Little Assassin(後編)

 女性記者、澤井詩歌の依頼を受けた翌日。

 クロガネは本格的に無意味な人捜しの仕事を始めた。

 事前に打ち合わせた通り、午後には依頼人である澤井も合流する。

 何でも、捜索の取っ掛かりになる場所をいくつか押さえていたとのことで、行動を共にすることになったのだ。

 平日であるため美優は学校、もう一人の居候である褐色肌の少女は諸事情により現在不在のため、探偵事務所はもぬけの殻だ。しっかりと戸締まりをしておく。


 そして、澤井に連れられて訪れた最初の場所は――『兎画興行とかくこうぎょう』と看板に書かれたビルだった。


「……あの、澤井さん?」

「はい?」

「ここって、組事務所では……」

「ええ、ヤの付く事務所ですね」

 何当たり前のことを? と言わんばかりに肯定する澤井。

「どうしてここに?」

「ほら、私の捜している子ってとても物騒だったでしょう?」

 オブラートに包んで話す澤井に「ええ」と相槌を打つ。

「今も昔も非日常的なことをしているのならば、その筋の人達に話を訊いた方が手っ取り早いかなって」

 オブラートに包んで非常識なことを言い出す。

「もしかして、私の所に訊ねる前にも、その筋の人達が居る所に通っていたとか?」

 クロガネの問いに「まさか」と否定する澤井。

「か弱い女性一人でヤクザの所に行きませんよ、普通に怖いですし」

「では、何故今?」


「武闘派の探偵で知られる黒沢さんが一緒に居れば、入れるでしょう?」


 さもありなんとばかりに、澤井は実に良い笑顔を浮かべた。

 つまり、クロガネを護衛に付けて反社会的勢力相手に聞き込みをすると言っているのだ。


 今回の依頼人、澤井詩歌。

 行動力が常軌を逸したこの女性記者は、決してか弱くなどない。

 ただ図太い。


「さぁ、行きましょう。万一の弾除けはお願いしますね」

「……良い性格してますね」

 先を歩く澤井に付いて行きつつ、せめてもの反撃として皮肉を返すも。

「よく言われます」

 どこか照れ臭そうに笑う澤井に「褒めてねぇよ」と言ってやりたいのを我慢しつつ、今回の報酬額について改めて検討しようかと考えるクロガネだった。


 ――数時間後。


 二人は鋼和市南区にある海浜緑地公園に訪れた。

 既に日は暮れ、太陽光発電式の街灯に光が灯る。


 兎画工業の組事務所の聞き込みから始まり、ヤクザがフロント企業を務める怪しい不動産業者や金融会社などを転々とするも、(澤井にとって)有力な情報を得られずに一日が終わってしまった。

 訪れた場所がいずれもクロガネと浅からぬ因縁があるだけに一触即発の張り詰めた空気が漂う中、澤井は終始マイペースに自身が知り得たい情報のみを求めて聞き込みを行った。

 主に話をするのは澤井のみで、クロガネは護衛として彼女の傍に控えているだけなのだが、相手側から常に殺気をてられていたため何もせずとも消耗してしまった。


 二人は揃って公園広場のベンチに座り、一息つく。

「お疲れ様です、ここまで付き合って貰ってありがとうございました」

 労う澤井の顔も疲労の色が濃い。

 肝が据わった行動力といっても、流石に反社会的勢力を相手にするのは初めてなのだから無理もない。

 むしろ、そこまでしてまで自分に礼を言いたいのかと、クロガネは呆れを通り越して感心してしまう程だ。

「……お疲れ様です。初日は大した情報は得られませんでしたね」

「まだ初日です。明日以降はきっと何かしら手掛かりが見付かりますよ、きっと」

 ポジティブな澤井にまだ続けるのかと辟易しながらも訊ねた。

「こんなことを、もう十三年も?」

「……はい」

 頷く澤井。だがすぐに、

「あっでも、ヤクザの所に行ったりはしてないですよ」

 慌ててそう補足する。

 自身が出来る範囲内で、彼女はかつての恩人であるクロガネを捜し続けて来たのだ。

 十三年間も、一途に。

「もう捜すのを諦めようとはしなかったのですか?」

「何度もありましたよ。だけど、あの子が居なかったら今の私はここには居ませんし、とっくの昔に死んでいたかもしれなかったんです。せめて一言、直接お礼を言わないと私の気が済みません」

「律儀ですね」


 ――お礼なんて言われる筋合いも必要も無い。

 クロガネはそう言ってやりたかった。


 十三年前のあの時、クロガネが児童館に居たのは偶然ではなく必然だった。


 鋼和市に有力な人身売買組織が上陸したと警察や当局よりもいち早く察知した当時のゼロナンバーは、市民の安全優先で組織壊滅に乗り出した。

 当時の作戦は、まだ八歳だったクロガネを敵拠点発見のための『囮役』として動員し、

 護身用の武器を持たせられたとはいえ偵察が目的である以上、本来であればクロガネが暗殺するに至らない筈だったのである。

 だが。

 自身より幼い子供の命が理不尽に奪われるのを目の当たりにし、思わず実力行使に打って出てしまった。

 幸か不幸か、この時まで英才教育を施されて育まれた暗殺者としての才能が開花し、結果的に当時の澤井詩歌を含む大勢の子供たちの命を救い、犯罪組織を壊滅に至らしめた。

 そんな事情など知る由もない澤井は、命の恩人であるクロガネと対面での感謝にこだわっている。


 とはいえ、これは何かと都合が悪い。

 クロガネの方から名乗り出て素性を明かす訳にはいかない。元とはいえ暗殺者であれば尚更だ。


「律儀であるのは美徳ですが、お捜しの相手は人殺しです。感謝の念を抱くだけならまだしも、会う必要は無いでしょう」

 何とか穏便に済ませて諦めてくれないかとクロガネ本人がそう説得するも。

「正論ですね。それでも、私は……」

 澤井は決して譲らない。

 十三年分の想いは言葉だけでは揺るがないようだ。

 もはや信念や使命、あるいは執念というべきか。

 ここまで来ると澤井詩歌の存在意義に関わる。

 命の恩人とはいえ、暗殺者に執着する様は素人目に見ても様々な意味で危険だ。いずれ彼女の身も滅ぼしかねない。


 さて、と澤井はベンチから立ち上がるのを見てクロガネも続いた。

「今日はありがとうございました。また次回もご一緒して貰ってよろしいですか?」


 次回もまたヤクザの事務所に(健全な意味で)カチ込むのか……。


 澤井が納得するまで付き合うつもりではあるが、その手段だけはどうにかならないだろうか?

 この時ばかりは流石に依頼人の頼みを無碍には出来ない自身の立場を呪う。


 ……そういえば、クロガネ探偵俺の所事務所にやって来る依頼人の大半は元々問題がある奴ばかりだった。


 と、今更ながら自身が『トラブルメーカー』と呼ばれるようになったそもそもの原因を思い出す。


 クロガネは、依頼人の手前つきそうになった溜息をぐっと堪えた。



 ◇◇◇


 ――澤井が住んでいるアパートまで彼女を送り届けたクロガネが帰路に着く。


 雑居ビルの屋上から小さくなっていく探偵の背中を見送ったナディアは、伏射姿勢で約六百メートル先の部屋に居る標的にライフルを向けた。

 クロガネに悟られないよう少し時間を置き、彼が充分に距離を取ってから狙撃することにする。


 ナディアは愛用している軍用狙撃銃――M24 SWSにマウントしたスコープ越しに改めて標的――澤井詩歌を観察する。

 窓から見える彼女は上着を脱いでソファーに掛けると、缶ビールにポテチを摘まみながらテレビを観始めた。

 どこにでも居る仕事上がりのOLだが、この女はクロのことを嗅ぎ回っているマスゴミだ。許すまじ――と、引き金を引かずとも視線だけで射殺せそうなナディアである。


「……そろそろカ」


 クロガネが充分に離れた頃合いを見計らい、ボルトハンドルを操作して初弾を薬室に送り込む。


 呼吸を整え、スコープの向こうで無防備な姿を晒している女記者の心臓にレティクルの中央を合わせた。


 狙撃の美学を追求したかのようなすらりとした銃身の先、サプレッサーを装着した銃口が標的の命に向けられる。



 そして、ナディアは。


 息を止め、引き金に添えた人差し指に力を込めた。



 ***


(何とかしないとな……)


 自宅まで澤井を送ったクロガネは、帰路の道中に解決方法を模索する。

 最善手は彼女が納得する形でこの依頼を終わらせることだ。

 十三年もの間、彼女はクロガネを捜し続けていた。

 その想いを、努力を、無碍にすることは出来ない。

 かといって、こちらから素性を明かすことも出来ない。

 クロガネが澤井の捜し人であることを悟られず、何らかの形で彼女と対面を果たすなど出来るのだろうか。


(最も確実な手段は、やはり替え玉だろうか。出嶋からアンドロイド端末を借りれるかな……)

 と考えては、

(いや駄目だ。奴に借りを作ったら、また面倒事を押し付けれる)

 すぐに却下する。


(なら、藤原くんに頼むか?)


 藤原優利ふじわらまさとし

 クロガネがかつて所属していたゼロナンバーの一人〈インディアゼロ/イリュージョン〉は、あらゆる人間の顔に化けることが出来る変身能力者であり、諜報活動を専門としている。


(いや、これも駄目だな……俺の都合で呼び出しては流石に迷惑だろう)


 優利は白野銀子、分家筋とはいえ獅子堂家令嬢の専属護衛だ。

 自身の保身目的で呼び出した隙に銀子の身に何かあれば、戦犯どころの話ではない。

 加えて獅子堂光彦の命令とはいえ、平日は高校に通う美優の護衛まで掛け持ちして貰っているのだ。ただでさえ忙しいのに、替え玉まで頼むのは流石に心苦しい。


「やはり俺が何とかするしかない、か……」

 溜め息を一つ。

 気付けば自宅兼探偵事務所に到着していた。

 結局良い案が浮かばなかった。

 こうなったら美優に相談してみようと、玄関ドアの取っ手に手を伸ばしたその時。


「クロっ」


 弾む声に振り返ると、見覚えのある褐色少女が駆け寄ってくる。

「ナディアか。久しぶりだな」

「ウンっ。またお世話になりマス」

「ああ、よろしくな」

 笑顔を浮かべるナディアの肩には、ギターケースが掛けられている。

 中身はギターではなく、ライフルだろう。今日からナディアの謹慎が解除され、本格的に美優の護衛に就くと出嶋から事前に連絡を受けていた。

「早速だけどオナカスイタっ」

「はいはい」

 率直な訴えに苦笑しながら、クロガネはナディアと共に探偵事務所に帰還する。




 ――翌朝。


 開店して間もなく、クロガネ探偵事務所に澤井詩歌が現れた。



「おはようございます、黒沢さん」

「おはようございます。それでは、行きますか?」

「えっと、実はそのことなんですが……」

 さっそく出掛けようとした矢先、澤井が困ったような或いはどこか心苦しそうな複雑な表情を見せた。

 あれほど殺し屋捜索に積極的だった筈なのに、昨夜別れた後何かあったのだろうか?


「実は、……」


「………………は?」


 その本人が、思わず訊き返した。



 ***


 鋼和市では子供の玩具以下とされる旧式のノートPCをカタカタ鳴らしながら、クロガネは腑に落ちない様子で今回の報告書を作成する。

 程なくしてキーボードを操作していた手を止め、うーんと伸びをした。

「苦戦しているようですね」

 コーヒーを差し入れて来た美優に「ありがとう」と頷く。

「何とも変な話だ。まるで、過程をすっ飛ばして結果だけが残ったような……」

「いつの間にかスタ〇ド攻撃を受けていたような感じですか?」

「キ〇グクリ〇ゾンじゃないけど、気分的にそんな感じ」

 コーヒー片手に一息入れたクロガネは、先程の澤井の証言を思い返す。


 澤井曰く。


 昨夜、クロガネと別れた後、自身のPIDに例の元少年を名乗る存在から連絡があったという。


 変声機で声を変えていた上に、映像通信ではなく音声通信であったため、本当に自分が捜していた例の少年暗殺者であったかどうかは解らないと澤井は言っていた。

(※本物はクロガネであるため、真っ赤な偽物である)

 

 その偽クロガネは、「これ以上自分を捜し続けるなら殺す」と一方的な脅迫をしてきたらしい。

 警告や忠告とも取れるその一言だけ言って通話を切ろうとした相手に、澤井は長きに渡って抱き続けていた感謝の念を伝えたという。

 その時点で澤井詩歌の依頼は達成されたも当然であり、結果だけ見ればクロガネにとって厄介な仕事が終わったことになる。


「……澤井さんに連絡してきた『もう一人の俺』、か」

 ここまで報告書作成が困難な事例もそうないだろう。

「ドッペルゲンガーという前例があるとはいえ、一体何者なのでしょうね」

 相槌を打つ美優を、じっと見つめる。

「あの、何か?」

 小首を傾げる美優。

「……いや、別に」

 と、そこに。

「オハヨ~」

 二階からはだけたパジャマ姿のナディアが下りて来た。

「おはよう」

「おはようございます。ですが、もうお昼前ですよ。それにそんな格好をしてはいけません」

「お母さんカ」

 美優の小言に、ナディアは不愉快そうにそう言うと。

「その理屈だとナディアさんは私達の子供で、私とクロガネさんは夫婦となりますが?」

「……前言撤回。クロの嫁になるのはワタシダ」

「それならまずは、顔を洗ってちゃんと身だしなみを整えてきてください。お嫁さんに相応しくありませんよ?」

「ヌゥ……」

 形勢不利と見て、ナディアは渋々と洗面所に向かった。苦虫を百万匹は噛み潰したかのような顔と共に。

 美優もナディアとの付き合い方が解ってきたようだ。ただ、もう少し穏便かつ仲良くして貰いたいと思うのは高望みだろうか?

 そんなことを考えながら、クロガネは席を立つ。

「どちらへ?」

「ナディアのご飯を用意してくる」

 美優がどこか呆れた表情を浮かべた。

「寝坊した本人に一任させれば良いのでは?」

「まだあいつは育ち盛りで食べ盛りだ。偏食や粗食は体に悪い」

「クロガネさんはナディアさんを甘やかし過ぎです」

「そうでもないよ」

 後でナディアに風呂掃除をやらせるつもりだ。

「少しの間、事務所は任せた。客が来ない内に澤井さんの報告書、代わりにまとめておいてくれ」

「私がですか?」

 美優が眉をひそめた。

 今回の依頼に、彼女は表立って関与していない筈だったが。


「美優なら出来るだろ?」


 その一言に、美優は僅かに硬直する。

 やがて観念したかのように彼女は口を開いた。


「……気付いてましたか」

「まぁ、心当たりは他に居ないしな」


「勝手なことをして申し訳ありません。電話口とはいえ、依頼人に対して不適切な対応を取ってしまいました」

 深々と下げた美優の頭に、クロガネは手を置いて軽く撫でる。

「美優なりに俺や澤井さんに良かれと思ってしてくれたんだろ? それに」

 洗面所の方を見やる。


。ありがとう」

 

 そう言ってクロガネがキッチンに消えると、顔を上げた美優の元へナディアが戻ってきた。


「……クロにはお見通しだったナ」

「ですね」


 苦笑した美優は、途中だった報告書の作成に取り掛かる。



 こうして、とある女性記者が持ち込んできた『小さな暗殺者リトルアサシン』に纏わる依頼は、無事に達成という結果で終わった。




 ◇◇◇


 息を止め、引き金に添えた人差し指に力を入れようとした瞬間。

 スコープの先に居る標的が、着信が入ったPIDを手に取った。


 ナディアは引き金から指を離す。

 通話中に殺したら、電話の相手が異変を感じてしまう。警察の捜査に引っ掛からないよう、余計なリスクは背負わない。


 標的がPIDの通話機能をONにした。

 すると、前触れもなく唐突に。


『はい、もしもし?』

「ッ!?」


 ナディアの懐にある自身のPIDから、六百メートル先に居る筈の標的――澤井の声が聞こえて驚愕する。


『澤井詩歌ダナ?』


 変声機越しに低い声で話し掛けてきた謎の存在に、電話を取った澤井は勿論ナディアも息を呑んだ。


『……そうですが、どちら様でしょう?』

 警戒した声音で訊ねる澤井の表情も険しくなる。


『解ッテイル筈ダ。ズット貴女ハ私ノコトヲ捜シテイタノダカラ』

『まさか、あなたが……?』


 まさか、クロが直接電話を?

 それこそまさかだ、わざわざこんな危険な真似をする筈がな……くもない、か?


「イヤ、それよりモ」

 この何者かはナディアの存在をも把握した上で通話内容を聞かせていることになる。

 第三勢力ともいえる別の暗殺者か、それとも。

 混乱しているナディアをよそに、謎の存在と澤井の会話が続く。


『用件ハヒトツダ。モウ私ヲ捜ス真似ハヤメテ貰オウ。コレ以上深入リスルヨウデアレバ、貴女ニハコノ世カラ消エテ貰ウコトニナル』

『待って! 私はあなたに伝えたいことがあって、ずっとあなたのことを捜していたの!』

『……ソレガ済メバ、モウ私ニ関ワラナイノダナ?』

『ええ、約束します』

『……聴コウ』


 謎の存在が促すと、スピーカー越しに澤井の深呼吸が聞こえた。

 そして。


『……ずっと、助けてくれたお礼を言いたかった。十三年前のあの日、私を、私達を助けてくれてありがとう』


 万感の想いを乗せ、彼女は十三年越しに感謝の言葉を伝えた。


 それっきり、両者は押し黙る。

 やがて、沈黙を破ったのは相手の方からだった。


『……約束通リ、モウ私ニ関ワルナ』


 機械合成の声のため感情が読みにくく、冷淡な印象を受ける。


『コレカラノ貴女ノ人生ハ、貴女自身ノタメニ使エ』


 最後にそれだけ告げると、澤井の返事を待たずに通話を切った。

 どこか気遣いが見え隠れする最後の言葉に、澤井は満更でもない様子でPIDを見つめている。


 そして。

 その一部始終を見届けたナディアは、

「…………」

 無言でライフルから銃弾を抜き、手早く撤収作業を始めた。

 意図せず澤井の目的が果たされた今、以降はクロガネを探る真似はしないと判断したためだ。ならば彼女を殺害する必要は無い。


 ライフルをギターケースに仕舞ったところで、


『狙撃中止ノ決断、アリガトウゴザイマス』


 再び例の声が、ナディアのPIDから発せられた。

「……そろそろ話し掛けて来るんじゃないかと思ってタ」

 もう驚かない。

 すでに声の主の正体についてはアタリがついている。

 ゼロナンバーの秘匿回線に割り込める高度なハッキング技能を持ち、他ならぬクロガネのために動く存在など一人しか居ない。


「ミユだナ?」

『ヤハリ、解リますか?』


 ズバリな指摘に、謎の存在改め安藤美優は機械合成のものから元の声に戻した。


「他に居ないダロ。撃たずに済んだことは一応感謝してやル。手間が省けて助かっタ」


『どういたしまして』


 標的だった澤井詩歌はクロガネ探偵事務所の依頼人であり、十三年前にクロガネが助けた子供たちの一人であることは事前に知っていた。


 ナディアも澤井と似た境遇でクロガネに助けられたため、何だかんだで彼女を撃ち殺さずに済んだことは心のどこかで安堵していた。


「ご当主とデルタゼ出嶋ロに報告しテ、念のたメ、あの女を監視するだけに留めて貰おウ」


『報告の際は私も付き合います』


「当然ダロ、ワタシの仕事を邪魔したんだかラ」


『そんなに私を邪険に扱わなくても良いじゃないですか。結果的に良い方向に片付いたのですから』


「だからだヨ」


 美優の言い分に少し苛立つ。


『えっ、何がです?』


「何でもなイ。通信終了」


 返事を待たず一方的に通話を断ち切る。


 美優の介入によって、クロガネにとっても澤井詩歌にとってもベストな結末を迎えたのだ。それは手を汚さずに済んだナディアも例外ではない。


(だから言えるわけがないんダ。ワタシが人を撃ち殺して、また悲しそうな顔をするクロを見なくて済んだことが嬉しいだなんテ……)


 相手が恋敵美優ゆえに、『小さな暗殺者リトルアサシン』は素直に感謝を伝えることが出来なかった。

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