the first episode

巴瀬 比紗乃

Ghost Apple



 夕暮れの空に、カラスは鳴いた。買い物袋を下げて歩く二人は、もう気にしなくてよくなった、カラスの姿を目で追っていた。長年の癖みたいなものだった。


「おや?」

「どうした? スロウ」


 一緒に空を見上げていた黒い影ーースロウが、遠くを見ようと目の上に手を当て、前方を臨んでいた。


「迷子だ」


 赤い影ーーアルデは、彼の視線を追って一人の子供を見つけた。夏らしく半袖半パンの少年は、今にも泣き出しそうな顔で立ちすくんでいた。

 軽い足取りで、少年に近づく。

 スロウは前身を曲げ、少年を影で囲った。影に支配された少年は、怯えながら顔を上げる。


「こんにちは」

「こん、にちはっ」


 スロウの嘘くさい笑顔が、少年を安心させることはなかった。

 アルデはそんな二人のやりとりを、影の外から見守っていた。


「はぐれたのはお母さんかな? それとも、お父さんかな?」

「お姉ちゃん」


 震える声で、少年は答える。


「それは意外だ」


 スロウは紙袋からリンゴを探しあてると、少年に渡す。「服で擦って食べるんだよ」というスロウの教えに、少年は素直に従った。そして一口、むしゃりと噛る。

 少年に笑顔が咲いた。

 スロウとアルデは顔を見合わせ、良かったなと頷き合う。


「少年。高いところは好きかい?」

「うん、大好き!」

「それは、良かった」


 少年と笑顔を交わし、スロウは紙袋をアルデに預けた。両手一杯になった荷物に、アルデはバランスを取ろうと紙袋を弾ませ。スロウは長い両手で少年を持ち上げ、肩に乗せる。黒い影の頭の上に、赤いリンゴが着地する。

 視界が広がった。その感動に、少年は歓喜の声を上げた。そしてまた、スロウとアルデは頷き合う。

 スロウが歩けば少年の肩は揺れ、時折リンゴを噛る音がした。

 アルデは紙袋の隙間から目を覗かせて、スロウと並行していた。その頭上に、熱い視線が注がれる。


「なんだ?」

「お姉さん、赤いね」

「地毛だ。気にするな」


 少年の質問に素っ気なく返すアルデはまた、紙袋を弾ませた。少年は   クシャリとリンゴを噛る。


「見つかると思ってるのか? 人がいないぞ」

「そうだね、どうしようか」


 見晴らしの良さにスロウは唸る。

 頭にリンゴが置かれた。不安にかられ、少年が俯いてしまったのだ。二人は顔を見合わせ、肩を落とした。


「少年、少し目を閉じてくれるかい?」

「え? う、うん」


 スロウの言葉に、戸惑いながら少年は目を閉じる。その横で、アルデは溜め息をこぼした。

 淡く、スロウの足元が光る。


「 汝 我らの世界に干渉するモノよ 少年に望みの在りかを示せ 」


 スロウの声とともに光の粒が渦を巻き、少年を包む。光はいずれ、少年の目を纏い、宿る。


「さあ、目を開けてごらん」


 スロウに言われ、少年は目を開いた。すると、さっきまでの視界に薄緑色の光が現れた。目を凝らすと、徐々に光の象形が明らかになる。


「お姉さんは見えるかい?」

「うん! 向こうに居るよ!」


 少年は見慣れた人型を指差した。


「では、向かおうか」


 スロウは微笑み、また足元に光の粒が現れる。


「飛ぶなよ」


 それを目にして、アルデはつつく。


「おっと、そうだった」


 少し浮いた足が、地面に着地した。スロウの頭上で、少年が首をもたげた。


「道案内を頼むよ、羽月くん」


 スロウが頭を反らすと、少年がバランスを崩した。落ちまいと伸ばされた小さな手はスロウの首元を掴んで、真っ黒い頭にしがみついた。


「お兄さん、なんで僕の名前知ってるの?」

「君が教えてくれたんだよ」

「そうだっけ?」


 少年のまっすぐな眼差しに、スロウは空笑いを浮かべた。


「さあ、行こうか」

「うん!」


 少年はまた光を指して、二人を導く。

 スロウが踏み出せばアルデが続き、少年の目が歓喜の色に煌めく。その下でアルデは、少年に聞こえないよう小声で、スロウを小突いた。


「馬鹿者」

「あれくらい、許しておくれよ」


 情けない笑顔の横で、少年の足は弾む。

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