鬼神童子

ちい。

第1話 鬼神誕生

 名もない時代。名もない集落に一人の赤ん坊がけたたましい産声を上げ誕生した。


 金色に輝く稲穂が、秋の風に優しく揺られ、暇さえあれば午睡を貪りたくなる長閑な秋の日である。


 集落一の分限者の住む大きな屋敷。


 しかし、返してと泣き叫ぶ母親から、赤ん坊は引き離され捨てられた。いや、厳密に言えば捨てられたのではない。集落一である分限者の大きな屋敷の敷地に建てられたまま、久しく使われていなかった座敷牢へと入れられた。


 捨てられた方が良かったのかもしれない。山奥へと捨てられ、人知れず野垂れ死にして獣にでも喰われた方が、その赤ん坊にとって幸せだったのかもしれない。


 赤ん坊は乳母が充てられ、母親と顔を合わせる事も無く、ひっそりと育てられてきた。そして、赤ん坊は五年経つと、山奥の神社へと連れられ、そのまま、何も言われず乳母と別れ、置いていかれた。


 乳母は名残惜しそうに、その童子の方へと何度も振り返っていたが、童子は神主の手を握り、無表情な瞳で乳母へ手を振っているだけであった。







わっぱ、主の名は?」


「知らない」


「乳母は何と呼んでいたのだ」


「……」


 童子は淡々と神主の問いに答えている。うぅんと唸る神主は、童子の手を引き、神社の境内を歩き始めた。小さな古い神社。社は傾きかけ、木製の鳥居は所々虫に喰われてぼろぼろであった。


 そんな神社に似合わぬ神主の容姿。身の丈、約六尺三寸(約一九一cm)、太い眉、人懐っこい大きな目、そしていつ剃ったのか分からない無精髭、熊を思わせる体躯を白衣と紺色の袴に無理やり閉じ込め、切り株の様な太い首の上にぼさぼさに伸びた髪を押さえつけるよう烏帽子を被っている。


 そんな神職の格好をしていなければ、誰がどう見ても神主には見えない。ただの山の中に住む樵か狩人である。


 神主は、童子を井戸の側にある大きな石の上に座らせると、自分もその横へと腰掛けた。そして、顔を空に向け、目を瞑り、太い腕を窮屈そうに組むと、うぅんと唸っている。


「……そうだなぁ」


 ぼりぼりと顎に生えた無精髭を掻きながら、しばらく思案していた神主は、ぽんと手を叩き童子の方へと顔を向けた。


「主の名は、慈花いつかだ。慈花と呼ぶことにしよう」


 隣に座る童子の小さな頭を、すっぽりと入るような大きな掌で撫でると、立ちあがり、幼児を空に向かい自分の背丈よりも高く持ち上げた。


 童子の肩まで伸びた髪がさらりさらりと風に靡いている。振り分け髪の二つに分けられた前髪の間から、二つの角の様な突起が見えている。


 この二つの角の様なものは童子が産まれ落ちた時より生えており、この角ゆえに忌み子、鬼の子として母より引き離され、座敷牢へと幽閉され、今に至るのである。


 高く持ち上げた童子は、太陽の陽射しを背に受け、まるで後光がさしているかの様に見える。


 そんな時、童子がにこりと微笑んだ。


「おう、楽しいか」


 乳母の話しでは、一度も笑った事がないと聞いていた童子が笑っている。産まれて初めて笑っている。そんな童子を見ていた神主も嬉しそうに笑った。


 これから訪れる過酷な運命に童子が翻弄されるとも知らずに。


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