X'masの奇跡 (折れたヒールとへヴィアーマー)

春嵐

X'masの奇跡

 奇跡は、起こらない。折れてしまったヒールが直らないのと同じ。

 目の前の状況は変わらない。変化は起こらない。これが、この変わりのない日々が、目の前のすべて。


「はい。了解しました。はい。すぐに。とりかかります。はい。では」


 仕事。

 今日も、街を守る業務が続く。無味乾燥で、索漠とした日々。喧騒や興奮とは、どこか遠い。味の薄い食事のような、そしてそれを意味なく食べ続けているような、そんな日常。


 やさしい彼に、逢って。彼にふれて。


 変わってしまった、わたしがいる。


 自分に、心があるんだと、はじめて思った。自分のことだから、何も感じなかったし。仕事でもそれ以外でも、心が動くことは、心の動きと呼べるものそれ自体は、まるでなかった。

 恋愛感情。

 少し違う。

 身体。

 身体が欲しかったのだろうか。自分ではない、誰かの温もり。そばに人がいる感覚。服越しの、擦れるような感覚。そして、べたべたさわるんじゃないと、手をやわらかく押しのける彼。


「やだな。これじゃまるで」


 彼に逢いたいだけの、ただの。

 ただの。

 なんだろう。

 わたしは、彼の、なんなのだろう。

 奇跡は起きない。

 どんなに雪が降って。

 街にX'masの、幻想的な風景が満たされても。

 彼はいない。


「おい」


 いない。


「おい。ヒール折れてるぞ。おい」


 いないから。

 わたしは。


「この前買ってやったスニーカーはどうした。そっち履けよ」


「ねえやめてほんとに。仕事で逢えないノスタルジック返して」


「は?」


「なんでここにいるのよ」


 蹴りを繰り出す。

 当たらなかった。惜しい。ヒールが折れてなければ当たる間合いなのに。


「いや。X'mas。X'masですよ奥さん。他に理由要ります?」


「奥さんじゃないし。X'masだからって。そんな、べつに」


 逢いたかったけど。

 逢いたくなかった。

 関係が、壊れるのが。こわいのかもしれない。


「じゃあ、奥さんになるか?」


「やだ」


 それ以上。踏み込まないで。


「奥さんになれよ。そんな折れたヒールみたいな生き方してないで」


「いいの。わたしは、どうせ。折れたヒールうわあああ」


 とつぜん抱えられる。小脇に。


「おいこらっ。はなせっ。仕事がこれからあるんだってばっ」


 足許あしもとがなんか。一瞬寂しくなって。すぐにやわらかくなる。


「ほら。これでいいか?」


 ヒール。

 直ってる。


「なんで?」


「いや、接着剤だけど。プラモデル用の。ついさっきたまたま買ったやつ」


「なんでよ」


 直らないと思ってたのに。


「仕事なんだろ。ちゃんとヒールついてたほうが、蹴りも決めやすいし」


「X'masプレゼント?」


「いいえ。これは単純にサービスです。X'masプレゼントは別にあります」


 彼。

 こちらを指差す。


「ひとをゆびさすな」


「おまえを差してんじゃねえよ。指。指」


 左手。


「は?」


「ガードが緩いんだな。おまえ」


「いつの間に」


 指環。

 はめられてる。


「おまえ、無意識に俺の背中さわる癖あるだろ」


 服越しの、擦れるような感覚。

 あのときか。


「奥さん」


「奥さん?」


「そう。奥さん。ご結婚おめでとうございます」


「まってまって。プロポーズ?」


「いいえ。あなたの了承をとるのは無理なので。プロポーズではありません。これは決定事項です」


「やだ、そんな」


「自分の胸に手を当てて考えてみろ」


 たしかに。

 関係が、壊れるのが。こわいのかもしれない。プロポーズされたら。たぶん。断る。これ以上を求めてはいけないと、勝手に思い込む。


「あっ指環が胸に当たってきもちいい」


「あ、そうそう。そういうやつをえらびました。どうせ普段さわられるの俺だから。はだざわりの良いなめらかなやつ」


「そっか」


 うれしい。


 うれしい?


「うれしいときにも笑うんだな、おまえ」


「は。お笑い番組見ても笑うんですけど?」


「いや、そういうことじゃなくてさ。基本的におまえ、世の中くそつまんないぜって顔してるから」


「あ、そ」


 わたしにだって。


「わたしにだって」


 心はある。


「心が」


 ある、とは。

 言えない。

 自分に心があるなんて。

 彼に逢って。

 はじめて。


 あっだめだ。泣くな。泣いちゃだめ。仕事がある。化粧崩れる。


「おまえに感情があるのがわかって、俺は嬉しいよ。うれしい」


 変わってしまった、わたしがいる。


 やさしい彼に、逢って。彼にふれて。


「まあ、とりあえず奥さんだから。いいね」


「はい。了解しました。はい。すぐに。とりかかります。はい。では」


「なんだそれ」


「仕事。行く」


「いってらっしゃい」


 奇跡は、起こらない。

 目の前の状況は変わらない。変化は起こらない。これが、この変わりのない日々が、目の前のすべて。


 でも。


 変わりのない日々でも、彼がいれば。それでいい。何も変化しなくていい。彼のとなりで、彼のそばで。そばにいられるのなら。それがすべて。


 そして。


 折れてしまったヒールは、直せる。まるで奇跡みたいに。






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