼はそれでいて事情通でもある。


 学年の可愛いどころの女の子のことは彼に聞け、というのが俺の中学から変わらない常識で、それは高校になっても継続している様子。


 アイドルみたいなキリッとした顔つきに明るい性格で常に彼女がいるようなやつだが、それでいて女子からチャラ男扱いも受けずに誰とでも仲良くしているのだから恐れ入る。

 はぁ。俺もこいつみたいな人生を歩んでみたかった。


「あのさ、氷南さんって文芸部にいるの?」

「確かこの前入ったって話は聞いたような。でもうちの文化部なんて幽霊だらけだし行ってないんじゃね?」

「そっか」

「お前も入るのか?部室なんか誰もいないぞ」

「うーん」


 悩んではみるが、実際文芸部に興味はない。

 あるのは氷南さんへの興味だけだ。

 彼女が来ないのであれば入る意味はないが、かといって他の部活に入るよりはましなのかと、そんなことで悩む。


「お前さー、もっといけそうなとこ狙ったらすぐ彼女できると思うぜ?顔は悪くないんだからよ」

「べ、別にそんなんじゃないから」

「はいはい。まぁそろそろ部活くらいは決めとけよ」

「わかったよ」


 とまぁこんな感じで羽田と時々話して授業を受けての繰り返しで適当に一日を終える。

 

 そして帰り道、やはり期待せずにはいられない。

 なぜかは言うまでもない。氷南さんと一緒に電車に乗る時間だからだ。


 しかし昨日とは逆で、今日は彼女の姿が見当たらない。

 もしかして何か用事でもできたのかと駅の前で彼女の姿を探してみたが、しばらく経っても彼女の姿は見えない。


 連絡先も知らないのでただ待つしかなく、それでも一時間ほどが経った頃に俺は諦めそうになる。


 いくら約束をしたからと言っても口約束だけだし、そんなもので勝手に同級生に待ち伏せされているのも迷惑なんじゃないかと、そう思ったりしてしまう。


 だからあと十分待ってこなかったら帰ろう。そう決めた時駅に向かって走ってくる彼女の姿が見えた。


「「あっ」」

 

 とお互い見合わせて声が出た。


「氷南さん、大丈夫?」

「……別に。待ってくれてるなんて思ってなかったし」

「あ、いや俺もそろそろ帰ろうかと思ってたところで……」

「嘘つき」

「え?」

「待つならちゃんと待っててよ」

「あ、ごめん」


 彼女はぷくっと頬を膨らませていた。


 危なかった。ほんと結果オーライというやつだが、なんとか今日も彼女と一緒に帰ることができる。

 怒られはしたが、それでも彼女と帰れるので良しとしよう。


「あの、今日はどうしたの?」

「別に。それより何で部活入ってないの」

「え、ええとやりたいことがないから、かな」

「文芸部、入るって言ったのに」

「え?」

「なんでもないもん」


 また、彼女は伏せてしまう。

 しかし珍しいこともあるもので、今日は顔を伏せたままだが彼女から話題を振ってくれた。


「明日は、一本早い電車に乗らない?」

「う、うん。いいけど」

「いや、なの?」

「そ、そんなことないよ。じゃあそうするね」

「うん……」


 ふと彼女の方を見てみると。

 もう、窓から射す夕陽のせいなのかどうかわからないくらい彼女の顔が真っ赤に染まっていた。


 そしていつもの駅に着くと、彼女は下を向いたまま、少し急ぐように降りていった。


 翌日。


 いつものように彼女が次の駅で乗ってきて、やはり俺の隣に腰かける。


「おはよう」

「おはよう。早いけどなにか用事でもあるの?」

「この時間だと人が少ないから……」

「あ、なるほど。確かにそうだね」

「……ねぇ」


 珍しいことは続くようで、今日も彼女が何か話をしてくる。


「うん?」

「昼休み。お弁当は何食べてるの?」

「いつもコンビニのパンだけど。氷南さんは?」

「お弁当。一人で食べてる」

「そ、そうだよねいつも静かだもんね」

「……」


 また黙ってしまった。一体何の話がしたかったんだろう。


「あの、氷南さん」

「……」


 彼女は眉一つ動かさず、全く表情を変えない。

 気まずい空気になってしまった。

 

 でも、このままいつもの通りではダメだと思い、勇気を出して今度は俺から話題を作る。


「そういえば部活なんだけど」

「文芸部。今日から私、いくから」

「そ、そうなんだ。俺も入ろうかな」

「(ほんとは昨日もいたけど……)」

「え?」

「知らない。入るんならちゃんと来て」


 と言ったところで、ちょうど駅に到着した電車から先に彼女が降りていく。


 その少し後ろを歩きながら登校して、いつものように教室へ。


 相変わらず静かな彼女を横目に見ながら授業を終えて休み時間。


 羽田が嬉しそうに俺のところにくる。


「おい泉。また氷南さん見てんのか?好きだなーお前も」

「ち、違うってそんなんじゃ……ない」

「あれは無理だよやめとけ。この俺ですら相手にされなかったんだから」

「お前のその自信、わけてくれよ」


 羽田は自信家だ。

 自分に絶対的に自信を持ち、それでいて俺以外の奴には謙虚。

 だから人気があるわけで。


 最も、俺に対してだけは「童貞君」とか「爽やかの無駄遣い」とか散々な言いようだが。


「俺、文芸部に入ろうかな」

「ほら、やっぱり氷南さんじゃん」

「……まぁ」

「ふーん。ま、頑張ってみろよ。拒絶されたら傷心会してやるから」


 とは言え羽田はいいやつではある。

 俺のことを理解して、いつも応援はしてくれる。

 その期待に俺が応えたことなんて一度もないが。


 そんなこんなであっと言う間に昼休み。


 さっさとパンを食べて昼寝しようと思っていると、氷南さんがそっと俺のところにくる。


「ちょっといい?」

「え?」


 俺の前に彼女が座ると、クラスは騒然となる。

 氷南と泉、何があったんだと皆が騒ぐが、当人が一番よくわかっていない。


「栄養、偏るよ」

「そ、そうだね……え、それよりどうしたの?」

「別に……」


 彼女はぽそりと答える。

 そして、睨むように俺を見たかと思えば、彼女から意外なことを言ってくる。


「お弁当。私、作ろうか?」

「え、氷南さんが?」

「一人分も二人分も同じだから。それだけ」

「う、うん嬉しいよ。じゃあ明日だけは甘えようかな」

「(ずっとでもいいけど……)」

「え?」

「……邪魔してごめん」


 氷南さんはさっさと席に戻っていった。


「おい泉。氷南さんと何があった?」

 

 当然、入れ替わるように羽田が俺に話しかけてくる。


「さ、さぁ……なんか部活のことで用事があったみたいで」

「ふーん。なんだそんなことか。つまんね」


 とっさにお弁当の件を伏せたのは、そんな話で変に誤解されたくなかったから。


 羽田はそんな話を聞けばきっと誤解して期待する。

 ただ、全くそんなことはなく、ただ俺の食事を見かねてのことなのだろうと、氷南さんの態度を見てそう感じた。


 もしかしたら、痴漢から助けたお礼なのかもしれないけど、だとしたら余計に一時のことでしかないわけだし。



 そして放課後。

 入部届を書いてから図書館横の空き教室に行くと、そこには氷南さんが一人で座っていた。


「きたんだ」

「う、うん。今日から入部しようかと」

「でも、やることは特にない、から」

「わ、わかった」


 この後、ただ静かに読書をする時間が続く。


 結局、一時間くらいそんな状況が続いただけ。

 その間ずっと彼女も無言で、たまに鳴る携帯の通知音くらいしか音はしない。


「ふぅ。」


 やがて、氷南さんが本をパタリと閉じて息を吐いた。

 それを見て俺も声をかける。


「そろそろ、帰る?」

「そうだね」

「ほんと、ここって誰も来ないんだね」

「(だからいいのに……)」

「え?」

「さ、さっさと片付けて」


 時々小さく何かを呟くとき、氷南さんは少し口をとがらせて照れた様子を見せる。

 声が小さすぎて何を言っているか聞き取れはしないが、その顔はいつもの冷静な彼女のものとは違ってとても柔らかく見える。


 つまり可愛い、ということだ。

 可愛いよなぁ、氷南さん。


「鍵って職員室かな?」

「うん。一緒にいこ」

「なんか放課後の学校って静かだね」

「(ふたりっきりだ……)」

「え?」

「なんでもない、さっさと行こ」


 職員室に向かう間、そして校舎を出る間もずっと氷南さんは俺の隣にピタリとつける。

 今日は心なしか距離が近い気がするけど、気のせい、だよな。


 鍵を返してから、静かに彼女と駅まで歩いていく。

 その間は終始無言。彼女は一言も発することはなかった。


「はぁ。部活って退屈だね」

「そう、だね」

「じゃあ本を買いに行くとか、どうかな?部室のってどれも古いし」

「……買い物」


 駅のホームで電車を待つ間、これからの活動について計画をする。

 こんな何気ない時間で、特に話題もないのだけど俺にとっては幸せな時間だ。


 電車に乗るとタイムリミットが迫る。

 彼女は後十数分したら先に降りてしまう。


 俺のツンデレラ姫は一つ手前の駅でいつも姿を消してしまう。


「明日もよろしくね」

「うん。それより買い物の件、だけど」

「あ、いや無理にはいいよ。俺、明日適当に家から持ってくるし」

「もう、ニブチン……」

「え?」

「いい。着いたから、じゃあね」


 スッと立ち上がり氷南さんが暗い顔のまま電車の扉の前に立つ。

 空気の抜ける音と共にガタッと電車の扉が開く。


「あっ、うんまた明日」

「……」


 何も言わずに出て行こうとする彼女は、扉の前でほんの少しだけ足を止め、萌え袖状態の右手を少し、遠慮気味にこちらに振ってくれる。


「ばいばい」


 ちっとも笑っていないのだが、顔が真っ赤だった。

 昨日よりも明らかに赤く、そのまま夕陽に溶け込みそうなほどの顔で彼女は走りながら改札に向かっていく。


 慌てて去っていく彼女の姿を、俺は電車の窓からずっと。今日は彼女が見えなくなるまでずっと見つめていた。

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