地域振興物語 小浜旅情 団長と委員長の恋

御海拾偉

第1話 老舗旅館の一人娘 平原小百合 帰郷

【老舗旅館の一人娘 平原小百合 帰郷】


-1-


 6月のとある水曜日午後3時すぎ、都市銀行いなほ銀行の支店通用口から慌てて飛び出してきた女性がいた。


 平原小百合24歳、夏が来れば25歳になる。

 近くの地下鉄出入口に飛び込んでいった。


 地下鉄に乗り込むとショルダーバッグからペットボトルを取り出すと一口、二口とお茶を飲み「ふぅっ」と小さくため息をついた。


 ペットボトルをバッグに戻すと次にスマホを取り出してメールを打ち出した。


 「母が倒れた、と田舎から連絡がありました。


今から長崎に飛行機で帰ります。今週のご実家へのご挨拶行けそうにありません。


ご両親にくれぐれもお詫びしておいてください状況がわかったら、すぐに連絡します」


手慣れた早打ちでそう打つと送信ボタンを押し、「ふぅっ」とまたため息をついた。


 大学時代は、季節の休みを利用してよくふるさとの小浜町に帰っていたが、銀行に就職してからは忙しさを言い訳にして帰省する機会も減っていた。


 そのことに罪悪感も感じて今年の正月には一泊二日で帰省したが、生家は地元では老舗の温泉旅館を営んでいる関係で母親とはゆっくり話すことができなかった。


 それでも、結婚したい相手ができた。


 今年中に相手の男性を連れて来る、という話しをした。


 久しぶりに見た母親は、少し痩せたようには感じたが母親が昔は地元の温泉街一の美人女将で通っていたと自慢するだけはあり、この歳にしては美形を保っていた。


 子供のころから子供心に美し母親は自慢でであったことを今でも覚えている。


 その母親が倒れるなんて……


 小百合は下を向いて泣き顔になりそうな顔を隠した。

そこへ着信を知らせる振動と点滅がなった。


 小百合はそっと、目尻を拭いスマホのメールを開いた。


彼からだろうと思ってメールを確認したが母親の友達で今は実家の旅館で仲居頭として働いている千代からであった。


 「空港に従業員を迎えにやります。旅館の送迎車です」


と書かれていた。


 「わかりました。午後6時頃には長崎空港に着きます」


と打って返信してスマホを閉じた。


 スマホをバッグに仕舞おうとしていると再度メールの着信があった。


 今度は彼氏の山口大悟だった。


 「落ち着いて帰ってね。大事ないことを心から願っている。


週末のことは気にすることないから」


と書かれていた。


 「ありがとうございます。田舎に着いたらまたメールします」


と打ち返し、またため息をつくのだった。


-2-


 午後5時55分、飛行機は予定時刻通り長崎空港に到着した。


 これまで何度となく飛行機で帰省した小百合だったが、これほど飛行機が遅く感じられたことはなかった。


 1分1秒でも先を急ぎたい小百合は人をかき分け先頭で到着口から外に出て見慣れた旅館の送迎車を探した。


 一方通行をそれと思しきバンが走って来るのが見えた。


 車は、小百合の真横に止まった。


 橘湾荘というボデーに大きく書かれた文字を確認して後部座席に乗り込んだ。


 初めは助手席に乗り込もうとしたが運転手が若い男だったので小浜までの2時間、見知らぬ男の横にいたくないなとと感じて後部座席に乗ったのだった。


 後部座席のドアが自動で閉められた。


 「お帰りなさい」

運転席の男性が小百合に言った。


 「ただいま。迎えに来ていただき済みません」


と小百合は頭を下げた。


 空港ビル前を発車しぐるっと空港駐車場の外周道路4分の3周して海上道路を入った。


この運転手、顔なじみの従業員ではなかったので小百合は母の状況を聞いていいものか思案していた。


海上道路を抜けて最初の交差点で信号待ち停車した際に意を決して小百合が口を開いた。


 「あのう。母の状況をご存じでしょうか」


 「女将さん、ここんところ心労が続いとったごたるとさ。

最近ずっと元気のなかったっちゃん」


 小百合は見知らぬ男の従業員とも思えない物言いにムッとする心が顔に出るのを抑えるのに苦労していた。 


―― なお、今後は方言を同時通訳により標準語として表記していくが地元民の会話はすべてバリバリの長崎弁、南高弁(南高来郡の方言)であることをご理解願いたい。 ――


 「仲居頭の話では今日、夕べからのお客様をお見送りしてから一回、自分の部屋に帰られたそうだ。


昼になり、今日、俺が早出だったんで、昼間旅館にいる人たちの賄いを作ったんだが、女将さんに電話しても電話に出ないから仲居頭と一緒に部屋に行って見たら女将さんが布団の上で苦しんでいて救急車で小浜公立病院に運んだんだ」


と男が言った。


 この男はどうやら厨房の板前なんだろう、と小百合は想像した。


 それにしても初対面の雇用主の娘に敬語も使わない、礼儀が知らずの男に不快感が増していく小百合だった。


 「それで、母の状態はどうなんですか」


と怒気を含んで小百合が言った。


 「板場の下っ端に、そこまではわかるわけないだろう」


と男が言った。


 その言葉を聞き小百合は、知らないならこの男と着くまで話すことはない、何か話しかけてきても無視しようと決め、スマホを取り出してワザといじくり始めた。


 車は高速道路に入った。

 車内に沈黙が続いた。


 しびれを切らしたのか、男を口を開こうとするのを小百合は感じた。


 誰がこんな礼儀知らずの田舎者と話すか、と小百合は身構えた。


 「しかし、さっきからえらく他人行儀だな委員長。


いくら都会の大銀行に就職したからって、そんな態度取られるといくら仏の俺様でも気分は良くないぞ」


と男が言った。


 「えっ…… ?」


小百合は男の、他人行儀、という言葉に驚いて後ろから男の顔をマジマジと見た。


 「えっ……?えぇっ…… だ、団長?」


小百合は驚きのあまり大きな声を出していた。


 言われないと気付かなかったが確かに車を運転していたのは中学校時代の同級生だった峯村斗司登であった。


 斗司登は1年の2学期から島原の方から転校してきた転校生で母親が橘湾荘の住み込み仲居となったために旅館の家族寮に住んでいた。


初めは無口で大人しかったのでクラスのやんちゃグループの標的にされたがある日、斗司登が切れてグループと大立ち回りを演じて


からはいじめはなくなったが、腫れ物に触るように誰も斗司登に近づく者はいなくなりクラスで浮いた存在となっていた。


 ただ、一人そんな斗司登に声をかけていたいたのが町を代表する老舗の菓子メーカーの息子の立花大陸だった。


 そんなクラスで浮いていた斗司登を小百合は全国コンクールに何度も出場している町の自慢であるブラスバンド部で入部を勧めた。


 最初は「ほっとけ」と反発していた斗司登だったが小百合と大陸が根気よく誘い続けた結果渋々斗司登も入部し、中3の時は全国大会金賞を勝ち取り全員で涙するという感動を味わったのだった。


 中学校卒業後は、互いに別々の道を歩いてきたので斗司登との再会は約10年振りであった。


ちなみに団長とは斗司登の中学校時代のあだ名であった。

委員長は小百合のあだ名であり当然、大陸のあだ名は社長である。


 「うっそう…… 何で団長がうちの車に乗ってんのう」


驚きが醒めやらない感じで小百合は斗司登に言った。


 「何でって、去年の秋頃から橘湾荘で働いているからさ。お嬢様、よろしくお願いします」


戯けて斗司登が応えた。


 車は古賀パーキングの手前まで来ていた。


 「ちょっと、パーキングで車止めてよ」


と突然、小百合が言った。


 斗司登は左にウインカーを上げて、古賀パーキングに入って行った。


 いつものように古賀パーキングは駐車車両は少なく、進行方向に向けて真っ直ぐ駐車枠に止めることができた。


 小百合は後部座席から降りて、助手席に乗り移った。


 「ありがとう。出発して」


小百合は斗司登の顔を見てそう言った。

斗司登は小百合の顔から正面に視線を戻し、車を発車させた。


 小百合にとって、母親の容態が心配で気が気でもない心持ちの今、懐かしい旧友と再会し、雑談しながら故郷に向かえることは重苦しい心情を少し和らげてくれることになりありがたく思っていた。


 それでも故郷の町がある島原半島の玄関口、愛野町に入って行く頃には言葉が出なくなっていた。


 斗司登も、そんな小百合の心境を察したように黙って車を走らせた。


 愛の展望台を過ぎ、右手に高校時代通学で毎日見ていた千々石海岸の見えてきた。


 この懐かしい風景をこんな沈んだ気持ちで見る日が来ることなど考えたこともなかった小百合だった。


 橘神社の前を通る際に、橘中佐の銅像が目に入った。


 その瞬間、小百合は「お願いします母を助けてください」と自然に祈っていた。


 縋れるものには何にでも縋りたい、そう小百合は思っていた。


 15分後、車は公立小浜病院に着いた。


 斗司登は正面出入口に車を止めて「先に行け」と、小百合を下ろした。


 自動ドアが開くのを待っているのももどかしいとばかり小百合は開きかけのドアに飛び込んで行った。


 その様子を車内から見送り、斗司登は車を駐車場に進めた。


 車を駐車場に止めて斗司登が女将さんが収容されている集中治療室の方に歩いて行っていると治療室の方から


「お母さん。目を開けて、お母さん」


という小百合の絶叫が聞こえた。


 「委員長……」


斗司登は、そう呟くと踵を返して待合室に戻り、待合室の椅子にへたり込んだ。


 斗司登は頭を垂れた。

斗司登の脳裏では、さっきの小百合の悲痛な大絶叫が反芻されて押しつぶされそうな思いがしていた。


 「委員長……小百合」

と斗司登は呟き目頭を押さえた。

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