空の人形(ドール)と賢者(ワイズマン)

ささみ

第1話

  *** 1 ***  

ゴウン、ゴウン。

 身体の奥へ響く振動と、少しの浮遊感。斜面を滑るように降りていくエレベーターは、二度と帰れぬ奈落へと僕の身体を引きずり降ろしているように感じた。

「表情が硬いように見えますが」

 僕の前に立っている男が、背を向けたまま話しかけてくる。

「緊張しているのですか?」

「……まあ、多少は」

 嘘ではない。なにせ一般にはほとんどの情報を公表しない『神秘省』の省内、その腹の中にいるのだ。緊張のひとつもしないならそれこそ異常だ。

 だがあまり分かったような顔をされるのも面白くない。ほんの少し震える手を握り、僕は努めて冷静を装う。

「それで、この下には何が? どうにも物騒な雰囲気ですが……もしかして僕、二度と地上へ戻れないようなオチじゃないですよね」

「はは……まさか。かの“堕天使”を退けた英雄へ危害を加えようなどと、そんな大それたことは考えてはいませんよ。ましてやここは我々の本拠地だ、ここから上に向けて爆裂魔法でも撃たれた日には壊滅的な被害が出る」

 “堕天使”討伐の際の後遺症により今の僕にはそこまで大規模な魔法は行使できないのだが、それを知っての発言なのか。どうにもこの男は読めない。目の前にいるというのに気を抜けば見失ってしまうような気がする。まるで霞のような存在感だった。

 我が国の主要機関が一つ、魔法や幻想種などの神秘を司る“神秘省”のトップ――クライブ・ベイクウェル大臣。本人を目の当たりにするのは初めてだったが、思ったよりもずっと若い。三十手前といったところだろうか。オールバックにした赤毛と上等なスーツ、銀縁の眼鏡がキマっていていかにも仕事人間といった感じだ。

「そろそろ着きますよ」

 大臣がそう言って数秒後、唐突に浮遊感がなくなり、そしてエレベーターが停止した。

「この奥です。行きましょうか」

 薄暗い廊下を歩いていく。どうやら近くで大型の機械が活動しているらしく、規則的な音と振動を足元から感じた。

 数分ほど歩き、一際大きいドアの前に立つ。大臣がドアを触るとその部分がうっすらと光り、そこを中心にドア全体に幾何学模様を描いた。どうやら魔力検知式の鍵のようだ。

 分厚いドアが真ん中から割れるようにして緩慢に、両側にスライドしていく。

 その中は予想よりも小さい部屋だったが、床中を這うケーブルや壁一面を埋め尽くす計器類がいかにも物々しく感じられた。

 そして、その最奥。壁に垂直に立てるようにして設置されている大きなガラス管が六つ。

 その右から三番目に、人の形をした何かが入っている。ガラス管を満たす液体の中に浮かんでいる――

「……ここは?」

「我々神秘省が極秘裏に進めていた計画のうちの一つ。その核となる部屋ですよ」

 僕と大臣が中に入ると、ドアが自動的に閉まった。いよいよ退路が断たれたようで心臓が大きく鳴る。

「さあ、ご覧ください」

 大臣がポッドのうちのひとつ――人型の何かが入っているガラス管を指さした。

「……これは……人間、ですか?」

 僕の問いに、大臣は神妙な面持ちで頷いた。

「“魂”の欠けた、ね。もはや珍しいものでもありませんが」

「……そうですね」

「“魂”……私たち人間にのみ備わる崇高な存在。それが実証されたのは随分前になります。ある人間の生前と死後の身体の重さを比較する実験の結果、死体の重量は“二十一グラム”だけ軽くなっていたことが判明しました。故に我々はこの二十一グラムの重量こそが魂の質量、魔法の源だと判断したわけです」

「歴史の授業を受けている気分ですが……そうですね。僕たち魔術師の中でもその言説は真理として捉えています」

 コツ、コツ。大臣がガラス管を指で叩いた。

「しかし。貴方もご存知の通り……“堕天使”の出現以降、私たちの魂は脅かされている」

 正体不明の化け物、“堕天使”がこの世界に降り立ったのはもう六年も前のことだ。

 何の前触れもなく突如として天から出現したこの超巨大な化け物は僕たちの世界を破壊し尽くそうとした。

 人類史上類を見ないほどの大規模な戦闘だった。誰もが多くのものを失い、世界には大きな爪痕が残った。

 かろうじて“堕天使”を下した僕たち人類だったが、しかし奴の残していった負債はとても大きかった。

 ――突発的な“魂”の消失。

 “堕天使”の出現以降、世界中で“魂”を失う人間が大量に出てきたのだ。

「“魂”がなくなれば人は昏倒し、そして寝たきりになる。呼吸はしていても意識が戻ることはない……そして今の世界では誰もがある日、突然“魂”を失う可能性がある」

「その通りです。“堕天使”討伐以降もその後遺症は我々を苦しめ続けています」

 そう言った大臣は僕の方へ振り返り、ピッと姿勢を正した。

「さあ、ここからが本題です。かつて“堕天使”と戦い打倒を果たした英雄の一人、トーリ・“ワイズマン”」

「……今の僕にはその名を名乗る資格はないです。ただのトーリでいい」

「では、トーリ。貴方に依頼したい」

 大臣が両手を広げ、そしてガラス管の中の人型へ祈るように手を組んだ。

「彼らの内部には“堕天使”の肉片が埋め込んであります。その魔力により疑似的な人格を獲得しているのです。言うなれば彼らは人間人形ドール。“魂”を持たず、精神と肉体でのみ稼働する人造人間です」

「……馬鹿な!?」

 驚愕のあまり叫んでしまう。

「それは……そんな非人道的な行為を、なぜ!?」

です」

 強い口調で断定した大臣は僕の目を真っすぐに見据えた。

「先の戦闘で我々が回収できた“堕天使”の肉片は六片。それらを“魂”を失った人間に埋め込み、六体のドールを作りました。そしてドールたちを、女王陛下が手ずから選出された芸術……科学……に預けた。その中で“魔法”の第一人者として候補に挙がったのが貴方です、トーリ。既に他の五体のドールの受け渡しは済んでいる。貴方が最後の一人だ」

 僕は知らず、生唾を飲み込んでいた。

「私たちからの……いや、女王陛下からの依頼は以下の通り。『一年以内にドールへ本物の“魂”を与える、その方法を見つけ出すこと』。手段は問いません。そして最初にその方法を確立させた者にはを与えます」

「一年……?」

人工的な“魂”を生み出す実験はかつての科学者たち、魔術師たちの双方が共に実現できなかった偉業の一つ。それを一年という短期間でやれというのだから、これはもうほとんど無理難題と言えるだろう。

「貴方が不満に思うのはよく分かります。ですがこちらにも事情がある。この一年という時間制限はどうあっても融通を利かせることのできない決定事項なのです」

 取り付く島もない……が、元より断るという選択肢はない。僕には果たさねばならない目的がある。そのためには何としても神秘省からの依頼を達成し、報酬をいただく必要があるのだ。

「……分かりました。いくつか質問しても?」

「どうぞ」

 慇懃に頷く大臣。

「報酬を受け取れるのはあくまで依頼を達成した者のみなんですね?」

「ええ。我々としては一つだけでも“魂”を生み出す方法が確立されればそれで十分ですので」

「なら当然、依頼を受けた六人が互いに潰し合うことも想定されている?」

 大臣は一瞬だけ目を逸らし、

「……人は競い合う対象がいるからこそ進歩します。その相手を排除するのか利用するのか、形式は様々ですが」

 なるほど。つまり僕たち六人は互いのドールを潰し合って競争者を減らすもよし、あるいは協力して“魂”の生み出し方を模索するもよし、と。

「もちろん、依頼達成者以外の五人……あるいは誰も依頼を達成できなかった場合には六人全員に、最低限の報酬はお支払いいたします。しばらくは遊んで暮らせる程度の金銭という形でね」

 それでは意味がない。僕に必要なのはあくまで達成者のみが受け取れる、『望み通りの報酬』なのだから。

「理解しました。では次に……このドールですが、魔法は使えないんですよね?」

「はい。彼ら彼女らはそれぞれ人間のような人格を有しますが、あくまで“堕天使”の肉片から供給される魔力を動力源にして動く死体のようなものに過ぎません。魔法を使うには“魂”が必要だということは貴方が一番よく理解していると思いますが」

「……そうですね、その通りです」

 僕は頷き、そしてガラス管の中のドールを見た。

 整った中性的な顔立ち。年頃は十五、六くらいだろうか、ガラス管の中に浮かぶその寝顔はあどけなさを多分に残している。肩くらいまでの銀髪と華奢な身体つき。彼(彼女?)の容姿は本当に人形なんじゃないかと錯覚してしまうほどに美しかった。

「他に質問は?」

「いえ。大丈夫です」

 ドールに向けていた視線をベイクウェル大臣の方へ戻す。さあ、覚悟を決める時だ。僕はこの競争に勝つ。

そして必ず――あの日失ったものを取り戻すのだ。

「ベイクウェル大臣。ご依頼、確かに承りました。この僕――魔術師トーリが必ずや、このドールに“魂”を与えることを誓いましょう」

 僕の宣誓を聞いた大臣は小さく笑みを浮かべた。その笑顔からは何の感情も読み取れない。僕の答えを素直に享受し喜んでいるようにも見えるし、まんまと罠に掛かった獲物を前に舌なめずりする猟師のようでもある。

「ありがとうございます。ではお受け取りください。貴方の相棒あるいは道具、これより一年の間のパートナーとなるドールを」

 大臣が端末を操作する。小さな電子音が鳴り、次いでガラス管を満たしていた液体が排出されていった。

 次いでガラス管が床へ沈み込むように収納された。後に残されたのは液体の浮力をなくし、床に屈みこむような姿勢になっていたドールだけ。

 その身体が、“堕天使“の肉片を有する人ならざるヒトガタが、ゆっくりと立ち上がり――

 ――その両目を開いた。

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