10.敗北の女騎士


二人がしばらく歩き続けると、絢爛な光があった。

次なるフロアを照らすシャンデリアの眩い光である。

絶妙なる光量の調整によって、確かな存在感を有しつつも、

決して主役にはならない、天から注がれる恵みのごとき光である。


「こ、これは……」

「まさか……」


大理石の床に響く靴音は、やけに心地よく聞こえる。

本来ならばドレスコード必須であっただろう。

しかし、ノミホとヤカサはその衣装を咎められること無く、

するりと入り込むことが出来た。


よく清掃が行き届いた心地の良い空間である。

調度品は主張しすぎず、しかし確かに品の良いことがわかる。

そして。


「ビュッフェだと……!!」


並ぶ料理は、どれもがシェフの技量の粋を集めた絶品。

シャンデリアの輝きに照らされた、見た目すら美味しい味わえる芸術である。


「いらっしゃいませ、こちらにどうぞ」

タキシードに身を包んだ男が慇懃に頭を下げ、

二人をテーブルに案内し、椅子を引いた。


罠であるとわかっている。

だが、わかりきった罠を進むのがこのゲロトラップダンジョンである。

二人は促されるままに、椅子に座った。


「当ビュッフェは60分で終了となっております」

慇懃なる男は、そう言って懐から砂時計を取り出し、テーブルに置いた。

「ノミホ様、そしてヤカサ様、どうぞ、ご堪能下さい」


「ま、待て!」

ノミホの呼びかけにも応じず、何処かへと消えていく男。

そして、砂時計は音もなく、時が終わりに向けて流れ始めたことを告げた。


「60分でクリア……まぁ、ボーナスステージみたいなもんだな」

ヤカサは立ち上がり、ドリンクディスペンサーへと向かった。

ガラス製の容器いっぱいに飲料が入っており、

蛇口をひねると、そこから飲み物が出てくる仕組みである。


「ノミホ何飲む?牛乳もあるぞ」

「あっ、あぁ……オレンジジュース」


ヤカサはグラスを二杯、オレンジジュースと水を持って戻ってきた。

水が入ったドリンクディスペンサーの中には一緒にレモンが入っており、

微かにレモンの風味が香る。


さらさらと砂時計の砂が落ちる。


「丁度いいぐらいの時間だし、おっさんを助ける奴でもやるか」

「う、うん……」

「どうした、女騎士」


ノミホの視線は砂時計と料理を彷徨っていた。

ヤカサの言葉に対しても気もそぞろであるようである。


「い、いや……なんでも……なんでもない……」

「あるだろ、どう考えても」

「……う、ぐうううう。いや、本当になんでも」

その時、ノミホのお腹から小さく獣の鳴くような音がした。

咄嗟にノミホは顔を伏せたが、耳が赤く染まったのは隠しきれない。


「……腹減ってたのか」

「食事休憩をピンを引っこ抜いておっさんを助けるために使ってしまったし、

 大学生の飲み会は結局、

 飲んだり食べたりするよりも、主導権を握るために会話メインだったし、

 さっきの奴だって……」

ノミホは僅かに顔を上げて、ヤカサを恨みがましい目で見た。


「基本、子供と遊んでただけだったからな……」

「ちょうどいいタイミングでビュッフェに来ちまったわけか」

「……大丈夫だ、私はこんな誘惑に屈したりはしない」

「いや、食えば良くないか?」

「えっ」

「ちょっと食べるぐらいならば問題ないだろ」

「そっ、そうか……まぁ、そうだな」

ノミホは立ち上がり、料理を取りに行った。

ヤカサは水を飲みながら、彼女が戻るのを待つ。


「さて、どれにしようかな~」

彼女を待ち受ける敵――いや、獲物は、きらびやかなる料理の群れである。

主食系は米ならば、ピラフ、チャーハンから、サフランライスまで取り揃え、

麺ならば、カルボナーラ、ペペロンチーノ、アサリのボンゴレ、そして焼きそば、

パンも、クロワッサン、バターロールから、

薄切りのサンドイッチに、ハンバーグを挟むためにバンズまで取り揃えている。


サフランライス――このチョイスが嬉しい。

白米は如何なる状況下においても使える、料理界の切札ジョーカーであるが、

しかし、日常の象徴でもあるが故に、このように特異な状況下においては、

ついつい味のついたご飯料理の方を選択してしまいがちである。

だが、サフランライスは違う。

基本、味の強いおかずをやさしく受け止めるという役割に関しては白米と同じだが、

黄色く炊かれた色合いに、食欲を喚起させる仄かな香り、

そして、基本的には家で作るようなものではないというところから、

勿体なさを感じずに、主菜の友として選ぶことが出来る。


ノミホはサフランライスに加え、チャーハンとピラフを半々で盛り、

その後、申し訳程度に、麺料理はアサリのボンゴレと焼きそばだけを取り、

トドメにサンドイッチを3個、バンズを取った。


「おう戻った……ちょっと待て!」

「すまない、話は後だ」

ノミホは取った料理を自分のテーブルに置き、

先程よりも砂が落ちた砂時計に目をちらりとやると、再び料理を取りに旅立った。


(60分制限……短期決戦で決めてやる!)


最初に、食べたいものを全部取り、その後に一気に食べる。

それが女騎士ノミホ・ディモ・ジュースノームの戦法である。


(行くぞ……!)

ノミホが新たに選んだのは、カリカリの焼きベーコンとスクランブルエッグである。

隣にはウインナーもあるが、それはスルー。

ウインナーよりもベーコンの方が薄い分、沢山食べることが出来そうである。

そして、焼きベーコンもスクランブルエッグも、自分で作ることが出来る分、

普段の味とプロの腕前とで食べ比べることが出来るのである。


その後、ノミホはチーズインハンバーグを取ると、

シャカシャカポテトを選択、ハンバーガーにはポテトが欠かせないからである。


そこからノミホはサラダコーナーをスルーし、ビュッフェの頂点へと挑む。

すなわち、食べ放題となった高級料理。


ローストビーフ、そして、牛フィレ肉のステーキ。

ノミホは牛肉料理をありったけ盛った。

そして、帰り道で唐揚げを積み、

皿で供された出来たてのフレンチトーストを持ち帰ると、

席に戻り、食事を開始する――と見せかけて、再び料理のテーブルへと舞い戻る。

女騎士の鋭い目はビーフシチューを見逃さない。

サフランライスを半分に分け、

その半ライスにビーフシチューをかけると、とうとうノミホは着席した。


「お、お前……それ、食べ切れるんだろうな!」

「問題ない……私を誰だと思っているんだ」

「お前が大体どんな人間かわかってきたから不安なんだが」

「平らげてやるさ、簡単なんだよこんなの」


まず、ノミホはアサリのボンゴレを口に運んだ、用いるのは箸である。

金属のフォークよりも、木の箸で食べた方が美味しいと彼女は思っている。

啜るようには食べない、静かにもっもっと口の中に麺を運ぶ。

見た目にはあっさりとしているように見えるが、

シーフードの風味が濃厚で、口の中に海が溢れていくようである。


ノミホはここで、ドリンクディスペンサーでレモネードを補充すると、

一息に口の中に流し込む。

爽やかな甘みが、ボンゴレの風味を吹き飛ばす。

そこから、ノミホはカリカリポテトの塩気と食感を堪能すると、

チーズインハンバーグをバンズで挟み、

さらにスクランブルエッグ、ベーコンを投入。

無法のオリジナルバーガーを完成させると、齧りつく。


「他人丼ならぬ、他人バーガーと言ったところか、ふふ……」

「……ッ!」

ヤカサはノミホの妙な迫力のようなものに押されて、自分の料理を取りに行った。

砂時計は落ち続けるが、ノミホの手は止まらない。


そこから、揚げたての唐揚げの溢れる肉汁とサクサクの衣を味わい、

パラパラのチャーハン、しっとりとしたピラフの対となる食感を食べ比べ、

更に米の手を止めること無く、ビーフシチューサフランライスで追撃を仕掛ける。


「やれ、シチューをご飯にかけるな、だの。おでんをおかずにするな、だの。

 全くバカバカしいことだ。ふふ……全く、ご飯は何にでも合うというのにな」

「まぁ、俺もラーメンでご飯食うけど」


サフランライスは決して、ビーフシチューの味を弱めたりはしない。

ただ、食事の手を加速させるのである。

余計なことを考える必要はないのだ、米はただ全てを受け入れるのだから。


そして、ノミホは口直しにフレンチトーストを食べる。

家庭で作るには食パンを用いることが多いが、

このビュッフェにおいてはバゲットが用いられている。


バゲット――フランスパンの特徴としては、その固さが上げられるが、

卵液と共に調理されて、むしろその口当たりは優しい。

しかし、かつてあった食感の存在を確かに残しながら仕上がっている。

ノミホは口の中を甘い幸せで満たすと、ジンジャエールで口の中を洗い流し、

とうとう、メインへと挑む。


ローストビーフ、

薄切りになった牛肉の中心部は赤く、宝石のような鮮やかさがある。

確かな旨味成分を目で約束させてくる。

通常ならば、グレイビーソースでいただくのだが、

ノミホは、敢えて醤油とわさびでいただく。


「ローストビーフは牛の旨さが詰まっているが、

 味のメインはグレイビーソースだと思っている。

 だからこそ、醤油とわさびの余地があるんだ。ヤカサ」

「ローストビーフを肉の刺身として食べるってこと?」

「ああ、わさびの爽やかな辛さと刺身の相性の良さは言うまでもないが、

 中々どうして、肉にも合う。

 そもそもわさびと組み合わせること自体に開拓の余地が多々あるが、

 今回はシンプルに醤油で頂く」


ノミホはローストビーフを存分に味わうと、

次は、牛フィレ肉のステーキを箸で摘んだ。


「ローストビーフはその身の中に肉汁を閉じ込めている感覚があって、

 肉汁ごと肉を食べているようだが、

 やはり、噛みしめると肉汁が溢れるというのは何事にも代えがたい喜びがある」

ステーキ肉をぎゅうと噛む。溢れる肉汁。

喜びで包まれた口内に追撃を仕掛けるかのように、

ノミホは更にサフランライスを口の中に運んでいく。


「厚い肉はやはり歯が喜ぶ。噛み、千切り、溢れる肉汁。

 そして、噛んでも、噛んでも、まだ肉が残っている喜び。

 貧乏性だが、やはり肉がたっぷり楽しめるというのは嬉しい」

「なるほどな」

ヤカサは白米の上にステーキを載せて、ステーキ丼として食べている。

運命の出会いというものが存在するのならば、

肉と米、それだけは神が仕組んだ絶対の出会いなのだろう。


砂時計が半分ほど落ち、最初に運んだ料理は食べ尽くした。

ヤカサは腹を撫で、そしてノミホは再び立ち上がった。


「ノミホ……お前……!」

「止めるな、私はデザートも食べる」

「や、やめろ!死ぬぞ!!」

「死なないさ、甘いものは別腹だから」


なんたるビュッフェか。

スイーツも豊富であった。

ロールケーキ、パイ、タルト、プリン、マカロン、ムース。

それぞれがフルーツをふんだんに用いられ、それだけで主役となれるだろう。

モンブラン、ガトーフレーズ、シュークリーム、ショートケーキ。

世界の煌めきそのものであった。

出来合いのスイーツは一つも存在しない、

一つ一つがパティシエによって手ずから作られたものである。


「女騎士ノミホ・ディモ・ジュースノーム!いざ参る!!」



ヤカサはノミホを背負い、スタッフルームへの道を後戻っていた。

恐るべきは邪悪なる魔術師エメトの策謀よ。

60分という制限をかけ、挑戦者の気を極限まで焦らせた。

その上、高級なる料理を用意し、しかし、衣装はそのままである。

礼服を着れば、多少の自制も生まれよう。

しかし、普段の服装なら、普段の心である。

普段の心のままに高級ビュッフェに挑ませた、それがノミホの敗因である。


「うぅ……私はもう駄目だ……置いていけ……」

「ここまで来て見捨てられるか!馬鹿!」

「すまないヤカサ……すまない……結構お腹空いてたから……行けると思った……」


ビュッフェは、食べるだけならばなんとかなってしまうのだ。

満腹感というものは実際の腹具合から遅れてやってくる。

それ故に、人間はついつい食べすぎて、

そして、気づいた時には人間という器に収まりきらぬ量の食事が入っている。

収まりきらぬものは――当然、溢れる。


間に合うか、ノミホ。

間に合うか、ヤカサ。


トイレへの道は遥か彼方。

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