《4》食べられそうで食べられない物

 亜希とスアラが少女とつかず離れずの距離を保って移動し続けて数分が経過した。


「……この子『おむすび』って呼ぶのね」

「え、何よ藪から棒に」


 徐に喋り出した亜季にスアラが少女に視線を向けたまま突っ込んだ。二人ともどうやらこの状況に慣れてきたらしい。


「スアラはなんて呼ぶ?」

「おにぎりね」


 亜希の手に持つ食べ物をちらりと見てスアラは答える。


「ルーヴァはー?」

「おにぎり」


 少女の後ろの方からルーヴァが言った。


「『おにぎり』と『おむすび』は呼び方が違うだけで同じものを指すんだけど……まあ、形によって違うっていう説もあるけどね。

 『おむすび』が三角形もしくは俵型を指し、『おにぎり』は形は決まっていない、はたまた逆に『おにぎり』が三角を指す等あってね。

 他にも言葉の由来が違う説、海苔の巻き方が違う説とかいろいろあるのよ」


 この間に少女は二歩進む。亜希とスアラは三歩下がる。ゆっくりと前進する少女。すり足で後退する二人。


「全国的に見ると『おにぎり』って呼んでる人が九十%近くいて、『おむすび』は少ないのよね。

 都道府県別でも『おにぎり』の方がどこも多くて、『おむすび』が比較的多いのは山口・広島県とかだとか。地域別では近畿が『おにぎり』、中国・四国が『おむすび』、九州と沖縄が『おにぎり(にぎりめし)』優勢らしいよ」


 大股で二歩進む少女、大股で二歩下がる亜希とスアラ。

 ずん、ずん、ずんと進む少女。ざり、ざりと下がる二人。ススススと進、サササと下……


「あーあと、大手コンビニでも違うわ。ローソ◯は『おにぎり』、ファ◯マは『おむすび』、セ◯ンはどっちもあるんだって」

「……なんでそんなに詳しいのよ?」

「そりゃルーヴァとの勝負のため」

「………………」


 亜希とスアラがそんな会話をしている間に、いつの間にか少女が距離を半分まで詰めてきていた。

 接近してくる少女にそろそろ身の危険を感じてきた亜希は、手に持っていたおにぎりを彼女に向かって放り投げる。

 刹那。少女の目がきらりと光り彼女の足が地面を蹴った。そして弧を描いて宙を舞うおにぎりを手ではなく口で器用にキャッチする。

 フリスビーを投げられた犬が空中でそれを咥えた様子に似ていた。


(野性的な子なのかな……)

(野性的な子なのかしら……)


 幸せそうな表情を浮かべてもぐもぐと食べている少女を見ながら二人は心の中で思うのだった。




 おにぎりおむすびを食べて満足したのか少女が大人しくなったので、亜希とスアラは安堵の息を漏らした。


「ふう、よかった……」

「食品サンプルを本物と見間違えるなんて……よっぽどお腹空いてたのね……」

「あれ、食べ物じゃなかったんだ?」


 少女が亜希の手作りおにぎりおむすびを頬張りながらたずねる。これは二個目で鳥そぼろを混ぜ込んだものである。ちなみに一個目の具は梅とおかかだった。なお梅の種はしっかり取り除いてから握ってきた。


「うん。お店のメニューの模型。食品サンプルともいうかな」

「そうなんだー。すごくそっくりだね」

「見たことないの?」

「うーん……」


 少女は首を傾げた。記憶喪失のせいなのか、もともと知らないのか。


「食品サンプル知らないのも珍しいかな……あまりメニューの変わらない飲食店や大衆食堂とかにはあったりするんだけど」

「この子欧米からの帰国子女なんじゃないの? 食品サンプルは日本ではよくあるけど、海外ではアジア圏以外はあまり浸透していないし」


 亜希の言葉にルーヴァがそう言う。余談だが、食品サンプルは日本発祥のもので大正時代から昭和初期にかけて誕生したものだ。


「あ、あれすごいねー。フォークが宙に浮いてる」


 洋食店の食品サンプルを改めて眺めていた少女が感嘆の声を上げた。

 そこには麺を掬い上げたフォークが空中で静止しているナポリタンの食品サンプルがあった。


「麺が滝みたいだね!」

「「「………………」」」


 ただし、フォークの位置が普通に食べる時に持ち上げる高さをはるかに超えていた。よく見かけるフォークや箸が持ち上がったサンプルはこんなに高くない。

 他の食品サンプルは普通のものばかりなのでこれだけ目立って見えた。きっと看板商品なのだろう……


「あれ何でできてるの?」

「塩化ビニールやシリコンだね。昔はろうで造ったりしてたけど」


 少女の質問にルーヴァが答えた。


「ふーん。それって食べられる?」

「「食べられないから!!」」


 今度は亜希とスアラが同時に答えた。


「……っ!?」


 横にいるスアラが突然周囲を見回したので亜希はやや驚いた顔で見る。


「ど、どうしたの?」

「なんか……視線を感じたのよ」


 スアラは怪訝な顔をして答えた。


「そうなの? 私にはよくわからなかったけど……」

「私もまだ見習いだから自信はないけど」


 クレイシェ家の使用人は護衛もできるように教育されるらしい。


「スアラがそう感じたならそうなんじゃないかな。スアラの勘はいい方だから」

「ルーヴァ様……! 恐れ多いです!!」


 ルーヴァの言葉にスアラは感激して涙まで浮かべている。


「集中が途切れやすいけど」

「……すみません」


 打って変わってスアラは項垂れた。


「もしかしてあの時の人かな?」

「そうねぇ……」


 亜希とスアラの頭に数十分前に廊下で会った赤毛の青年の姿が思い浮かぶ。


「あの時の?」

「あーえっと」

「実は……」


 首を傾げるルーヴァに二人は少女と出会ってからの経緯をここでようやく説明した。

 話を聞き終えたルーヴァは眉を寄せて亜希を見る。事故とはいえ人が記憶喪失になってしまったので、深刻そうな表情をするのは当然だろう。


「いつの間に亜希は人を突き飛ばすと記憶も一緒に飛ばせるようになったの?」

「違うから!!」


 至極真面目な顔でルーヴァが言うので亜希は全力で否定した。変な異能が目覚めたように言われても困る亜希である。

 と、ここでまた誰かのお腹の音が鳴った。

 普通に考えればおにぎりおむすびを食べた少女以外の誰かだが、なぜか彼女からその音が聞こえてきた。

 三人は思わずお腹を押さえている少女を見る。


「本物そっくりの御飯見てたらまたお腹空いてきちゃった……」

「ええー!?」

「なんですって!?」


 また元気がなくなってきたように見える少女に亜希とスアラは仰天した。


「亜希、おにぎりは!?」

「もうないよ! 大きめに作ってきたおにぎりのはずなんだけど!?」


 慌てて確認するスアラに亜希は首を振った。なぜもうお腹が空いてくるのかと二人は困惑する。

 ルーヴァにも何かないかとたずねるが、生憎食べ物は持ち合わせていないという。


「もしかしてこの子、大食いなんじゃ?」

「「……………」」


 ルーヴァの言葉に二人は絶句した。再び少女が完全に空腹になれば先程のようなことになりかねない。


「コンビニ……はここからは遠い……」

「マ◯ドもよ」

「こ、こうなったらその辺のお店に入るしか」

「そ、そうね。何か一個頼んで割り勘しましょ」


 亜希とスアラは空腹になり始めた少女を連れて、さっき話題になっていた食品サンプルの洋食店に向かう。

 ルーヴァはたまたま居合わせただけだが、なんとなく気になったので三人についていった。

 その四人の後ろ姿を、スポーツ用品店の商品を物色するふりをしつつじっと目で追っている者がいた。

 亜希たちが木製の扉を開き中へ入ると、その人は手に持っていたキャップ帽を置き店を後にする。そのままオープンテラスのあるカフェに入っていき、窓際のカウンター席に座った。

 そこは硝子張りになっていて行き交う人がよく見える。奥の方には通りを挟んだいくつかの店が立ち並び、亜希たちのいる洋食店が斜め向こうに佇んでいた。



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「おにぎり」と「おむすび」についての引用:広辞苑、Wikipediaの「おにぎり」より。

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