初夏色ブルーノート

一視信乃

中学生編:魔法を夢見る少年と空寝の姫君

「おっ、トモ。なかなか上手うまいじゃないか」


 中1の夏。

 遊びに来ていた、8つ上のがいった。


「よっしゃ。頑張ってるオマエに、イサト兄さんが、魔法を授けてしんぜよう」

「魔法?」


 だるい昼下がり。

 父のお下がりの、モーリスのアコギを手に問うと、彼はニヤリと笑った。


「女のコにモテモテになる魔法だ」


 そして俺からギターをうばい、慣れた手付きでかなで出したのは、さっき俺が弾いてた童謡。

 でも、なんか……カッチョいい!


「どうだ? カッケーだろう? こうやって半音下げてやるとー、ブルース風にアレンジ出来るんだ。ブルーノートっつーんだけど、これで、女のコのハートも胸も、鷲掴わしづかみ出来ちゃうぞー」

「スゲーっ」


 哀愁漂う旋律はもちろん、名前の響きもまたカッコいい。


 他にも叔父は、様々な魔法──いろんなスケールやコードトーン、演奏テクを教えてくれて、だから俺も、毎日真面目に練習した。

 出来たマメがつぶれ、血が出ようとも、めげずにひたすら弾き続けた。

 智昭ともあきのアキは、飽きっぽいのアキ──なんていわれてた俺が、まさかここまでのめり込むとは、自分でも吃驚びっくりだ。


 やがて努力は実を結び、学校でも得意げに演奏出来るようになったが、寄ってくるのはどういうわけか、むさっくるしい野郎ばかり。


 何が、魔法だ。

 こんちくしょう。

 いさの大ウソつきめ!


         *


 肩にギター、手にカバン、小脇に脱いだ学ランを抱え、俺は放課後の校舎を歩く。


 音楽室、追い出されちまったからなぁ。

 清春きよはるの委員会が終わるまで、どっかで時間潰さねーと。


 そう思い、自分のクラスである3Cへと向かう。

 電気の消えた教室は、ほんのりと薄暗い。

 夏の初めのまだ浅い空のブルーに染まる窓は、水族館の水槽すいそうみたいで、硝子ガラスの向こうで葉桜が、太陽を浴び揺れている。

 俺は後ろの黒板前の、自分の席に荷物を置いた。

 そして手近な窓を開けると、青いニオイを含んだ風が、さーっと吹き抜け心地いい。

 ゆったりと流れる時間。

 窓枠まどわくに手をかけ耳を澄ませば、運動部の掛け声や合唱部の歌に混じって、鳥の声や車の音が、幻のように聞こえてくる。

 それは、俺だけ世界から取り残されてしまったような、奇妙な錯覚を抱かせ……


 ……って、何いってんだ、俺。

 中2かよっ。

 いや、中3だけど。


 アホな自分を鼻で笑い、視線を教室へと戻す。

 次の瞬間、思わず声を上げそうになり、俺は慌てて口を押さえた。

 だって、見つけてしまったのだ。

 誰もいないと思っていたのに、廊下側の真ん中へんに、机に突っ伏す人がいるのを。

 椅子の背もたれにかかった上着は、こんえりなしブレザーで、今は白いブラウスに紺のジャンパースカート姿。

 まぎれもなく女子だ。

 顔は髪で見えないが、座席の位置から考えて、おそらくがわだろう。

 喜多川あき

 去年も同じクラスだったが、一度も話したことはない。

 真面目でお堅い優等生といった感じの、ちょっと苦手なタイプの女子。

 気の強そうな顔立ちは、結構好みなんだが。

 ぐっすり寝てるのか、ぴくりとも動かない彼女を見つめ考える。


 このまま二人っきりってーのは、あんまよろしくねーよなぁ。

 だからって、寝てる女子を一人にしとくのも、あんまよろしくねー気がする。


 迷った俺は自分の席へ行き、ケースからギター、ズボンのポケットからピックを取り出した。

 そして椅子ではなく、机に腰掛けチューニングする。

 一弦ずつ、躊躇ためらいがちに音を確かめ、最後にジャーンとき鳴らす。


 よしっ、それじゃあ何を弾こうか。


 悩んだ末、レパートリーから選んだものは、最近覚えたての曲。

 短い前奏のあと、すぐ馴染みのあるメロディーが始まる。

 どこか気だるげなブルース。

 原曲より早いテンポで、ちょうど一曲弾き終えたとき、急に彼女が頭を上げた。


「悪い、起こした?」


 たずねると、不機嫌そうににらまれる。


「起こして悪いと思うなら、どうして弾くのよ?」


 さすが喜多川。

 寝起きなのに正論だ──って、感心してる場合じゃねぇ。


「いやっ、これ一応子守唄だし。それにほらっ、ギター弾いてりゃ、なんもしてねぇっつう証拠になんだろ?」


 あせって弁明する俺を、クールに見つめてくる彼女。

 てっきり文句でもいわれるのかと思ったが、違った。


「……子守唄にしては、ずいぶんブルージーね。聞いたことある曲だけど」

「まあ、いろんなミュージシャンがカバーしてる有名な曲だからな。元は、黒人霊歌や民謡が取り入れられた、異色のオペラのアリアなんだ」


 ちなみにこれ、全部功人の受け売りだ。


「ふーん。さかうえって、ギターを持ったお笑い芸人みたく思ってたけど、ちゃんといい曲弾けるんだ」

「えっ」


 いい曲弾けるとめられたことより、芸人みたく思われてたことにショックを受ける。

 ひょっとして、俺がモテないのって、そのせい?

 動揺する俺は、「ねえ」という声で我に返った。

 喜多川が、身体を俺に向けていう。


「ギター、もっと聴かせて」

「えっ?」

「今の、もう一度聴きたい」

「……わかった」


 まさか、そんなこといわれるとは思いもしなかった。

 俺は一度深呼吸して、それから強く弦を押さえる。

 人前で弾くのも、だいぶ慣れたはずなのに、なんかスゲー緊張すんなぁ。

 だが、いざ弾き始めるとすぐにノってきて、いろいろ遊んでみたくなった。

 チョーキングしたり、音数をだんだん増やしていったり……。

 どうせなら、思い切りカッコよく弾いてやれ!


 演奏が終わり、いんも消えると、今度はあんの息を吐き、それから彼女の反応を見る。

 喜多川は、なぜか立ち上がり、両手を胸の前で組んだ。

 そして、迷う素振りをしてから、何かいおうと口を開く。

 まさにそのとき、開いた後ろのドアの影から、明るい髪の男子生徒が──一緒に帰る約束してた、友人の清春が顔を出した。


「ああ、やっぱ智昭か。ギターの音が聞こえたから、もしかしてって──」


 よそのクラスにも関わらず、ずかずか入ってきた彼は、途中で言葉を切り、俺と喜多川を交互に見やる。


「……もしかして、ジャマした?」

「なっ……何いってんだよ!」


 俺は思わず声を荒げた。

 一方、喜多川はほおを赤らめ、不躾ぶしつけな視線から逃れるようにカバンと上着を抱え込む。


「じゃあ、わたし帰るわね。ギター、また聴かせて」


 せわしなく出ていく後ろ姿を、一緒に見送ってた清春が、俺の隣に来てもう一度同じことをいった。


「やっぱ、ジャマした?」

「別にっ。委員会終わったのか? じゃあ俺たちも帰ろうぜ」


 俺はギターをしまうと、清春の背中をバシッと叩く。

 その力がつい強くなってしまったのは、まあただの八つ当たりだ。

 せっかく、いい感じだった気がするのに。

 これでもう、喜多川と関わることも、ないなんだろうなぁ……。


 そう思っていたが、学校でギターを弾いてると、何度か喜多川の視線を感じた。

 目が合うとそくらされちまうが、どうやら演奏を聴いててくれているようだ。

 最後にいったアレ、社交辞令じゃなかったのか?


 そこで俺は思い切って、放課後の教室で、一人、本を読んでた彼女に話しかけた。

 「ギター、弾いてもいいか」って。

 彼女は構わないといってくれて、それから俺たちは、いろいろ話をするようになった。

 弾いた曲の感想を聞いたり、勉強を教えてもらったり……。

 喜多川は、思っていたより饒舌じょうぜつで、面白くっていいヤツだった。

 元々美人だとは思っていたが、たまに見せる笑った顔がまたスゲー可愛くて、それ知ってんのはきっと、クラスの野郎の中じゃ俺だけなんだろうなぁと思うと、なんか勿体もったいない気がしたし、それで良かったとも思った。

 このままずっと、独り占めしておきたいと。


 だから俺は喜多川に、告白することにした。

 夏休み明け、近くの公園に呼び出し、思いの丈を伝えると、なんと返事はOKで。

 あまりの嬉しさに、功人にまで自慢しまくり、ギターのお陰だと感謝もしたが、ただ俺たちは受験生。

 俺はともかく、彼女はここいらでも有数の進学校を目指していたから、遊ぶひまなど当然なくて、カップルらしいイベントも全部お預けになってしまった。


 でも、お陰で二人とも無事志望校に合格出来たし、学校は違うけど、これからは一緒に楽しいことが出来る。

 そう信じて疑わず、迎えた卒業式のあと、俺は喜多川に呼び出された。

 場所は、思い出のつまった教室。

 胸に花を付けた彼女は、思い詰めた顔で切り出す。


「第二ボタン欲しいんだけど、いい?」


 ──って、まさにラブイベントの定番じゃないか!

 喜んで差し出すと、受け取る方も、口元に小さく笑みを浮かべた。


「ありがとう。記念に、一生大事にする」

「記念って、大げさな。どうせこれからも、付き合いは続くんだし。だろ?」


 疑いもなくいった言葉に、彼女はなぜか答えない。

 眉尻を下げ、目を伏せる。


「喜多川?」


 呼び掛けにビクッと身を震わせた彼女は、俺のボタンを握った手を祈るように胸に押し当て、潤んだ瞳で俺を見上げた。


「ゴメン。わたしもう、坂ノ上と付き合えない」

「えっ?」

「わたし、ずっと勉強ばっかで、友達もほとんどいなくって、つまんないヤツだなって自分でも思ってた。だから告白されたとき、こんなわたしでもいいっていってくれる人がいたのがスゴく嬉しかったし、それに坂ノ上と付き合えば、ボッチじゃなくなる、リア充になれる、そう思ってOKしたの。全部わたしの打算で、坂ノ上を利用しただけなの。本当にごめんなさい」


 口をはさすきもないほど、きっぱりといい切って、彼女は教室を飛び出していく。

 展開に付いていけない、バカな俺を置き去りにして。


 ──それが俺の、中学最後の思い出となった。

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