現代庶民飯 ~旨い酒と肴を求めて~

くろぬか

第1話 新社会人による、ストレス発散一人宴会


 「あぁ……仕事ってこんな感じなんだな……」


 なんて、何回呟いた事だろうか。

 帰宅した瞬間、全身の脱力感に従って玄関先で突っ伏した。

 現在、入社してはや数か月。

 最初は優しかった上司も徐々に般若みたいな顔を浮かべ、毎日の様に様々な事に対して口を酸っぱくして唾を飛ばしてくる。

 もはや上司の思い通りに動かなければ、気分次第で怒られる様な状態だ。

 すごい、社会人凄い。

 皆よくこんな環境でずっと働いていられるものだ。

 今だから思うよ、皆働いているだけで凄い。

 正社員とかバイトとか、そういうの関係なく凄いよ。

 多分俺、超簡単な作業しか任せられてないのに超心折れそうだもん。

 コンビニのアルバイトとかでも、よくあんな笑顔で接客できると思うよ。

 絶対面倒くさいお客さんとか居るじゃん、その後普通に笑顔になれるの凄い。

 そんな事考え始めたら、コンビニでも店員に対していちいちお礼言う様になっちゃったもん俺。

 レジでお願いしますって言って、会計とか袋詰めとかにもお礼言ってるもん最近。

 皆すげぇよ。


 「い、いかん……このままじゃ寝る……飯食って風呂入んなきゃ……」


 大学を卒業して速攻内定の決まった会社に就職したのだが、コレがまた凄かった。

 求人表ってのは本当にアテにならないのなってのが、入社一か月でわかった。

 残業“ほぼ”なしってのは、ほぼ残業しないで帰れる日は無いって事だったのか。

 勤務時間ってのは、会社としての営業時間を書いているだけで、社員は多分1.5倍から2倍は会社に滞在している。

 それくらいの感覚で居た方が良かったんだ。

 これから仕事に慣れて、もう少しまともな仕事が出来る様になったら……一体俺の労働時間はどうなってしまうのか。

 そう考えると怖くて仕方がない。

 俺は定年まで、こんな事を続けるのか?

 バイトは多々やったが、学校じゃこんな事教えてくれないもんな……。

 大きなため息を吐きながら、一人玄関から起き上がる。

 体が痛い、気持ちが沈みまくってる。

 でも、だがしかし。

 その手には、スーパーで買って来た食材とお酒が数本。


 「給料日は過ぎ、そしてこの手には割引されたお肉様とアルコール。 そして明日は休日! だったら食って飲む! そしてハッピーになる! これをしなけりゃ漢が廃る、というか死ぬ!」


 という訳で、筋肉痛と疲労による頭痛を無視しながら何とか室内に向かう。

 なんて事はない、1Rの狭い部屋。

 本当に、風呂に入って寝るだけの部屋。

 まるでビジネスホテルみたいだ。

 でも、今日は違う。


 「ふはははは! 安い給料、無駄に長い労働時間。 知った事か! 俺は今日この日の為に働いていたんじゃ!」


 IHのコンロの電源を引っこ抜き、部屋のど真ん中に設置する。

 そして、テーブルの上にはホットプレートを設置。

 小さくはあるがサイドテーブルを用意してから、食材の数々を並べていく。

 本日は、一人居酒屋のお時間です!


 「近隣住民の迷惑? ベランダから煙を上げるな? 知った事かボケェ! 昼間に煙草の煙とか上げなければ問題ないじゃろうがい!」


 もはやよくわからないテンションのまま、全ての機器をスイッチオン。

 さて、忙しくなるぞ。

 そんな事を思いながら窓を開け、スーツを脱ぎ捨てて楽な格好に着替える。


 「まずは……お前だよ!」


 コンロの上で温まったフライパンに油を引き、トンカツ用ロース肉を投入する。

 トンカツ用? 知った事か。

 お前はトンテキになるんじゃ。

 とはいえ、意外とステーキというのは難しい代物。

 1分程度片面を炙り、フライパンから退ける。

 そして余熱で火を通し、更に片面を再び1分ほど火を通す。

 みたいなやり方をすると、凄くジューシーになるらしい。


 「だが……知るか、お前は“コレ”と一緒に大人しくしていろ」


 クックックと笑いながらニンニクチップと醤油ダレ、そしてもやしを投入し蓋を閉める。

 良いのだよ、難しい事を考えなくて。

 自身が旨いと感じられる飯が食えれば、ソレが正義なのだ。

 ちょっと硬くなろうが、しょっぱくなろうが。

 ソレが旨くて、酒と合えばなんでも良いのだ。

 これは、俺のストレス発散の場なのだから。


 「さて……お次は」


 これまた別途、スーパーで半額以下で仕入れて来たカットキャベツ。

 ソレにお好み焼きの元を投入し、適量の水を加えてひたすら混ぜる。

 いい加減過ぎて大阪の人に見られたぶっ殺されそうな光景だが、良いのだ。

 とにかく楽で、とにかく早く旨い物が食いたいのだ。

 そんな訳で、天かすやら紅ショウガやら色々混ぜたお好み焼きをホットプレートに敷いていく。

 ステーキの時もそうだが、鉄板に乗せた瞬間の“ジュワァァ!”という音がたまらない。

 思わず涎が出るが、今は我慢だ。

 もちろん酒も我慢だ。

 今この瞬間に呑んでしまっては、感動が損なわれる。

 という訳で酒は冷凍庫で瞬間的に冷やし、ひたすらに飯の相手だけに集中する。


 「あぁ~匂いもアレだし、煙モックモク出てるけど……し~らね。 俺は今旨いモンが食いたいんじゃ」


 とは言え、敷金とかは怖いので一応室外に向けて扇風機をつけて置く。

 匂いや何やらは余計外部に放っている気がするが、そこまでは知らん。

 人との共有生活の場なのだ、たまにはこんな事もあるだろうという事で勘弁して頂きたい。

 そんな適当な事を考えながら、フライパンの上に転がっているトンテキを何度かひっくり返し、更にはバターを加える。

 まさに豊潤、育っておられる。

 そんな印象を受け始めた頃にフライパンから引き上げ、これまた買って来たサラダの隣に並べる。

 スーパーの値引き品だというのに、見た目は完璧だ。

 若干肉厚の生姜焼きにも見えない事もないが、コイツはステーキなのだ。

 そんな思いと共に、小さい包丁で一口大にカットする。

 専門店なんかとは天と地程の差もあるだろう。

 しかし、俺の眼の前の豚肉ステーキは切る度に肉汁を溢すのだ。

 まさに食ってくれとばかりに美味しそうな匂いを放つのだ。

 こんなの、いちいち上と比べる方がおかしい。

 お前は、お前なのだ。

 絶対美味しいのだ。

 というわけで。


 「いただきます」


 切り分けたトンテキの一切れを口に放り込み、力強く噛みしめる。

 香ばしいニンニクの香りと、溢れ出す肉汁。

 人によっては火を通し過ぎているだとか、パサパサすると言われる触感かもしれない。

 しかし、旨いのだ。

 疲れ切ったこの身としては、涙が出る程に旨いのだ。

 考えてもみろ。

 会社に居る時の昼飯なんて、コンビニで買ったおにぎり数個プラスαくらいなモンだ。

 だというのに、同じ様な金額でこの肉が食える。

 そして、おかわりもある。

 あぁ……夕方以降の値引き最高。


 「おっと、いけない。 酒も飲まねば」


 慌てて席を立ち、冷凍庫からビールを一本取り出して肉の元へと戻る。

 元々スーパーで冷やされていた訳だから、そこまで時間を掛けて冷やす必要は無い。

 とはいえ、冷凍庫から取り出した瞬間のビールは一味も二味も違う。

 まるで手に張り付くかのような冷たさを表面に纏い、プルタブを開けばプシュッと良い音が響く。

 この音、マジで好きだ。

 一日の終わりって感じがする。

 そんな夜の帳を下ろしてくれるビール君を、今日は冷やしたグラスで飲もうじゃないか。

 トクトクトクと綺麗な音を立てながら、グラスからはシュワァァっと爽やかな音と共に白く柔らかい泡が立つ。

 コレだけでも旨そうだと言うのに、目の前には肉があるのだ。


 「改めまして、いただきます」


 ガブッと肉厚トンテキに噛みついて、じっくり味わってから冷えたビールで流し込む。

 あぁ、駄目だ。

 これは非常に駄目だ。

 もはや何もしたくなくなる。

 そんな感想が出てきてしまうくらいに、美味。

 肉は旨いし、ビールも旨い。

 さっぱりしたい時にはサラダをモリモリ口に放り込む。

 これは、非常に贅沢な時間だ。

 ふぅ……と息を吐いてみれば、お好み焼きが良い感じにふつふつしておられる。


 「俺も食ってくれってか? 良いだろう……」


 専用のヘラなどないので、フライ返しで勢いよくひっくり返す。

 その瞬間、ジュワアァァァ!とさっきよりも攻撃的なジュワ音が室内に響き渡り、綺麗な焦げ目を見せるお好み焼きが鉄板の上に鎮座した。

 あぁもう、絶対旨いヤツだ。

 彼の上に豚の薄切りを数枚乗せ、蓋をする。

 どんどんと白く曇っていくガラス製の蓋を見ながら、トンテキを摘まみ酒を飲む。

 これだけで、最高の時間だ。

 今だけは、会社の事が忘れられる。

 今この時に有るのは、焼きがった肉と酒。

 そして、これから完成しようとしているお好み焼きだけなのだ。

 仕事も無ければ、小言を言ってくる上司も居ない。


 「そろそろ良いかな?」


 しばらく経って蓋を取り去り、中まである程度火が通ったであろうお好み焼きを拝見する。

 素晴らしい。

 それしか言葉が残らない。

 上に乗せた豚肉は程よく火が通り、このままでも食えそうな程に良い見た目をしている。

 だがしかし、俺は専門家でも何でもない。

 そして、専門店でお好み焼きを食った事のない俺にはこだわりがある。

 上に乗せる豚肉は、“カリカリ”が欲しい。


 「二本目準備完了……もはや匂いだけでも飲めるぜ」


 そんな事をぼやきながら、フライ返しを使って再びお好み焼きをひっくり返す。

 裏面も完璧。

 軽く焦げ目の入った表面に、鉄板に押し付けられた豚肉が良いを音を立てている。

 そして。


 「いくぜ、夜に嗅いだらいけない禁忌のソース」


 御好みソース。

 お好み焼きやらたこ焼きやら、そう言ったモノの為だけに生まれたソレを、豪快に噴射していく。

 ソイツをフライ返しでお好み焼きの表面に引き伸ばし、更には零れたソースが鉄板の上で香ばしい香りをあげる。

 この匂いだけでも祭りを思い出しそうだが、ソレだけじゃない。

 マヨと青のり、そんでもって鰹節を振りかければ……。


 「これは……絶対アカンヤツや」


 ジュワジュワと音を上げる鉄板の上に、ソイツは完成した。

 見た目だけなら、その辺のお好み焼き屋が出すソレと変わりない。

 それくらいに旨そうだ。

 そんなモノを鉄板の上から直接、しかも俺専用で食えるのだ。

 やはり金の無い人間にとって、タイムセールってのは救世主以外の何物でもない。

 なんて事を思いながらフライ返しを突き立てれば、ザグッと良い音を立てながら四等分されるお好み焼き。

 豚肉は切れなかったので、何処について来るかはお楽しみって事で。


 「いただきますぜ……」


 よくわからない食前の挨拶をしながら、フライ返しから直接頂く。

 お好み焼きも豚肉も、表面のカリッとした焼き加減と香ばしい香りが口の中に爆発していく。

 コレだよ。

 他がどうでも良くなるくらいに、マジで旨い。

 そんでもってもお好み焼きと合わせる酒は、この為にお前は生まれて来たのかと言わんばかりに合うのだ。

 粉物鉄板焼き系で、酒に合わない奴って居る?

 コイツ等初対面でも絶対フレンドリーになれる組み合わせだろ。

 そんな事を思いながら、ビールを飲み干してもう一本。

 今度は、チューハイだ。


 「金のあるヤツならまた違う選択なのかもしれないが……俺にとっては飲みなれた味。 そしてコイツもまた」


 合うのだ。

 お好み焼きを一口齧った後、今度はレモンチューハイ。

 まるで居酒屋に居る気分だ。

 そしてサラダを間に挟みつつ、トンテキを齧る。

 旨い、旨すぎる。

 会社に居る時は忘れてしまう様な素の欲求を、今俺は曝け出している。

 生き物ってのは食う為に頑張るんだ。

 生きる為に食うんだ。

 そんでもって、どうせ食うなら旨いモンの方が良いに決まっている。

 仕事をする為に、死なない為に飯を胃袋に押し込むなんて、絶対に間違っている。

 そう感じられる程に、今日の飯は特別に旨いと感じられるのであった。


 「ぷはぁぁ……うめぇ……。 この為に生きてるって感じがするわぁ……」


 ほろ酔い気分のまま、俺は肉とお好み焼きを焼き続けた。

 ついでに、普段換気扇の下でしか吸わない煙草にも火をつけて。

 今日はもう知らん。

 人生いろいろあるとは言うが、色んなストレスが多すぎるんだ。

 俺が未熟なのも分かってるし、大した役に立っていないのも分かっている。

 でも、しかしだ。

 たまには、一人パーティを楽しませてくれたって良いではないか。


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