ツンデレラ姫の氷南さんは、俺の隣で少しずつ溶けていく

明石龍之介

プロローグ 泉秀一の場合


 ♠


 「泉秀一いずみしゅういち、四月六日生まれの十六歳、趣味は読書、特技はありません」というのが高校最初の自己紹介。


 自分で言うのもなんだけど、特に可もなく不可もなくといった人間を自負する俺は、何となく電車で通える高校を選んで、この春から市内の公立高校に通う。


 俺たちの住む桜木市は、海沿いに面する小さな町。

 そんな田舎の学生のやることなんて部活かゲームか恋愛くらい。


 イケてる男子がいれば隣の学校まですぐ噂は広まるし、可愛い子がいればすぐに男子たちが騒ぎ立てる。


 高校入学早々に学年に可愛い子がいると評判が立っていたことは当然のように知っていたが、それが誰であるか俺は一目見てわかった。


 いつも同じ電車に乗る彼女。

 名前は氷南円ひなみまどかさん。パーマがかった黒髪が特徴的で、切れ長の大きな目にスッと通った鼻筋の凛とした顔立ち。いわゆる猫顔美人というやつだ。スタイルもよく、ひと際目立つ彼女のことはすぐに気になっていたところ。


 もう暑くなってきたというのに毎日袖の長い紺のカーデガンを羽織っている彼女は、いつも桜川さくらかわ駅という、俺の乗る湊川みなとかわ駅の一つ隣駅から乗ってきて、同じ車両の少し離れたところに立つ。


 そんな彼女とは同じクラスなのだが、席も近くなく声をかけるタイミングやきっかけは全くないままで。

 ただ彼女を眺めるだけの日々は一ヶ月ほど続いた。


 それでも毎日彼女を見ているうちに気持ちが昂っていった俺は、ゴールデンウィークが明けた日に勇気を出して声をかけた。


「氷南さん、お昼一緒にどう?」

「……一人にしてくれるかな」


 とまぁこんな感じで一蹴。

 あまりに冷たい態度と目つきに俺は衝撃を覚えた。


 後から友人に訊くと、彼女は相当なまでにクール、というか冷たい。そんな女子だと言っていた。


 ついたあだ名はツンデレラ姫。

 デレの部分はどこにいったのだとツッコみたくはなるものの、綺麗で凛々しく、ツンとした態度の彼女にはピッタリハマり、すぐにそのが広まることとなる。


 入学早々から俺と同じく彼女にバッサリ切り捨てられた男は多いようで、今では彼女を誘う男子もめっきり減った。


 女子ともあまりしゃべらない彼女はミステリアスな存在として、しかしその美貌から依然として男子からの密かな人気だけは高いまま、静かに教室の隅に佇んでいた。


 下校の時も同じ電車になる。

 改札口から近い、という関係からいつも同じ車両に乗るのだが彼女も決まって同じ車両に乗ってくる。

 とはいっても随分離れたところにいるから、特になにもないが。


 そんな彼女を遠くから見つめながら帰る。

 そしてまた朝になり、彼女を横目で見ながら登校するといった毎日を繰り返していたある日、事件が起こる。


 その日もいつものように彼女と同じ電車で帰っていると、同じ車両に乗り合わせた彼女が痴漢されているところを目撃してしまった。


 この日は特に人が多く、仕事帰りのサラリーマンに囲まれるように立っていた彼女の腰に、男の手が伸びているのがはっきりと見えた。


 本当にあるんだ、と思ったのが最初。

 そして周りの大人も何人かはその様子に気づいているようだったが無反応。


 トラブルに巻き込まれたくない、というのが正直な大人の意見だとその風景は物語る。

 彼女はじっと、顔をしかめたまま耐えている様子だったがとても辛そうに、怯えているように見えた。


 俺も正直に言えば怖かった。

 一度拒絶された彼女に声をかけるのも気まずいし、大人に絡まれないかという不安もあった。


 でも、困っている彼女を見過ごすことはできず、思い切って彼女を呼ぶ。


「氷南さん!」

「……あ、」


 俺の顔はどうやら覚えていてくれた様子。

 その時ちょうど駅に着いたので、そのまま彼女の手を引いて降りると、少し息を切らした彼女が目に涙を浮かべていた。


「だ、大丈夫?」

「……ごめんなさい、動揺して声が出なくて」

「いや、怖かったよね。てかごめん途中で降りちゃった」

「大丈夫、歩いて帰れるから」


 涙を拭いて気丈に振る舞う彼女は、いつもの冷静さを取り戻してさっさと改札を出ようとする。


 彼女に「見送るよ」と声をかけてついては行ったものの、結局その後も会話をすることはなかった。


 途中で「私、こっちだから」といってさっさと行ってしまったのが最後。そのあとは一駅近く歩いて俺も家に帰ったというだけ。



 ただ、翌日の朝の電車でのこと。

 彼女は席に座っている俺の前にきて


「おはよう」


 と声をかけてくれたのだ。


 なんてことのない挨拶だったがそれが嬉しくて俺もおはようと返す。

 

 ただ、その後は無言。また離れたところに行ってしまった。

 そんな朝だった。


 学校ではもちろん会話はない。

 いくらあいさつをしてくれたとはいえ、一度誘いを断られたショックというのは思いの外大きく、俺から声をかけることなんてできず、もちろん彼女も俺に何か話しかけてくることはなかった。


 せっかく勇気を出して彼女を助けたのに、なんて気持ちもどこかにあったがそう都合よく物事は運ばないと思い知らされただけであった。



 そして下校。駅まで行くと改札口で彼女の姿が見えたがやはり声はかけられず。

 

 やれやれと言った感じだ。意識しないでおこうとしても、こうして学校や電車で同じになるのだからどうしようもない。

 時間をずらせばいいなんて思ったこともあるけど、別に自分から避けるのもおかしな話で、結局俺は彼女の姿を素直に追うのだけど……


 そんなことを考えながら席に座ると、なんと隣に彼女が座ってきた。


「ひ、氷南さん?」

「……何?」

「い、いや何も」


 思わず名前を呼んでしまい、睨まれた。

 蔑むような目、というのだろうか。しっかり俺を睨みつけたその目はしかしそれでも綺麗だった。


 そんな目で俺を見ながら


「あのさ。明日から隣、いい?」


 と彼女が言う。冷静な態度はそのままに。

 あまりに予想外な言葉に俺は当然戸惑った。


「え、どうしたの?」

「……痴漢。怖いから」


 その時の彼女は少し口を小さくしながら、頬を朱くしていた。

 少し照れるように。普段は怖いもの知らずな様子の彼女が見せる少し弱気な姿勢に、俺はドキッとしてしまう。


「それで、どうなの?」

「うん、いいけど」

「その言い方、本当は嫌なの?」

「そ、そうじゃないよ。なんていうか、意外だなって」

「気持ち悪い大人は誰だって怖いもん。それに、誰かといれば痴漢されないって言うし」


 彼女は前を見たまま淡々と、抑揚なくそう話す。

 でも、俺は頼ってくれたことが嬉しくてもちろん首を縦に振る。


「うん、それなら明日から早速」

「毎日。行きと帰り。絶対に」

「う、うん。わかった」

「でもそういうんじゃない、から……」


 最後に彼女はそう添えた。


 そこから毎日、電車の中だけで挨拶を交わす友人未満の同級生ができた。



 そして今日も、彼女と登校する。

 横並びに座り、お互い正面を向いたまま言葉を交わす。


「あ、あのさ、氷南さんっていつもお昼は一人なの?」

「ええ。貴重な時間を無駄にしたくないし」

「そ、そっか。まぁ人それぞれだもんね」

「……」


 この数日会話をしただけだというのに、すぐに俺は調子に乗ろうとしてしまった。

 まだ、彼女とお昼を食べるなんて無理な話だな。


 といった具合に朝から彼女に軽くいなされたところで学校前の駅につく。

 

「あ、着いたよ」

「……じゃあ、ここで」

「う、うん」

「(もっかい誘ってよ……)」

「え?」

「……」


 彼女は何かつぶやいた後、さっさと行ってしまう。

 これもまぁいつも通りではあるが。


 そんな彼女との何でもない朝だったが、今日はいつもより会話ができたことくらいで嬉しくなるのだから、俺も随分と単純な人間だ。


 今日も楽しみは放課後の電車。

 そのためだけに退屈な授業を淡々と消化する。


 今日に限ってはほとんど寝ていたのであっという間だった。


 やがて放課後になり、さっさと教室を出て行く彼女を追うように帰路につこうとしたが、今日に限って先生に呼び止められてしまった。


「おい泉、部活動は決めたのか?」

「え、ええと」

「なんでもいいから、さっさと入れ。帰宅部は特別な事情がないと認めてないからな」

「は、はい」


 といった話を十五分ほど。

 うちの学校はアルバイトも構わないし校則も緩いが部活動は所属義務がある。

 

 もちろん幽霊部員なんて多数存在するが、全く無所属というわけにはいかないということだそうで。


 そんな話のせいで俺は出遅れてしまった。

 急いで駅に向かったが一本前の電車がたった今、出発してしまったのが見えた。


 あーあ、今日は彼女と一緒の電車に乗れなかった……


 少しへこみながら定期券で改札をくぐりホームまで行くと、なぜか氷南さんが一人で立っている。


「あ、あれ?」

「……お疲れ様。何してたの」

「え?いや、先生に呼び止められて」

「そっか」


 彼女は冷静に、端的に返事をする。

 

 しかし続けて


「来ないかと思った……」


 と彼女は言った。

 これは、はっきり聞こえた。


 そして拗ねたように、地面をチョンと蹴った。


「え、それって」

「待ってない」

「え?」

「待ってないもん。ただ、あなたが約束破りの最低男にならないように、配慮して乗り過ごしてあげただけ」

「う、うん」

「(嘘だもんバカ……)」

「え?」

「……」


 結局今日も同じ車両に乗り、二人で並んで座る。

 ただ、今日は電車の中で会話することはなかった。


 彼女は顔を赤くして、ずっと下を向いたままじっとしていたから。



 


 


 

 

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