スピノザの世界
上野修さんの「スピノザの世界」を読了。
講談社現代新書から出ている。
いろいろ考えさせられた本だった。
読んで連想したことを以下に残すが、本の内容からは大きく外れている。
〇私たち
ひとつの仮定として、私たちは生きているだけで、その与えられた目的を果たしている可能性がある。
〇なぜ、生きつづけたいのか
なぜ、生きたいのか。
その問いに対して、家族や夢の実現などの理由を挙げる者もいれば、明確な理由を挙げられない者もいる。
また、生きていたくない者も少なくないだろうが、その者たちのほとんどは死にたくもないと考えている。
消極的ながら生を求める人々は、何によって生かされているのだろうか。
「ホームレスになるくらいなら自殺をする。そこまで生に執着していない」
実際に住む場所を失う前に、上のように考えていた人はある一定数いるだろう。
明確な理由がなくとも、基本的に人は生を求める。
その欲求の強さの原因は、「なぜ存在しているのか」という根源的な問いかけに対して、私たちが仮定以上の答えを持つことができないのが理由の一つだと思う。
私たちは、ルールを知らされていないゲームへ、強制的に参加させられている身だ。
ルールがわからない以上、自ら進んで生を捨て、あるかどうかわからない次のステージへ進もうとはなかなか思えない。
生への執着という、よくわからない不安定な基盤のうえに立っている我々は、不安定な存在にならざるを得ない。
仕組みのわからない動力でうごいている乗り物に乗らざるを得なければ、たいていの人間は不安になる。
その不安とどう向き合い、どう折り合いをつけていくのか。その処方箋を出すのが、哲学や宗教の役割のひとつだ。
生への執着がもたらすエネルギーをどう活用するか。どう制御するか。
生にとらわれすぎないようにするためにはどうすればよいのか。
生への執着の自覚は、人の特性であると同時に、その不幸の源である。
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