五 帰れるといいですね

「分からないんです。私が通る時、世界鏡の番人リステリアはすべての目を閉じていました。神殿のお札を捧げてきましたが、そんなことで代償になるのなら皆、目玉を取られずに済むはず」

「単なる幸運か。まあ運も実力のうちじゃね?」

「そうなのでしょうか」

 俺のジャンパーを着たまま、いわゆる萌え袖の状態でアニヤは生まれて初めてだというハンバーグを食べている。カトラリーの使い方はうまい。

 朝六時台のファミレスはほどほどに人気が少ない。死角の多いパーテーション陰の四人掛けを占拠できたのはよかった。

 そこで、アニヤの電波話を俺はまだ聞き続けているのだ。普段なら考えられない。

「ハスムラ、あなたが言った通りこちらで捕まった者たちが皆、記憶を失っているのなら、かなりの痛手です。目的が果たせません。彼らが襲った相手は月の魔導師なのだろうと思いますが、いずれも仕留めていないのでしょう?」

「それは分かんねえだろ。上手く殺した分は見付かってないだけかも。下手くそだけが見付かって、下手くそだから殺せてない可能性もある」

 俺が殺した奴らも、まだ誰一人殺しだとバレてないしな。

 割と剣呑なことを言った自覚があったが、アニヤは驚きもせず、ああなるほど、と頷いて付け合わせの人参を口に運んだ。そしてニコッと笑う。

 ファミレスの千円もしないハンバーグが余程美味いらしかった。それに、野菜も嬉しいのだという。レタスを見て、緑色の葉は長い間見たことがないと話した。アニヤの住んでいた世界には太陽がなく常に夜だというから、設定としては一貫性がある。でも火を焚いた側で野菜育てたりはしないのか、と思ったところで溜め息が出た。

 真に受ける必要はないのだ。電波話だし。多分。

 そのはずだ。

 何で俺はこいつの話をずっと聞いてしまうんだろう。可愛いからか? これまでも美人なんかいくらでも殺してきたのに。

「ハスムラ、私の話を信じていますか?」

 難しい質問やめろ。特にナイフとフォークを構えた状態ではマジでやめろ。

「……俺はこの世界しか知らねえからな。見たことないモノについては留保がつく」

「それは、そうですね。でもハスムラも、長生きすれば帰れますよ」

「うん?」

牢獄世界クルディカの住人は皆、罪人です。記憶も魔法も失い、寿命もずっと短くなる牢獄世界クルディカで、刑期を終える前に自分が何者か思い出さないまま死んでしまうことを罪人たちは最も恐れます。でも、もし終身刑ではなく刑期の終わりまで生きていられたら、記憶と魔法を取り戻して双天世界ヒュペイトに帰れるんです」

 ですから、とアニヤは少し身を乗り出して言う。みかん色の混じった眼をきらきらさせて、微笑んで。

「ハスムラが双天世界ヒュペイトに帰ったら、私のいる神殿にきっと来てくださいね。私、食べものをくれた人の恩は絶対に忘れませんから」

「そんな日が来るかねえ」

「来ますよ、きっと。その頃には双天世界ヒュペイトにも太陽が戻っていて、私たちも野菜や果物をたくさん育てているはず。罪を償って帰れるといいですね」

 罪を償って。そうだ、俺は犯罪者で、そこだけはアニヤの認識が正しい。償えるものかどうかは別として。

 でも、帰る場所は多分、どこにもない。そんな気がする。たとえ俺が忘れている『この世界以前の俺』がいたとして、そいつもやはり今の俺のように気が狂っていつも疲れ、何かから逃げ続けていたんじゃないかと思う。そうして犯罪者になったのだろう。

「帰る所なんてないよ」

「じゃあ新しく見つけるんですよ」

 簡単に答えてアニヤは笑う。

「私がヴァルナル様に拾われて居場所を見つけたみたいに」

 それはアニヤに起こった幸運の話で、俺にも似たようなことが起こるとは限らない。アニヤの幸運はアニヤの実力であって、俺とは関係がない。

 薄い苦しさが続いている。俺は不意に話を変えた。

「流れ星のお仲間はどうする? 全部記憶喪失かもしんねーけど」

「神子になるとは死ぬことに近いのです。務めのために命を捨てることは、それ自体が祈りであり喜びです。記憶を失うとはそれまでの自分が死ぬこと。それでも月の魔導師を倒すという目的は保たれているのなら、あの流れる星々はすべて祝福されています。私のように運よく記憶を保ったものも中にはいるでしょうし、やがて月の魔導師を皆倒すでしょう」

 アニヤは窓の外を見上げた。朝の淡い青空に、時折白く燃える流れ星が現れては消える。

「神と人々のため、使命のために命を賭す者だけが神子になることを許されます」

「あんたも神とかのために死ぬのか」

「そうですよ。神とヴァルナル様のためなら、私は何も怖くありません」

「俺に殺されたらそれは、神のために死んだことになるか?」

 間があった。

 アニヤはこちらを見た。純粋に疑問、といった様子で、なぜ、と訊く。

 俺は答える。本当のことを。

「俺は人殺しだし、銀の紋章みたいなやつがあるから」

 アニヤのフォークから赤いパプリカがぽとりと落ちた。

 もう俺は確信しているのだがアニヤはカラコンをしていない。この不思議なみかん色混じりの茶色が本当のこいつの眼なのだ。多分。そう思う。俺は気が狂っているのだと思う。知っていた。だから、アニヤの話を信じてしまう。こんな、どこからどう考えても電波みたいな話を。

 アニヤはまたたきもせずに俺をじっと見たまま、なぜ、ともう一度言った。

 衝撃を受けているようだった。

 なぜ、と俺も思う。

 お前の死に顔は見たくないな。




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