第3話 瑞希くん

「先生ー! いますかー?」

 廊下側の窓からひょっこり顔を出している。声の主はわたしにも馴染みのものだった。

瑞希みずきくん! どうしたの?」

 中学からの友達の瑞希くんは、わたしが唯一仲良くできる同級生の男の子だ。

「あぁ、久野ひさの。ここにいたんだ。文原先生知らない? 保健委員で、提出しなきゃいけないプリントがあってさ」

「文原先生なら、会議中だよ」

「あ、マジで? 遅くなんのかな…?」

 わたしは手のひらに収まる付箋に目を落とす。

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 沙穂子ちゃんへ

 職員会議があります。四時には戻るよ。緊急以外の用件は、待っててくれると助かる。

 文原

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 瑞希くんも、同じ付箋を覗いている。

 文原先生の字は、筆圧があまり濃くないけど読みやすくて、大人っぽい。

「んー、今三時五十分かぁ。あと十分、どうしようかな」

「あ、ここで待っておけば? 多分、先生すぐ帰ってくるし」

 瑞希くんは「やった」と笑って、わたしの向かいの椅子に座る。

「なんか、最近あんまり会ってなかったな。どう? 調子は」

「そこそこだよ。瑞希くんこそどうなの、最近。剣道部、なんかすごい練習してるじゃん」

「春の定期戦が近いからね。みんなけっこう気合入っててさ」

 瑞希くんは、わたしのお兄ちゃんのような存在だ。とても心配性で、なにかとわたしを気にしてくれている。

 わたしと他愛のない話を、たくさんしてくれる人だ。

「おっ、今日は佐藤さとうも一緒かぁ。どうしたの?」

 文原先生が帰ってきた。手にはいつものバインダーを持っている。

「あー、先生。待ってましたよ。あの、委員会のプリント出そうと思って」

 瑞希くんが、のけぞりながらプリントをひらひらと掲げる。それを、文原先生がひょい、とつまんで取った。

「あぁ、ありがとう。わざわざ悪いね」

「いえ、別に。久野と話して待ってましたし」

 用事が終わっても、瑞希くんが帰る気配はない。同じように思ったのか、文原先生が自分の椅子を引きずって持ってきた。これで、一つの丸テーブルを三脚の椅子で囲むことになる。

「佐藤は、他にも何かあるの?」

 瑞希くんが、わたしにだけ少し申し訳なさそうにする。

「……あの、邪魔するつもりはなかったんだけど。もうちょっと、二人を見ていこうかと。……久野が、最近またうるさくて」

「こいつ殴る!」と思った時点で、もう時すでに遅し。瑞希くんは、わたしに構わず続けた。

「……文原先生って、久野のこと沙穂子ちゃんって呼んでるんですよね……?」

 文原先生はすごい気不味く、困ったように笑い、肩をすくめた。そしてわたしに向かって一言。

「沙穂子ちゃん、だから言っただろう……。言うなよ……」

 先生が机に項垂れる。

「……ご、ごめんなさい」

 一文字ずつボリュームを下げていってしまう。……やっぱり瑞希くん殴る!!!

 わたしは最大限の力を振り絞って瑞希くんを睨みつける。

「わ、悪かったって……」

 少し冷静さを取り戻した文原先生が、必死に弁明しようとする。それを、瑞希くんが遮った。

「あ、違うんです! 別に先生が久野を口説いてるとは思ってませんから! 久野が一方的に先生を好いてて、追っかけてるのは知ってるし、むしろそれで迷惑をかけているんじゃないかと……」

 文原先生は、「なんだ」といった調子で息をつく。

「別に、構わないよ。久野が僕にどんな感情を持っていようと、僕は養護教諭として自分ができることをするだけだから。それに、久野もそこは弁えてるように見える」

「……いや、だっていくら先生とはいえ……こう、毎日のように好き好き言われてたら、久野、けっこうかわいい感じだし、ちょっとは、ほら……」

 語尾を濁したのはわたしへの配慮なのか、はたまた瑞希くんが照れているだけなのか。

 文原先生は、もう一度深く息をついた。

「やっぱり、僕のことで沙穂子ちゃんが心配なんだろ?」

 瑞希くんが観念したように肩をすくめる。

 瑞希くん。ここまでの心配は、……ちょっとうざい。


 結局その日の放課後は、瑞希くんの話で終わってしまった。

 瑞希くんがわたしのことを気にしてくれているのは知っているし、嬉しいし、おかげで何度も助けてもらったけれど、わたしはそんなに馬鹿じゃないぞ、と主張したい。そしてなにより、外の人の口からわたしが「文原先生が大好きだ」と言っている、と言われるとなんとも照れてしまう。

 瑞希くんが変な話題を持ち込んできたせいで、わたしは必要以上に文原先生を意識して、そそくさと保健室から出ていってしまった。

 だから、わたしが出たあとに二人が何を話していようが、わたしには知りようがないのだ。

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