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 良祐さんに初めて会ったのは、私が東京の音大3年生の時。チャイコフスキーコンクールに入賞した、海外の有名ピアニストのコンサート会場でのことだった。一緒に行くはずだった友だちが急用で行けなくなって、たまたま私一人が行くことになったのだが、会場の私の席に座っていたのが彼だったのだ。で、私が声を掛けてチケットで席番号を確認させた。彼は隣の席だった。その時、いきなり言われたのだ。


「もしかして石川県の方ですか? 実は僕、野々市ののいち町出身なんです」


 驚いた。だけどその頃の私はまだイントネーションが標準語になりきれてなかったので、それで分かったのだろう。


「まあ! そうなんですか。私、金沢です。お隣さんですね」


「やはりそうですか。ちょっと語尾が伸びる感じ、そうかなって思いました」


 そう言って、良祐さんは笑った。


 コンサートが終わった後、これも何かの縁だろうと、食事を一緒にすることになった。とにかく地元トークが楽しかった。当時私の回りには、同郷の友人が一人もいなかったのだ。しかも、音楽の趣味も合う。彼自身はピアノが弾けるわけではないが、ピアノ曲を聴くのがとても好きだという。特にスクリャービンの曲が好みで、今回のコンサートも演目にスクリャービンの前奏曲プレリュードがあったから聴きに来た、とのこと。


 というわけですっかり意気投合してしまった私達の関係が、恋愛に発展するのは必然と言えた。彼が都内の私大の医学部5年生であることを知ったのは、私達が正式にお付き合いを始めた直後だった。私も彼も、体の関係を結んだのはお互いが初めてだった。


 私と彼が大学を卒業するのは全く同じタイミングだった。私は故郷に帰って実家で母が営んでいるピアノ教室の後を継ぐことになり、彼も同じように地元の病院で研修医となった。そして2年後に結婚し、あっという間に15年の歳月が過ぎて今に至る。


 私達の結婚生活は、特に波風も立たず淡々と過ぎていった。姑には時々子供がいないことについて嫌味っぽいことを言われるが、それくらいだ。酷い嫁いびりを受けたことは一度もない。この程度なら巷によくある嫁姑の距離感だろう、と思う。少なくとも、今のところは。


 もちろん同居の話が出てきたらまた状況は変わってくるかもしれないが、姑本人も常日頃自分の子供の世話にはなりたくない、と言っているのでそれはないだろう。幸い、五年前に亡くなった舅がそこそこの額の遺産を残しており、おそらく彼女は有料の介護付き老人施設に、死ぬまでいることができるはずだ。


 そして、良祐さんも決して酷いマザコンというわけではない。もちろん自分の母親を嫌っているわけではない。だが、姑と私が対立するような局面では、彼は大抵私の味方につく。そしてそんな時、いつも姑はため息をついてすごすごと引き下がるのだ。


 どうやら姑自身も過去に嫁姑の確執を経験していて、私と仲良くしたいとも思わないけど、あまりにも陰険な関係にもなりたくないらしい。だから良祐さんにも「嫁姑の間に立つなら嫁側に付きなさい」と常々言っているという。根は悪い人ではないのだ。


 というわけで、私はこれからも、良祐さんや姑との穏やかな生活が続くことを願っていた。


 しかし……それは空しかった。


 些細に見えたひび割れは、予想以上に大きく広がっていたのだ。


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