第15話 小学生のみちる

 あたしは幼少期からタッ君にくっついて、いや、へばりついていた子だった。年は1つ違うけど、幼稚園児の頃からの付き合いだ。元々家も近いし、小学生になった頃からは、お互いの家に遊びに行く仲になった。お人形遊びとか、お絵描きとか、どちらかといえば女の子っぽい遊びを、タッ君は一緒に楽しんでくれる。優しいお兄ちゃんみたいで、居心地が良かった。気付いたら懐いていた、みたいな感じかな。同年代の女子とも遊んだけど、タッ君を見つけると、そっちに行ってしまう有り様だ。我ながらどうかとは思うけど、体が自然にタッ君へ向かってしまうのだから仕方ない。うん。仕方ない。当然、タッ君は男子の友達と遊んでいるから、そこにあたしが乱入する形になる。男子の輪に入って遊ぶ女子だった。年上の男子にも物怖じしなかった。まあ、他の男子に興味がなかったからってのが理由だけど、とにかくタッ君と遊びたかった。


「タッ君、タッ君、何してるのー?あたしも混ぜてー」


「ん?みちる、あっちで遊んでいたんじゃないのか?」


「いいの。タッ君と遊ぶから!友達にも言ってきたよ」


「じゃあ、大丈夫か。おーい、みんな、みちるも仲間に入れていいかー?」


 タッ君の友人達は、テレビの真似事でふざける子や、鼻をほじっている子もいたが、皆「いいよー」と受け入れてくれた。男子の遊びは運動系が多かったけど、あたしは運動神経が良く、足の速さも引けを取らなかった。自分で言うのもなんだけどね。周りの男子も手を抜かなくなって、あたしとしては張り合えていることが誇らしかった。そんなあたしに、タッ君はいつも付き添ってくれた。鬼ごっこなら一緒に逃げてくれるし、かくれんぼなら会話できる程度の距離で隠れてくれる。守ってもらえてるみたいで、お姫様気分だよ♪遊ぶときのタッ君は、あたしに対して過保護だなあと思いつつも、それが嬉しかった。ある年の小学校の運動会でのこと。あたしが3年生で、タッ君が4年生のときだ。競技は徒競走。小学生の甲高い声援にグラウンドが覆われるなか、1人の女の子が足をもつれさせて転んでしまった。膝を擦りむいてしまったらしく、その場から立ち上がれないでいた。すぐに先生が駆け付けた。先生と一緒に当時、保健委員会に所属していたタッ君も女の子のところへ走っていく。手当ては先生の役目だし、小学生が助けに行ったところで、出来ることなど、たかが知れている。それでもタッ君は、女の子に肩を貸してあげると、何やら会話をしながら、仮設の待機場所まで歩幅を合わせて進んでいった。今にして思えば、先生の指示で動いたことは明白だ。だけど、当時のあたしから見たら、1人で全部解決したように映って、ヒーローにしか見えなかった。同時に助けられた女の子には、羨望と嫉妬の念を抱いた。タッ君に優しくされていいなあ。転んだのに、いい思いしてずるいなあ、って。これだけで終わっていたら美談なのだけど、当時のあたしは、愚かな考えに辿り着く。


 あたしも同じように助けてもらいたいな。


 学年でも1番足が速かったあたしは、徒競走の順位など、もはや興味がなかった。そんなことよりも、目の前で起きた出来事にその手があったかと、驚く自分がいた。決められた競技がスピーディーにこなされていく。あっという間に、あたしが走る番になった。間違いなく、あたし1人だけが、ゴールテープ以外の場所に意識が向いていた。タッ君は先程も一緒だった先生と共に、真剣にグラウンドを見守っていた。


 パァン!


 けたたましいライカンピストルの音が轟いた。その音波に弾かれるようにして、あたしの四肢は風に乗って走る。スタートダッシュの仕方、そして、トップスピードに乗せる術をあたしは知っている。この身体が覚えている。すでに、あたしの前はおろか、横にも他の走者は見えない。このまま走れば余裕で1等賞だろうけど、生憎あたしが欲しいのは、それじゃあない。視界にタッ君がチラリと映った。今だ。さっきの女の子が転んだ場面を再現するんだ。躍動する両足。その右足を強引に、自身の左足に引っかけた。両足がもつれて、地面から離れていく。トップスピードに乗った身体が斜め右下に、反転しながら崩れ落ちる。一瞬の浮遊を感じた後、太陽に熱された地面にぶつかる。両足は宙に投げうたれたまま、右腕と右肩に全ての衝撃が集中した。運動会なので、半袖短パンにて、この愚行に及んでいた。転んでから最初に感じたのは熱だった。あたしの右半身を襲う熱。あついあついあつい。他の走者の足音が遠ざかっていく。応援する生徒の声も遠くで聞こえるが、時折、あたしを心配する声もあるような気がする。スピーカーから流れる運動会用の軽快で陽気なメロディーが、否応なしに、あたしの鼓膜を震わせてきて、とても不快だった。肘と肩がヒリヒリし続けていて辛い。動きたくない。口から荒い呼吸が漏れてしまう。酸素を求めて息を吸えば、乾いた砂ぼこりが喉に付着してむせた。意味もなく「うー」と声が出た。痛みを堪えるために閉じていたまぶたを少しだけ開くと、視界は涙で霞んでいた。これだけ五感を犯されると、意識を手放してしまいたくなる。そこに、遠ざかったはずの足音が、ドタドタと近づいてくる。いや、違う。この人達は。先ほどの女の子同様、先生とタッ君が来てくれた。やっと来てくれた。体感では5分くらい放置されている感覚だった。話しかけられるが、何と言っているのか頭が回ってくれない。とりあえず「はい」と「痛いです」を数回喋った。会話になっていただろうか。タッ君が肩を貸してくれていたらしいが、痛みのせいで特に覚えていない。場所を移して、手当てをしてもらった。運動会を見に来ていた両親も、すぐに駆けつけてくれた。ホントに最悪だ。一方グラウンドでは、タッ君が走る番を迎えていた。見事に1等賞になったタッ君。あたしは、その瞬間を見逃していた。そんなタッ君があたしの元にやってきた。 パイプイスに座っていたあたしは、自然と見上げる格好になる。


「みちる、どうして、あんなことをしたんだ」


 タッ君の眉間にはシワが寄っていた。怒っていることがうかがい知れた。


「う…。こ、転んだこと?」


 おそるおそる尋ねると、タッ君は声を大きくした。


「やっぱりか!わざと転んだんだな!みちるがあんな転び方するなんて、おかしいと思ったんだ!でも、理由がわからない。どうしてなんだ」


 心が弱っていたあたしは萎縮して、何も言えなくなってしまう。答えないあたしにタッ君は、しゃがんで目線を合わせてくれた。答えるまで待つらしい。観念して口を開くことにした。


「…タッ君に…助けに来てほしくて…転んだら来てくれるから…ゴメン…なさい」


 尻すぼみになりながらも、素直に喋った。バツが悪くてうつむいてしまう。擦りむけた肘と膝。グラウンドに擦ったせいで、濁ったネズミ色になった体操服が視界に入り、惨めさを増長させた。あれ?左の手のひらも、少し擦れてるや。ピリッとした痛みと視覚でやっと気付いた。肩を掴まれる。痛くないほうの肩だ。上体を起こされたあたしの目の前には、さっき以上に怒った顔のタッ君がいた。


「みちるなバカ!そんな下らないことのためにケガすんなよ、バカ!いつも俺にくっついているだけで頭はいいヤツだと思っていたのに、バカすぎるよ!バカ!」


 何回バカって言うんだ。酷いよ。悲しすぎる。あたしは下唇を噛んで、こみ上げるものを我慢するので精一杯だ。


「こんなことするなら俺はもう、みちるとは遊ばないぞ!俺のせいで、みちるがバカなことするなんて、俺が耐えられない!」


 我慢していたものが、あっさりと決壊した。鼻の奥がツーンとなり、顔がクシャッと歪んでいく。涙を堪えきれなかった。言語になっているかわからない声で喚いてみせた。あたしの自業自得とはいえ、全く優しくないタッ君に腹が立ってしまった。目の前の怒った顔を睨み付けながら、力いっぱい叫ぶ。まるで赤ちゃんだ。小3にもなれば、少しはお姉さんだと思っていたのに、情けないったらありゃしない。その日は、最後まで運動会を見学するハメになった。翌日には、タッ君にごめんなさいをした。どう考えたって、あたしが悪いのだから、頭を冷やしたら謝るしかないという結論に至った。


「いいか?みちるが大事だから、怒っているんだからな。昨日言ったことを撤回はしないけど、キツく言い過ぎたからな。こっちこそゴメン」


 あたしはそう言われて、また、エグエグと泣いてしまった。当時のあたしは、許してもらえないかも、と本気で思っていたから、ホッとした。こんな風に怒られたのも、今となってはいい思い出だ。


 閑話休題。部活動が始まった。タッ君が入部した卓球部に、あたしも当然入部した。卓球の話を、あまりにも楽しそうにするものだから、それ以外の選択肢などなかった。果たして―、卓球はチョー楽しかった!思い通りにボールが打てたときの感触や、小気味良いピンポン玉の音が好きになっていく。個人競技だから、自分の好きなようにプレーできるのも良かった。自分の性格に合っていたのだろう。のめり込んでからは、メキメキと上達した。県大会程度なら優勝もした。


 だから、これからも楽しく卓球ができると思っていたんだ。

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