15.もう一度、今度はさらに先へ

ノミホ・ディモ・ジュースノームは再びゲロトラップダンジョンへと挑む。

ゲロトラップダンジョンに最初に挑戦した時、彼女は独りだった。

独りで罠に挑み、そして敗北寸前のところで助けられた。

今、彼女は再び1人でゲロトラップダンジョンへと入場する。

だが、独りではない。

1日にも満たない付き合いであるが、信頼できる相棒を彼女は見つけた。

ヤカサ・ノ・コスム――傍にいなくても、彼に与えられた力は心の中で燃えている。


急ぎ、ゲロトラップダンジョンの恐るべき罠を踏破し、

今まさに邪悪なる魔術師エメトと戦っているであろう彼と共に戦う。

だが、ノミホのすべきことはそれだけに留まらない。


スマートフォンに目をやる。

セットされたアラームは正確に、約束された滅びへの時を刻んでいる。

戦略魔導兵器によるゲロトラップダンジョンの消滅まで、残り10時間。


吐瀉物のすえた臭いをかき消すかのような強いアルコールの匂いがする。

ゲロトラップダンジョンへの挑戦者達は、

半日もしない内に滅びが訪れることも知らずに、酒を呑み続ける。

飲み放題1980フグ、食事料金は別。

第1フロアからして、罠である。

おつまみを別料金にすることで、酒の手を緩めさせぬようにするのだ。


「ようし!じゃあイッキ行くかぁ~~~!!!」

「やったれ!やったれ!」

「ウヒャヒャヒャヒャァーッ!!プゲギャオァーッ!!!」

アルコールの合間におつまみを挟むことで、

丁度いい具合に酒を飲む手を止め、飲酒の良いペースを維持することが出来る。

見るが良い、そこの一般大学生3人組を。

最初におつまみを頼んだ後、彼らはひたすら呑み続けた。

おつまみが無くなっても、酒は飲み放題だから、と酒を煽る手を止めようとしない。

悪酔いしている。

今まさに、満杯のジョッキビールを口元に傾けかけたその手をノミホは止めた。


「だ、誰ですかおねーさん!?」

「ナンパかぁ!隅におけねぇなぁ!!」

「ウヒャヒャヒャヒャァーッ!!プゲギャオァーッ!!!」

悪酔いした3人の大学生。

そんな一般大学生チンパンピープルに怯むノミホではない。


「……イッキ飲みはやめろ、最悪の場合死ぬぞ」

ノミホは掴んだ手に力を籠め、静かに彼らを睨みつけた。

「い、いづづづづ……は、はい!」

「なんだイッキやんねーのか」

「ウヒャヒャヒャヒャァーッ!!プゲッ!プゲッ!ピキィ!!

 だが、そちらの女性の仰るとおり、確かにイッキ飲みは危険だな。

 景気づけにするもんじゃあない……少し酔い過ぎたようだな。

 そのビール飲んだら、カラオケで酔い醒ましでもするか」

「酒と破滅は隣り合わせだ。楽しい飲み会のまま終わりましょうね、先輩♡」

ウインクを1つ残して、ノミホは進む。

残された者が既に赤くしていた顔を、更に赤くさせたことにも気づかずに。


「まぁ、まぁ、まぁ、呑み給え」

「いや、いや、いや、いや、いや、もう私も流石に限界ですから」

「折角飲み放題なんだ……それに、ここ以外じゃあもう酒は呑めないぞ。

 呑み溜めをしておくんだよ、さぁ、さぁ、遠慮しないで」

「じゃあ、一杯だけ……一杯だけですよ」

別のテーブルには、恵比寿顔の上司と困り顔の部下。

元からの関係性もあるが、

ニコニコとした顔で酒を勧められてしまうと断ろうにも断りづらい。

敵であってくれ、高圧的であってくれ、部下は祈った。

そうすれば、酒を断るという決意も固められよう。


だが、朗らかに酒を勧められてしまえば、

この良い空気を壊したくないと思う、この人に嫌われたくないと思ってしまう。

部下が覚悟を決めて、上司のお酌を受けようとしたその時である。


「もー、だめでしょーおじさん」

ノミホが上司の手を止めて、彼に話しかける。


「んん?」

「もうこの人、お酒呑めないって言ってるよ、ねっ!」

「いやー、しかし……せっかく酒が呑めるんだから、呑めるだけ呑んだ方が」

「おじさん……めっ!」

「あっちゃー……おじさん、めっ!されちゃったなぁ……!

 いや、すまん、すまん、どうやら、酔い過ぎちまったらしい。

 流石に子どもに止められちゃあ、しょうがねぇなぁ……」

「いや、良いんですが……あれ、えっ?えっ?」


部下は何度も目を擦った。

目の前にいるのは、20歳ほどの女騎士である。

そもそも、未成年はゲロトラップダンジョンに入場できない。

であるというのに、上司には小さな女の子に見えていたようであった。

そして、自分自身にも。


呼び止めようとした部下を、

ノミホは人差し指を口の前に立てて制する。

何が起こったのかはわからない、だが。


「そろそろ帰りましょうか、私も少し呑みすぎたみたいです」

「んむ……そうだな、うん……悪かった、いや、悪かった」


もう、帰ったほうが良いだろう。

それだけは確かだった。


女騎士ノミホ・ディモ・ジュースノームは行きがけの駄賃とばかりに、

酒席を解散させながら、スタッフルームへと向かう。

光の力も、闇の力も、全てヤカサが教えてくれた。


「光にも闇にも偏らず、だろ?ヤカサ」

呑み込まれることなく――ただ、利用すればいい。

そうやって、ゲロトラップダンジョンの罠を生き延びてきた。

だから、今度もそうすればいい。

光にも闇にも偏らず、光と闇の力を司る騎士として前に進む。


そう、GRゴッドレア:光と闇を司るハセガワのように。


フロアのほとんどの酒席が解散し、

ノミホが声を掛けなかった者たちも釣られるように退店を始めた。

それはゲロトラップダンジョン自身が人を吐いているようであった。


どれほどの人間が救えたかはわからない。

もしかしたら、すぐにゲロトラップダンジョンに戻ってくるのかもしれない。

それでも、騎士として恥じぬ選択を取った。とノミホは信じている。

ヤカサは女騎士の相棒だ。

ならば、ノミホ・ディモ・ジュースノームは女騎士たりうる者でなければならない。


女騎士ノミホ・ディモ・ジュースノームは、

スタッフルームに続く魔の通路へと足を踏み入れた。


「やぁ、ノミホちゃん。また来たんだ」

始まりの罠、幾度も繰り返される大学生の歓迎コンパが再び彼女の前に姿を表す。

通路はやはり、大学生とテーブルに塞がれて、通ることが出来ない。


「先を急ぐ……通してくれないか」

剣を抜くことに意味はない。

この罠はコンパが続く限りはノミホを拘束し続けることが出来る。

再度、攻略するか――あるいは、とノミホは深く頭を下げた。

思いが通じると信じて、頼んでみるかだ。


「まぁ……アレだな」

「うん、アレだ」

「ま、そうだな」

「しょーがねぇ」

大学生達が照れくさそうに、テーブルを縦にして、壁側に寄せる。


「可愛い後輩の頼みだからな、ノミホちゃん」

「……ありがとう」

「礼を言うのはこっちだよ、本当に……本当に楽しい飲み会だった」

「……ああ!またいつか、一緒にやろう!」


大学生達に別れを告げ、ノミホは次の罠へと駆ける。

スタッフの利便性を度外視したこの通路は、

罠があるだけでなく、尋常でない長さまである。

建物の外観から考えると、どう考えても計算が合わないが、

おそらく、これもまた邪悪なる魔術師エメトの魔術によるものだろう。

だが、無限ではない。


走り続けた先に、ノミホはそれを見た。

賑やかな宴の席を。

数えるのが面倒になるほどの畳が敷き詰められた座敷に無数の膳を。

親戚の飲み会の罠である。


「おじさーん!来たよー!」

ノミホは親族中に響き渡るように叫ぶ。

その姿は女子中学生のものではない、女騎士である。


「おお、ノミホちゃん……よう来たなぁ、20歳になったお祝いをせんとな!」

「私13歳だよ!」

親戚が20歳のノミホを認識した瞬間、ノミホは女子中学生の制服に着替える。

刹那の早業である。剣を振るのが速ければ、応用は難しいことではない。


「えっ、ノミホちゃん……あれ!?」

「あたしごさい!」

だが、ノミホの持つ光の力は実際の肉体すらも超える。

先に上司と部下が幻視したように、

一瞬であるのならば、かの剣聖の技を模倣した時のように、幼女すら模倣しきる。


「20歳!」

「13歳!」

「ごさい!」


刹那の着替えと最大出力の光の力を繰り返し、

ノミホは超高速での年齢反復横跳びを繰り返す。


「うわあああああああああああああ!!!!!!!」

「ぎゃあああああああああああああ!!!!!!!」

「あああああああああああああああ!!!!!!!」


処理能力の限界を超え、あちらこちらから悲鳴が上がる。

邪悪なる魔術師エメトによって作られた罠は、

本物の命と何ら異なることは無い、完全なる存在である。

その高精度が故に、目の前の現実を処理できず、落ちた。

かき消えていく宴の席。

暗黒の通路に残されたのは、ノミホ・ディモ・ジュースノーム(20)のみ。


「次だ!」

これまでの罠は、既に勝利を果たしている。

真に本番と呼べるのはビュッフェの罠、

そして――その先に待ち受ける邪悪なる魔術師エメトだ。


「再度のご来店、誠にありがとうございます」

通路をさらに走った先に、そのビュッフェは何一つ変わらずにあった。

先ほどと同じ、タキシードに身を包んだ男が慇懃に頭を下げて、

再び訪れたノミホを迎え入れる。


「ビュッフェは要らん……ここを通してくれ、と言ったらどうなる?」

「申し訳ございませんが、砂時計が落ちるまで、先に進むことは出来ません。

 更に言えば、先ほどと同じ攻略手段は私には通用しませんよ」

「……わかった、席に案内しろ」


急ぐ気持ちはある。

だが、最初の大学生の時と同じように物理的な攻撃は役に立たないだろう。

ならば、早く席に案内させて、ビュッフェの開始を待ったほうが良い。


「再度の説明は必要ありませんね。ノミホ様。どうぞ、60分間、お楽しみ下さい」

男に案内された席に座ると、

再びテーブルに砂時計が置かれ、1時間に至るまでの時を刻み始めた。


ノミホは立ち上がり、ドリンクディスペンサーでオレンジジュースを注いだ。

そして、席に戻り――オレンジジュースを置いて、再び立ち上がった。

敗北を喫した料理の群れに、再び挑もうと言うのだ。


「……まず、サラダだ。

 新鮮な緑黄色野菜に、生トマトを添える。

 緑尽くしの中にトマトの赤が映えるな。ごまドレッシングで頂こう」

ノミホはまず、先程スルーしたサラダコーナーへと向かい、皿にサラダを取った。


「そして、ビーフシチューにサフランライス」

そして、別の深い容器にサフランライスを茶碗半分程度の量を盛り、

それにビーフシチューをかけた。


「デザートは、モンブランにしよう。1個だけで良い」

ノミホはモンブランを取り、席へと戻った。

先程の戦い、ノミホは食べすぎて吐いた。

ならば、何も食べなければ良いのか。いや、そうではないだろう。

酒を呑みすぎぬように、光や闇の力に呑まれぬように、

極端に走らず、自分のコントロール出来る量を食べる。それで良いのだ。


ノミホはゆっくりと噛んで、60分が過ぎるのを待った。

満腹感は実際の食事から遅れてやってくる。

ノミホはゆっくりと食べて、ゆっくりと満腹感を受け入れた。

腹の中は不快感の無い満腹感に満ちていた。


さらさらと落ちる砂が、60分の経過を告げる。

気づくと、ビュッフェの会場が消え去っていた。


「ごちそうさまでした」

ノミホは両手を合わせ、高らかに言うと、

更に先に進む、進めなかったその先へ。

相棒ヤカサが待つ場所へと。


しばらく進むと、その部屋はあった。

ゲロトラップダンジョンの最奥部、スタッフルームだ。

躊躇する必要はない。ノミホは扉を開けた。


その先に待ち受けるものが何であるかも知らずに。

スタッフルームで地に伏す者が誰であるかも知らずに。

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