第7話 ことわり

 嗚咽が出る、粘度のある吐瀉物が石畳の床を汚す。寄生虫の様な小さな蟲が胃液の中に混ざっていた。

 ただどれだけ吐いてもあの生物は出てこない。

 気持ちが悪い、気持ちが悪いのに私の中にあの形容し難い何かが巣食って出て来てくれない。


 コロニーに来てから初めて私は死にたいと思った。


 皆が私を見守っていた。床に蹲る私を温かい目で見守っている。


 気が狂いそうだ。何故そんな目で私を見る。穢された私を何故そんな目で見るのだ。


 水筒に入った水を差し出され飲み干す。目眩がする。


 ヨコが私に声をかける。


「これは導きなのです。ニエが御許へ旅立つ事も貴方が此処に居た事も全ては大いなる神の導きに依る所なのです。

 貴方は拒む事は出来なかった。貴方は継手となる星の下に産まれていたのですから。

 我々が存在出来るのは全て、全て全て大いなる宇宙に在します神の御業に依るものなのですから!」


 ヨコは続ける、ニエの前で泣いていた人間と同じ様には思えなかった。


「拒絶反応がなさそうで何よりです。大いなる神は中々に好き嫌いの激しい御方でニエが定着するまでに何人も【候補】が死んでしまう事もあるのです。

 今回は完全なる変則でしたが御方が貴方に定着しなければ急いで若い兵士を呼んでこなければならない所でした。悪く思わないで下さい。

 これはコロニーに於ける至上命題なのです。ニエを継ぐ、そして村々をクリーチから守る、それがここの全てなのです。」


 ヨコは私に語りかける。

「私がさっき殺してしまった男、私が心臓を抉り取ってしまった男の名前はリンネと言います。

 リンネは私のただ一人の友人でした。

 ここに連れて来られた日から兄弟の様に生きて来ました。私達が二十歳になったある日、前のニエ様に呼ばれリンネはニエとして生きる事になったのです。

 ニエというのは名前ではありません。継手として、神の化身としてコロニーを統べるための役職の名称です。

 何故リンネが選ばれなければなかったのか?それは貴方は知っているはずです。【意志は偶然の中にこそ宿る】ずっと見ていた言葉のはずです。」


 吐くのを堪え私は言った。


「偶然居た私が偶然死んだニエの代わりに糞みたいな蟲に宿られたって言うんですか?さっきのおぞましい物を神と信仰してあんた達になんの恩恵があるんだ!?ここの生活なんて塵みたいなもんじゃないか!!」


 激昂したヨコが叫ぶ。


「大いなる神を愚弄する事は赦されません!私達が産まれるずっと前からそう決まっている事なのです!大いなる神は人を作りし絶対なる存在!貴方達もそれを信じている親から産まれたからこそ此処にいるのではないですか!!」


 目眩がした、話が通じる気配がまるで無い。


 狂気を孕んだ目で優しく諭す様にヨコは言う。


「貴方が居た村、いやこの世界に存在している町や村のほぼ全ては大いなる神を信じている者たちの場所です。

 クリーチが此処しか襲わないのはコロニーに継手がいるからなのです。クリーチはコロニーだけを狙う。おかしいと思いませんでしたか?生まれた村をクリーチが襲わなかったのは何故か?それは継手が代々他の村を守っていたからなのです。それに貧しい村が生きて行くには貴方達を…」


 ヨコが咳払いをした。

「この話はいいでしょう。」


 不意に畑でジーンが肩を竦めて寂しく笑う光景が浮かんだ。私の頭の中は真っ白になった。

 故郷が遠い、胸が苦しい。


 床に頭を何度も打ちつけた。額が割れ血が流れる。

 色々な感情が渦巻き私は床を殴り続けながら叫んだ。


「うああああああああああああああ!!!」


 誰もが無言のまま私のすすり泣く声だけが虚しく響く。



 少し経ってからヨコが私の肩を抱き


「今日は疲れたでしょう?ゆっくりお休み下さい。心が落ち着いたらこれからの話をしましょう。」

  

 と言って小屋には私一人が残された。


 雨は止んでいた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る