06:らしからぬミス 

 放課後。

 解放された生徒達が羽を伸ばす中、俺は友人達と馬鹿話をしつつさりげなく地道さんへと目線を送った。


 教室の隅で数人の女子と会話している地道さんはすぐにそれに気付き、一度だけ頷いた。目を合わせてくれたのは保健室以来だけどね!


「悪い、俺ちょっと用事あるし、帰るわ」

「んだよー、服見にいこうぜ~、今セールやってるし」

「また、付き合うって」


 友人の誘いを断って、鞄を持って教室を出ると、俺はゆっくりと廊下を歩く。


 後ろからパタパタと駆け寄る音がして、俺の横を女子生徒が通り過ぎた。

 その瞬間に小さな、でも確かな声が俺の耳に届く。


「――駅前の〝まねきキャット〟ってカラオケで……」


 それは地道さんだった。


 彼女はこちらに一瞥いちべつもくれることなくそのまま一人で廊下を進んでいき、そして階段の方へと消えた。


「……一緒に行けばいいのに」


 そう思うものの、このなんだか秘密めいたやり取りが決して嫌ではなかった。


「なーに、ニヤニヤしてんの」


 階段に着くと、俺の隣から違う声が聞こえてくる。声から判断して、反射的に肩を叩かれると身構えたが――肩への衝撃がいつまで経っても来ない。


「ん? ああ、やっぱり彩那だよな。ニヤニヤなんてしてねえよ」


 それは予想通り彩那だった。朝と変わらない格好だが、髪の毛はポニーテールではなく、お団子になっている。


 しかし珍しい。出会い頭は、それが蛮族の挨拶とばかりに肩を叩いてくる彩那が何もしてこない。


 お腹でも痛いのか?


「やっぱりニヤニヤしてるし、なんだか嬉しそう。涼真君とは中学から一緒だけどさ、そういうの見るの初めて」


 彩那が俺の目を覗き込むように見上げていた。その顔は整っていて綺麗だけど、そこに俺は何の感情も抱かない。そういえば、彩那と始めた会ったのは中学の時だったが、その時は彼女の事をどう思っていたのだろうか?


 今となっては覚えていない。


 いずれにせよ、とりあえず何か言葉を返さないと。なんだか嫌な感じの空気だ。


「俺はロボットか何かかよ。コ、コレガ感情カ……?」


 俺がロボットっぽい声を出しても、彩那は笑わず口を尖らせたまま階段を下りていく。


「地道さんと結局話せたの?」

 

 並んで階段を下りる彩那から投げ掛けられたその問いを聞いて、少し考える。


「……まあね。言われた通り、直接、でもいきなりではない感じで」


 実際、あれはいきなりだったのかもしれないが。誰かを経由した方が良かったのだろうか? 最適解は未だ不明だ。


「そ。なら良いんだけどね。それで?」


 下りた階段の先の下駄箱で靴を履き替えながらの彩那の言葉。背中越しのその質問にどう答えるべきか少し迷う。


 いや、何も迷う必要はない。そのまま言えばいい。後ろめたいことは何もないのだから。


「今から、少し会ってくる」

「そうなんだ。二人で?」

「ああ。二人で」


 俺達は再び並んで校舎を出た。日は傾きかけているが、緑が香る風は生ぬるい。まだ五月だというのに、もう夏の気配がしている。


「涼真君ってそういう人だもんね」


 そう呟いた彩那の真意が分からない。そういう人ってどういう人だよ。いくら賢い俺でも、乙女心の深淵までは解析不可だ。


 だからバカみたいに聞き返すしかない。乙女の前では男子はあまりに無力だ。


「それ、どういう意味だ?」

「いや、私の時もそうだったなあって思い出しただけ。今度は――始まるといいね。じゃ、私、部活だから」

「え、いや、ちょっと待て彩那……って相変わらず足速いな」


 彩那は、俺が返事した時には既に体育館の方へと走り去っていた。


「始まるって……なんだよ」


 それに。

 バスケ部の部活動は体育館で行うが、わざわざ靴を履き替えなくても体育館は校舎から入れる。部活があるのに、なぜ俺と一緒に外に出たのだろうか。


「はあ……」


 ため息をついて、俺はバカなフリをしてその思考の放棄する。気付かなくてもいいこと、知らない方が良いことが世の中には多過ぎる。


 俺は思考を切り替えて学校の最寄り駅の隣のビルに入っているカラオケボックスを目指す。あそこのカラオケボックスは、チェーン店で料金が安くかつ駅前という立地のせいか、うちの生徒も良く利用していた。


 駅までの緩やかかつ長い下り坂を進む。


 気付けば俺はあの歌を口ずさんでいた。その爽やかで解放感あるメロディーは、騒ぎながら下校する生徒達がいる風景にやけに馴染んだ。

 

 口ずさむメロディーと歌に、俺は自然と頭の中でリズムを付け、シンセサイザを鳴らしていた。いや、これならストリングスの方が合うか。


 俺には分かる。やっぱりあの歌はまだ未完成であり、それでありながら……あまりに魅力的でキャッチーだった。それが嬉しくもあるが、曲作りをした経験があり才能があるなんて言われた俺からすると、そこに嫉妬も混じってくる。


 なんでこんなにキャッチーでスマッシュなメロディーやセンテンスを俺は思い付かなかったのだろうか。


「なるほど。理解した。俺が抱いているこの感情は嫉妬か」


 地道さんに感じている感情の正体が分かり、俺は少しだけホッとする。と同時に、そうじゃないだろと叫ぶ自分がいることに気付かないフリをした。


 俺は地道さんに会って、何をどう言うかを考えているうちに駅前についてしまった。


 カラオケボックスの前にある、まねきネコっぽいキャラクターの置物の前で、挙動不審な地道さんを見付けて俺は思わず微笑んでしまう。


「お待たせ……っていうほどでもないか」

「っ!! う、うん! だ、大丈夫、です!」


 地道さんは決して俺と目を合わせず、明後日の方向を見ていた。


「とりあえず入ろうか」

「う、うん」


 なぜか俺は妙に緊張にしていた。


 そのせいかどうかは分からないが、俺は致命的なミス、いやをしていることに気付かなかった。


 それに気付いた時には――もう手遅れだった。

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