第19話

 ▽

 

 ――7月第2土曜日。

 静岡県ジュニア柔道県予選。決勝戦!

 

 会場の県営体育館のど真ん中に私は立っている。

 相手は私が去年負けた沼津代表の桜沢さくらざわさん。

 この1年でさらに体も技も仕上げてきているのが分かるし、体格だけならもうとっくに負けてる。

 畳の上で浅く息を吐いた。

 去年は固技を狙って逆に投げられて、技ありを取られた。

 桜沢さんは体力があるから試合が長引いたらこっちが不利だ。


「はじめ!」


 試合開始の合図とともに、桜沢さんは積極的に襟を取ろうとしてくる。

 そうだと思ってた! 私の固技を警戒して、きっと試合序盤から飛ばしてくると。


 ならば!


 襟を取られた瞬間、私も向こうの襟と中袖を持った。そして桜沢さんの力を利用して、思い切り体を沈ませる。


「たあああ!」


 相手のお腹に当てた足を軸にして、後方に吹っ飛ばした。


「イッポン!」

「巴投げだ!」


 わっと会場が沸くのを遠くで聞きながら、私はただ呆然と息を整えるので必死だった。

 リベンジに燃えたのはほんの一瞬で、後は目の前の強敵に集中していた。

 じわりと視界をにじませる涙をぐっとこらえる。


 勝った……。県大会、優勝だ!


 脱力した体をなんとか起こして、上手に受け身を取った桜沢さんに手を差し出す。


「「ありがとうございました」」


 突然、握手をした手がズキリと痛み出した。右手首がジンジンとしびれ始める。


 なに……これ。


 私の異変に気づいた桜沢さんはすぐに手を離してくれた。ありがたく思いながら、右手を押さえてすぐに師範の元に戻る。


「実咲〜! すごいぞー!」

「実咲さま〜!」


 応援団の歓声を浴びながら、私は背筋が凍る気分になっていた。

 投げた時は必死だったから気がつかなかった。

 多分、引き手に変な力が入ってしまったんだ。

 ズンズンズキズキと指先にまで響く手首の痛み。

 それよりも、私は1週間後のハイパーペーパークラフト全国大会のことで頭がいっぱいになっていた。

 師範は私の手を見てすぐにタクシーと病院を手配してくれた。

 その間も私の頭の中はまっしろで。


 どうしよう……。

 勝ったけど、去年のリベンジはできたけど。

 私、ケガをしてしまった……?

 しかも利き手の手首を?


「おーい! 実咲ー?」


 背後から聞こえてくる将継の声が辛くて、私は振り返らずにそのままタクシーに乗り込んだ。


 ▼


「全治2週間!?」

「手首のねんざ……。投げた時、変な方向に力が入ったんだろうって」


 実咲のお兄さんが言いづらそうに教えてくれた。

 実咲は試合が終わってすぐに師範に連れられてどこかへ行ってしまった。

 それから表彰式にも姿を見せず、俺らは疑問に思いながらバスで帰ろうとしていたところやった。

 バス停にお兄さんが慌てて走ってきて、バスに乗ろうとしていた俺とケントを呼び止めた。

 そして聞いた実咲のケガ。

 実咲のリベンジの代償はとんでもなく大きかった。


「それってハイパーペーパークラフトの全国大会に間に合わないってことか?」

「お兄さん、実咲に電話繋がります?」

「あ、ああ」


 お兄さんはスマホのスピーカーをオンにして俺らに渡す。


『もしもしお兄ちゃん?』

「実咲!」「大丈夫か!?」


 電話口で『うわあっ』と驚く実咲に、俺とケントは次々と声をかけ続ける。


『待って待ってふたりとも! 私ならダイジョーブ。ケガも大したことないからさ』

「でも全治2週間って」

『まあ激しい運動はひかえるように言われちゃったけど、紙は切れるよ! 来週の全国大会もちゃんと出れるから安心して』

「でも」

『絶対絶対大会出るからね!』


 声だけなら元気そうやけど、無理に明るくふるまっている気もする。

 俺とケントは目を合わせて、実咲に答えた。


「分かった。とりあえず今日はお疲れさん。ゆっくり休んで」

「最後の巴投げすごかったぜ。優勝おめでと!」

『こちらこそ応援ありがとう。じゃあ……また学校でね!』


 実咲の明るい声で通話が終わる。それと同時に俺は得体の知れない不安に襲われた。


「なあ将継、手首痛めたままハサミなんて握ったら……」


 ケントも俺と同じ気持ちのようで、深刻な表情を浮かべている。

 ハサミを握ったら悪化してしまうかもしれん。そしたら治るんが遅れて柔道の試合にも支障が出る。

 それでもきっと実咲はどっちも出るって言うに決まっとる。


「全国大会、俺らでなるべく実咲の負担を減らそう」

「それってつまり……」

「俺らで絶対に2勝する」


 もしも途中で実咲が切れなくなったとしても、2勝できれば道は繋がる。俺らにできることはそれしかない。

 ケントは少し黙った後、小さな声で呟いた。


「本当はあいつを止めるべきじゃないのか」

「ケント?」

「無茶はやめろって言えるのは俺達だけなんじゃないのかよ。なあ将継!」


 ケントの必死な視線が俺に突き刺さる。

 ケントの言うとおり、実咲のためを思うならハサミを握るのを諦めさせるべきなんやと思う。

 それが本当の優しさや。でも、考えれば考えるほど俺の頭の中に浮かぶのは実咲と一緒に階段から落ちたあの日のこと。

 あの日俺が実咲を引き込んだ。それからの実咲の努力も見てきた。大会で勝ちたいことも、楽しみたいことも、全部知っとる。

 実咲が出ると言うのなら、今さらやめろとはどうしても言えん。


「俺には……。できんよ」

「将継……」


 優しくなくてごめん。無茶させてごめん。

 それでも俺は。


「ふたりとまだ一緒に紙を切りたい……!」


 そう絞り出した声に、ケントは顔をくしゃりと歪ませた。


「そんなの、そんなの俺も同じだ! あいつを止めないなら……俺達で勝つぞ!」

「ああ! やろう!」


 ゴチンと拳を合わせて、俺らは心を決めた。

 全国大会、俺らがやったんねん!


「そうと決まれば特訓や!」

「おう!」

「あの〜スマホ返して?」


 ハイパーペーパークラフト全国大会まであと……1週間!


 ▽


 6年生の1学期が終わる日。

 終業式では『紙切り』クラブの全国大会出場が発表されて、全校生徒の前で将継がひと言あいさつをした。


「全国大会優勝してきます!」


 そのセリフを胸に刻んで、私は大きく頷く。

 ハイパーペーパークラフトの全国大会はもう明日に迫っている。

 場所は東京。西丸先生の引率のもと、高速バスで会場に向かう予定だ。

 家族と応援団のみんなはそれぞれの車に乗り合わせてきてくれるみたい。

 嬉しいけど、情けないところは見せられない。

 私は包帯を巻いた右手首をもう片方の手で撫でた。


 お願い、どうかちゃんと動きますように。


 ジリジリと響くセミの声をBGMに、校長先生の長話が続く。

 カンが鈍らない程度に控えめな練習を続けてはいるものの、テーピングでガチガチに固定した手首ではイマイチハサミの速度が出ない。

 だから大会では、テーピングを外す。全力を出すために。


「は〜校長の話長かった〜」

「番長〜ケガ大丈夫?」

「ダイジョーブ! こんだけ固定してたらなんともないって」

「実咲さま、どうか無理はしないでくださいね」

「ヘーキヘーキ! みんな心配しすぎだよ」


 終業式が終わってから教室に戻るまで、クラスのみんなに心配と激励の言葉をかけられる。その度に私は笑って返事をした。

 不安ならたくさんある。でももう決めたんだ。なにがあっても全力を出すって。

 病院からの帰り道。将継とケントから電話がかかってきた時、大会に出るなと言われたらどうしようと思った。

 私がケガをしたせいでチームが大会に出られなくなってしまうなんて嫌だった。

 でもふたりは私のためを思って私を止めるかもしれない。そう思ってビクビクしてた。

 でも実際は大会に出たいっていう私の気持ちを尊重してくれた。

 多分すごく悩ませてしまったと思う。

 だからこそ私はもう止まらない。


 全力を出すことがふたりの気持ちに応える唯一の方法だから!


「調子は?」


 将継がポンと私の頭に手を乗せる。


「問題ないよ」

「焦ってもっとケガすんなよ」

「分かってるって!」


 からかうようにひじで体を押してくるケントに言い返す。

 うん、いつもどおりの私達だ!


「前にも言ったけど、今日は練習なし。それぞれ明日の本番に備えてくれ。集合時間は厳守な」

「「了解」」


 帰りの会が終わった後、将継の指示に従って今日はこのまま解散する。

「夏休みだー!」と浮かれるクラスメイトに混ざって帰ろうとした時、西丸先生が声を上げた。


「『紙切り』クラブ〜。ちょっと集合」


 3人で顔を見合わせて、先生のもとに集まる。


「センセーどうしたの?」

「明日の予定はもう確認しましたけど」

「ちょっと渡したいものがね……はいこれ!」


 バサーーッ!


 西丸先生はすごい量の紙束を取り出して教卓の上に広げ始めた。私達は目を丸くしてそれを手に取る。


「センセーこれって」

「全国大会の出場選手データ! ギリギリになってごめんね」

「うわーすごい!」

「ありがとうございます!」


 すごい! 出場校から選手の戦績まで書かれてる!

 きっと、つくるのすごく大変だったんじゃないかな。

 私は胸のあたりがじんわり熱くなるのを感じながら、データの束を抱きしめた。


「それとね。学校のホームページにメッセージが届いてたよ」

「メッセージ?」


 先生は笑顔でパラリと1枚の紙を差し出す。

 それを見て私は「あっ!」と叫んでしまった。

 差出人は『聖ハンナ女学院ペーパークラフト部』。


 ――――――

 御殿場西小学校

『紙切り』クラブの皆様

 ハイパーペーパークラフトの全国大会

 がんばってください。

 静岡から応援しています!

 チーム聖ハンナ女学院より

 ――――――


 それは千代ちゃんのチームからのメッセージで、私は喜びに震える自分の体をギュッと両腕で押さえる。


 う、嬉しすぎて頭から花が咲きそう!


「よかったな実咲。もらっとけよ」

「ライバルからのメッセージなんて初めてもらったわ。嬉しいもんやなあ」


 コクコクと首を縦に振って、私は大事にメッセージをランドセルにしまった。


「県大会のみんなの気持ちを背負っていること、気負わなくてもいいけど忘れずにね」

「はい!」


 応援にきてくれる友達がいる。

 激励のメッセージをくれるライバルがいる。

 それがすごくすごく幸せなことだって、改めて感じる。

 24時間後、悔いのない私でいたい。

 私は右手首を見て、そのままぎゅっと拳を握った。


「全力でいく」


 将継とケントを見るとふたりも頷いてくれる。


 ハイパーペーパークラフト全国大会まで――あと24時間!

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