19、仮面の下に隠した想い


 ◇


 オーランドと差し向かいで話をするのは、リコリスの正体がばれてしまった日以来だ。


 しかも、あの日と同じく馬車の中――二人の間には気まずい空気が漂っている。


「あの、……風邪、はもう大丈夫ですか……?」

「……とっくに治った」

「そうですか」

「誰かさんの持ってきた茶も飲んだ」

「う、あ、ありがとう、ございます……?」


 むっつりした顔をしているが、会話をしてくれるつもりはあるらしい。


「……一応確認させて頂きたいのですが、オーランド様はわたしのことをグレッグ様にお話しされたのですか?」

「話すわけないだろう」


 心外だ、と言わんばかりにオーランドが肩眉を上げる。


「お前のほうこそ、エトランジェでグレッグと踊っただろう。その時に何か正体がバレるようなヘマを踏んだんじゃないのか」

「そんなミスしません。オーランド様だってずっと気が付かなかったじゃないですか」


 唇を尖らせて答え――今のリコリスはオーランドに気軽に言い返してもいいような身分でないことを思い出した。強気に振るまえるバイオレットではないのだ。


「すみません、失礼な口をききました」

「…………」


 再び沈黙が落ちた。

 そっぽを向いたままのオーランドをちらりと窺い、リコリスは視線を落とす。


「あの……、……伯爵ご夫妻に、わたしがダンスホールにいたことを黙っていてくださってありがとうございます」

「…………」


「ご迷惑をおかけして本当に申し訳ありませんでした」

「………」


「…………これ以上ご迷惑をかける前に、家庭教師の仕事は辞めようと思っています」

「待て。なぜそうなる」


 オーランドがようやく口を開いた。


「すぐに辞めたら、グレッグはますますお前のことを疑うかもしれないだろうが」

「あ……」


 確かにその通りだった。


「そうですね。考えが足りず、軽率でした。すみま……」

「いや、違う。変にグレッグに疑われて執着されたらと思うと、俺は、あなたのことが心配で――ああ、くそっ」


 リコリスに対する粗雑な口調の中に、バイオレットと話すときの気取った口調が混ざってしまっている。オーランドが自分の頭を乱暴にかき乱した。


「……なぜ、エトランジェなんかにいたんだ。理由があるのか?」

「理由?」

「お前は、意味もなく夜遊びに興じるようなタイプではないだろうが」


 あの夜は話も聞かずに怒鳴って悪かった。

 バツが悪そうなオーランドにリコリスは目を丸くした。


 例え理由があろうとオーランドを騙していたことに変わりはないし。言い訳なんて聞きたくもないだろうと思っていたからだ。


「…………叔母が、退屈していて」

「は?」


「エトランジェから遊びの見本になるようなレディを寄こして欲しいと言われたので、サクラとしてわたしを参加させたんです。正体不明の令嬢だとか、難攻不落のレディなんてあだ名をつけられて……辞め時がなくなってしまって」


「いくらで引き受けた仕事なんだ」

「無償ですが……?」

「はあ? 金に困窮してやっていたとか、そういう理由ではないのか⁉」


 意味がわからないとばかりにオーランドが吐き捨てる。


「あそこは遊び人ばかりが集うようなところだぞ! 何も知らない女がよくものこのこと……。……いや、俺が知らないだけで、お前……」


「キスひとつ許さない令嬢だから噂になったんですよ、わたしは」


 遊び人だと思われるのが心外でリコリスは首を振った。


「遊び慣れている人ばかりだからこそ、わたしの存在はきっと新鮮だったんでしょう。……無理矢理迫ってきたのはあなたくらいです」


 オーランドが黙った。

 断り続けていたのに、追いかけまわしていたのはオーランドの方だ。


 溜息をついたオーランドが眉間を揉んだ。


「……悪かった。口ではどう言おうと遊び相手を探している女だと思っていたんだ」

「もういいんですよ。そもそも、わたしも令嬢ごっこはきっぱりと断るべきだったと反省しています」

「もう、やめるのか? エトランジェに通うのは」

「はい」

「だったら、……うちでの仕事は辞めなくたっていいだろう」

「グレッグ様に疑われているから、落ち着くまでは……という意味でしょうか?」


「違う」


 怒っているような表情は、遊び慣れた涼しい顔とはまるで違った。


「好きなんだろう?」

「え……?」

「……仕事が」


 ほんの一瞬、どきりとして。

 それからすぐに「なあんだ」という安堵に変わる。


 家庭教師の仕事にやりがいを感じていたし、リコリスが頷くと、

「……だったら続ければいい」

 とオーランドが怒ったような顔のままで言うから。


「はい。お気遣いくださって、ありがとうございま……」


 不意に滲んだ涙に、リコリス自身が驚いた。


(どうして?)


 仕事は続けられるし、バイオレットの正体を吹聴されることもなく、想像していたよりもずっとずっと良かったはずなのに。


「――バイオレットの正体に、幻滅しましたか?」


 ありがとうございますと引き下がるべきところで、オーランドを怒らせるように話を蒸し返してしまう。オーランドが目を瞬いた。


「追いかけまわしていた令嬢が地味な家庭教師だったと知ってがっかりしたでしょう? 仮面を外せば、わたしは身分もない、つまらない女で……」


 ……わたしはきっと、オーランド様に許して欲しくなかったのだ。


 騙したなと罵り、怒られ、もう二度と顔も見たくないと追い出されて。

 オーランド様が本気でバイオレットのことを好きだったんだと信じたかった。


 許されて、仕事も続けていい、なんて。

 正体を知って、完全に興味を失われてしまったと言われたのと同じことだ。


(そうか、わたし……。オーランド様のことが……)


「勘違いするな」


 顔を上げると涙がこぼれた。

 オーランドの指がぎこちなくリコリスの涙を拭う。


「あの夜、怒ったのはバイオレットの正体に失望したからじゃない。お前からしたら、着飾った姿に騙されて言い寄ってくる俺が滑稽だったんだろうと思うと……自分が、みじめで。八つ当たりしたんだ」


 好きなんだよ、お前のことが。


 告げられた言葉に、息が詰まりそうになった。


「だけど、お前は、俺のことが嫌いだろう」

「……嫌いでしたよ。ふしだらで不誠実な人は嫌いでした」

「過去形か。今は違うんだな」

「わたしなんかの言葉に振り回されて……、どうして嫌いなままでいさせてくれなかったんですか」


「リコリス」


 はじめて、オーランドから名前を呼ばれた。


 仮面で隠されていないオーランドの顔。怒っているようで、困っている。感情を持て余している顔に胸がぎゅっとつまった。


 あんなに嫌いな人だったのに。


「……ちゃんと知りたい。仮面で隠していない、その顔を」


 頬に触れるぬくもりと。

 近づいてくる顔に目を閉じる。


 わたしも知りたい。気取って女性を口説く銀の仮面の姿ではなくて。口が悪くて、冷たくて、だけど本当は優しいところもあるかもしれない、あなたのことを……。







 男爵家の近くで降ろしてもらうとき、オーランドが「また来週」と声をかけた。


 また、来週。来週の授業で。……そのあと、時間を作ってくれるという意味なのだろうか。それとも、ちゃんと出勤してこいという意味だけなのか。


 曖昧に頷いたリコリスにオーランドは苦笑して「来週も送る」と言い置いて帰っていった。馬車が扉が閉まる直前、目元をやわらげたオーランドの顔にどきりとしてしまう。


 そんな甘ったるい表情、『リコリス』の前で見せられるなんて……。


「あら? リコリスお嬢様。今日は早いお帰りですね」


 メイドに出迎えられてぎくっとしてしまった。グレッグとひと悶着遭ったものの、歩いて帰るよりも随分早い。


「え、ええ。伯爵家の馬車に送って頂いて」

「そうでしたか……。あらあら、お嬢様ったら、お顔が赤いですよ。どうかなさったんですか?」

「だ、大丈夫。なんでもないわ」


 バイオレットの時に甘い誘いはいくつも受けて慣れているはずなのに。

 仮面がないとうまく表情が取り繕えず、リコリスは急いで自分の部屋へと引っ込んだ。



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