剣と魔法とお姉ちゃん

惟風

(聞いてない聞いてない聞いてない聞いてない、こんなの、全然聞いてない!)

 とある金曜日の夕方。

 津久野瑛美つくのえいみは、住宅街を全力疾走しながら考えていた。

「瑛美ちゃん、早く!」

「待って!」

 前を走っているのは、幼馴染の吉武優弦よしたけゆずるだ。彼の学生服は血で汚れており、所々破れて傷が覗いている。

 二人は、今まさに、2mを超す半魚人のような化け物から逃げている最中だった。


 遡ること数分前。

 瑛美は、優弦が教室に忘れた課題を届けに、彼の住むマンション前にいた。エントランスに入ろうとしたその時、彼女のスマホが振動した。

「ん?」

 画面を見ると、隣県に住む大学生の姉、流華るかからの着信だった。大抵の用事はLINEで済ませる姉にしては、珍しいことである。

「もしもーし、なに」

「逃げて! 今すぐ! 早く!」

「はあ? もー、また“霊能力”ってやつ? そういうのは」


 ドカン


 瑛美の頭上で大きな音が響いた。思わず見上げると、マンションの一室から煙が上がり、そこから男が落ちてきた。

 瑛美の横の植え込みに彼は落下した。それは、血まみれの優弦だった。

「きゃああああああああ」

 自分のものでは無いかのような悲鳴が口から出ていた。

「もしもし!? 瑛美!?」

 握っていたスマホから流華の声が聞こえてきているが、それどころではなかった。優弦に駆け寄る。

「優弦くん!」

「……う……ったぁ……」

 意外にも彼は意識があり、よろよろと自分から起き上がった。

「ちょっと! 大丈夫!?」

 瑛美が必死に声をかけるも、まるで聞こえていない様子である。優弦は頭を押さえながら立ち上がり、今しがた飛び出してきた部屋の方を睨みつける。つられて瑛美も同じ方を見る。

 近くの通行人達も足を止めて、それぞれに上を見ている。スマホを向けて撮影を始める者もいた。

 と、黒煙の中から、また何者かが音を立てて飛び出してきた。それは瑛美達の目の前に着地し、ゆっくりと身体を起こした。

 全身が緑色の鱗のような肌をした、巨体の化け物だった。極端に離れた二つの目、手足には大きな水かきがついている。高所からの落下ダメージなど感じていないように、二本の足で淀みなく立ち上がる。

「え……ウソ……何コイツ……」

 化け物は何故か真っ直ぐ瑛美の方に飛びかかってきた。

「ひっ!」

「危ない!」

 咄嗟に優弦が引き寄せてくれたおかげで、直撃は免れた。瑛美の立っていた場所のコンクリートが大きく抉れている。スマホがどこかに吹っ飛んでしまったが気にしている場合ではなかった。

 化け物は再び立ち上がる。

はつ・【穿うがて】!」

 上から男の声が響き、何かが降ってきた。それは短剣で、化け物の足を貫通して地面に刺さる。バランスを崩した化け物が横に倒れる。

 優弦の父、秀人しゅうとが煙の出るベランダから叫んだ。

「逃げろ! 早く!」

「瑛美ちゃん、こっち!」

 瑛美の腕を優弦が強く引っ張った。何もかもわからないまま、瑛美は優弦と走り出した。

 聞いてない。

 あんな化け物が本当にいるなんて。



 ――ねえ、お姉ちゃんには何がえてるの?


 ――うーん……マモノ……お化け、って言った方が瑛美にはわかりやすいかな。


 ――お化けってホントにいるの? 私見たことない。


 ――ほとんどの人には視えてないけど、いるの。たまにイタズラしてくる奴もいるから、お姉ちゃんが「近づいちゃダメ」って言ったとこには、行かないでね。



(イタズラどころじゃないしハッキリ視えてるし!)

 幼い頃の姉とのやり取りを思い出しながら、瑛美は力の限り走った。

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