出会い編

第1話 はじまり、はじまり

「てめぇ、いい加減にしろよ!」


 その一言が冒険者ギルド内に静寂をもたらした。言葉を発した荷物持ちの少年は鼻から息をフンスと吹き出して、じっとある一点を見つめていた。

 その視線の先には、一人のオークとそのオークを嘲笑っていた冒険者集団がいた。




 事の発端は少し前に遡る。ここはユーライシアと呼ばれる大陸、その中でも一番大きな国、ソール国。

 そしてそのソール国の王都、エポロの中にある、冒険者ギルドと呼ばれる場所でこの小さな小さな、事件が始まる。

 こんな一言と共に。


「いけないなぁ……お前みたいなやつが、こんなところに来ちゃあよぅ」


 ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべながら、鎧を着た男が緑の肌の大男にそう話しかける。

 緑の肌の大男は「はあ」とため息をつくも何も言い返さない。


 ――まったくこんな奴に絡まれないために、隅の席に座っていたというのに。


 緑肌の大男はそう思いながら、静かにテーブルに置かれた、豆のスープを口に運んだ。

 その態度が気に食わなかったのか鎧を着た男は酒臭い息を吐き出しながら怒鳴った。この男完全に酒に酔っている。


「おい! 聞いてんのかこのオーク、薄汚れた化け物が!!」


 オークと呼ばれた緑の肌の大男レーデンスは、「聞いているよ」と返す。すると鎧を着た男は嫌そうな顔をしながら話を続ける。


「いいか?! ここはな冒険者しか入っちゃいけねぇ冒険者ギルドなんだよ、てめぇみたいな薄汚いオークが入ってきていいところじゃねぇんだ!」


 レーデンスは再びため息が出そうになるのを堪えて、皮鎧に付属しているポーチの中から小さな手形を見せた。


「そんな決まりはないはずだが……まあ良い、私も冒険者だ、その証拠にほら冒険者であることを示す冒険者手形を持っている」


 冒険者、それは常人では抗えぬ魔物と呼ばれる獣を狩ったり、未知の遺跡、ダンジョンを調査の援助をしたり、そして時には畑の収穫を手伝ったりする。

 所謂、浪漫溢れる何でも屋と行ったところだ。そんな冒険者になるためには、必ず決まった手順を踏まなければならない。

 まず、はじめに各国の街にある冒険者ギルドと呼ばれる、冒険者の依頼を斡旋する組合で、犯罪歴などを調べられてから、初めて冒険者認定試験と呼ばれる、試験を受けられる。

 それに合格してやっと正式な冒険者として認められるのだ。もっともそんなに難しい試験ではないが。

 レーデンスの出した冒険者手形、それは正式な冒険者であることを示す証拠であった。それを見た男は舌打ちをする。

 レーデンスはおもむろに立ち上がり、男にこう言った。


「もういいかな? ではこれで、私は依頼を受けていてね」


 それは嘘だった、しかしこの場を切り抜けるにはこうでもしないと、どうしようもない気がオークのレーデンスにはしていた。

 レーデンスは「おい待てよ!」という酒臭い男の制止を無視して、男の横を通り抜けた。

 するとゾロゾロと4人の男がレーデンスの前に立ちふさがる。おそらく酒臭い男の仲間なのだろう。全員、下卑た笑みを浮かべている。

 驚くほど大きなため息が出そうなのをレーデンスは必死に堪え、思った。


 ――ああ、面倒だ……。


 しかしそれでもレーデンスは譲らない


「申し訳ない、急いでいるんだ」


 すると予想外にも、目の前に立ちふさがる男たちの内、真ん中にいた一人が道を譲ってくれた。

「ありがとう」とレーデンスは自分でも馬鹿らしくなる様な感謝の言葉を口にして、開けられた道を通り抜けようとした時。


 道を譲った男はレーデンスの足を蹴り上げた。


「うお!」


 レーデンスは思わず叫び声を上げて、地面に突っ伏してしまう。後ろから五人分の耐え難い嘲笑の声が聞こえた。

 それと同時に周りからも、密かな笑い声が木霊する。周りから見れば自然にレーデンスは自然に転んだ様に見えたのだろう。


 ――我慢だ、我慢。


 レーデンスは怒ろうともせず、一刻も早くこの空間から抜け出そうと、立ち上がろうとした時、頭が酒で濡れた。


「おお、悪い悪い、俺は慰めに酒でも奢ろうと思ったんだが! いやぁ、手が滑っちまった!」


 酒臭い男とその一味は一層笑う、下品な声で。


 ――我慢だ……!


 レーデンスは、こんな扱いは慣れていた。なにせオークは人間に対して太古の昔から幾度も、害をなしてきた種族なのだ。

 そのためこの様な差別的な事は、今まで数えるのが億劫なほどある、だがその度にレーデンスは怒りを腹の奥までしまい込みじっと我慢してやり過ごしてきた。


 しかし、今日は、今日だけはレーデンスの心の中の怒りが間欠泉の様に吐き出してもおかしくないほど、彼は怒っていた。


 それは、今まで受けてきた陰湿な差別を我慢してきたツケなのか。特別、この男たちのことが気に入らなかったのか。あるいは両方か、正確な理由はレーデンスにも分からなかった。

 今まさにこの五人の男たちを血祭りにあげてくれようかと、立ち上がろうとした時。その怒りを代弁するかの様な激しい怒号が聞こえた。


「てめぇ、いい加減にしろよ!」


 その一言が、冒険者ギルド内に静寂をもたらした。酒臭い男とその仲間たちは声のした方へ向く。その目線の先にいたのは、椅子の上に立った背の高い少年だった。

 その少年は短い黒い髪に、青い瞳をもち、レーデンスと同じく皮鎧を身につけていた。恐らく同じ冒険者だろう。

 少年は青い瞳で、酒臭い男とその仲間たちを射抜かんばかりに睨み付き、ズカズカと近づいていった。

 酒臭い男たちは、先ほどの一言により唖然としている。まさか俺たちが怒られたのか? とでも言いたげな顔をして。


「お前だよ! お前らに言ったんだ!」


 青い瞳の少年は酒臭い男たちに、指を指して言う。すると、酒臭い男が笑い出し、ほかの仲間の男たちもつられて笑い出す。そしてわざとらしく言った。


「おいおい! これはな、ボクちゃん、事故なんだよ! こいつは勝手に転んで、俺は酒をこぼしちまっただけなのさ」

「嘘をつくんじゃあねぇぜ! 俺は見てたからな! お前らが足をひっかけるの! 酒だってわざとこぼした様にしか見えねぇ!」


 食い下がる少年に対してレーデンスは驚きが隠せない。


 ――オークの私を庇った……?


 呆気に取られるレーデンスをよそに酒臭い男はこまった顔をする。この男達もまた、まさかオークを庇う様な正義感バカが現れるとは思ってなかったのだろう。


「おい! 彼に謝れよ!」


 いかにも唾棄すべき、悪を見つめる様な目つきで、少年は怒り吠える。そんな少年に、酒臭い男はニヤニヤとした、下卑た笑みを浮かべながら、少年の顔の近くでほかの冒険者達に聞こえない様に小声で言った。


「おい……ボクちゃん……いいか? こいつはな、虐めてもいい奴なんだよ、あいつはオーク、醜いバケモンだ」


「だから」と男が続けようとした瞬間、まるでウルセェとでも言いたげな拳が男の顎に綺麗に入った。

 男は酔いも合わさり、そのまま床に倒れてしまう。


「こ、このガキ!」


 一瞬、間を置いてから酒臭い男の取り巻きの一人が、そう叫び、少年に殴りかかった。今度は少年は足を勢いよく、上げて、殴りかかってきた男の股間を蹴り上げる。


「アヒィ!!」


 情けない声を上げて取り巻きの男が、床にうずくまる。そこまでは良かったのだが、残りの三人の男は少年に同時に襲いかかり数の暴力にものを言わせて、少年に暴行を加えた。

 少年も負けじと拳や足を振るうが、いかんせん相手が悪い。レーデンスとギルドの職員、周りの冒険者が途中、止めに入るまで少年は殴られ、蹴られ続けていた。


「ちっ! てめぇ、覚えておけよこのガキ!」

「黙りやがれ、このクソ野郎共が!」


 三人の男たちと少年は、職員と周りにいた冒険者に互いに止められながらも、暴言を飛ばしてあっていた。

 すると止めに入った職員の一人である女性が言う。


「もう、そこまでです! それ以上やるなら冒険者資格を剥奪することになりますよ!」


 その言葉を出されたからには、これ以上喧嘩を続けるわけにはいかないと、男たちは暴言を吐くのをやめ倒れた二人を起こしながら、殺気を篭った目を少年に向けつつ冒険者ギルドの外に出ていった。

 少年はその目線に中指で答えつつ、レーデンスの方を向くと落ち着いた口調で言った。


「アンタ、大丈夫かい?」


 レーデンスは未だに呆気に取られつつも、「あ、ああ」と、ぎこちなく返す、今、レーデンスの頭の中では様々な質問の嵐が頭の中を巣食っていた。

 お前はなぜ私を助けた? お前こそ、怪我は大丈夫なのか? お前は一体……とどれを最初に質問すべきかまとまらないまま、少年は言う。


「そっか! ならいいや! んじゃ俺行くね! 仕事があるんで!」


「ああ…」とレーデンスは呆然と冒険者ギルドの外へと走っていく少年を見送る。


「って、まったぁ!」


 レーデンスは急いでその少年の後を、追う。幸いにも外を出たすぐ近くに少年はいた。レーデンスは声をかける。


「ま、待ってくれ!」

「うん?」


 少年は振り返った。レーデンスは言う。


「な、名前を、教えては、くれないか」


「ああ」と少年は微笑みながら言った。


「俺はエヴァンソ、エヴァンソ・ドンキホーテだ、よろしくな!」


 これが少年ドンキホーテとオークの青年、レーデンスのはじめての出会いだった。

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