【0】始まりの場所――ボーケン城

専務、召喚される。

「……ほえぇ?」


 ふっと意識が持ち上がり、氷月は周囲の光景に視線を走らせた。石造りの壁にステンドグラスがはめ込まれ、天井には華やかなシャンデリアが据えられている。左右の壁には鎧姿の兵士がずらりと並んで……いや、彼を取り囲んでいた。床に目を落とすと、ビロードの絨毯と、その上に展開されている虹色の魔法陣。ようやく前方に視線を向けると、遥か上の玉座に二つの人影王冠を戴いた屈強そうな男性と、魔術師っぽいローブに身を包んだ白髭の男性。総合すると、ここは――


「……お城? なの?」

「なに? そち、我が絢爛なるボーケン城を知らぬというのか?」

「知らないの。っていうかおじ……おに……ふーあーゆー? なの?」


 ぴょこりと首を傾げると、周囲の兵士たちが一斉に槍を構えた。金属が擦れ合う音がガチャガチャと響く。相変わらず眠そうな目で周囲を眺める氷月を苛立たし気に睨み、王冠の男性は笏を床に突いた。派手な音に、氷月はきょとんと首を傾げる。


「貴様……余が国王だと知って、そんなことを申しておるのか!?」

「鎮まりください、王よ……あの者は異界の存在……流石の王の御威光も、異界までは照らすことはできませぬ……」


 隣に控えていた老人がそう告げると、王は納得したように頷き、無駄に偉そうにふんぞり返った。……それを眺め、派手に欠伸あくびをする氷月。こんな王、彼の恩人であり上司でもあるあの少女が見たら、きっと歯牙にもかけないだろう。そんな彼の思考を知ってか知らずか、王は無駄に尊大に口を開く。


「成程。過大評価しすぎていた。要するにお前は異界の野蛮人なのだな」

棒棒鶏バンバンジーは好きだけど、僕は棒棒鶏じゃないの。専務なの」

「ならば仕方がない。余が直接、そちに王命を下そうではないか!」

「依頼なの? 詳細をお聞かせくださいなのー」


 会話が1ミリも噛み合っていない件について。玉座の横で老人が頭を抱えている。しかし特に気にしていないのか、王は氷月を見下ろして口を開いた。


「まず、野蛮人。お前は別の世界からこの世界に召喚された」

「……強制出向なの?」

「間違いではございませぬが……こちらにもこちらの事情がありますゆえ……どうかご理解いただけますと幸いです……」

「……おじいちゃん、お疲れ様なの」


 真っ直ぐな髭を撫でながら、軽く一礼する老人。そんな彼を眺め、氷月は頬を掻く。王が盛大に咳払いし、話題を無理やり元の場所に引き寄せた。


「その事情というのが、『魔物』だ」

「まもの……?」

「この国の辺境に巣食う魔物は複数いるが、そのうちのどれか一体だけでも倒すのだ。六体いるのと五体しかいないのでは、脅威の大きさも変わってくるからな。お前にはこれから七日以内に魔物を討伐してもらう。その期限を越えると魔物による大侵攻が行われる危険性が高まるからだ」

「……えっとー」


 一方的な王の言葉に、氷月は頬を描く手を止め、口を開いた。男性とは思えないハイトーンボイスが広間の空気を震わせる。


「その依頼受けて、僕には何かメリットあるのー?」

「メリット云々ではなかろう。。これを聞いてなおぶつくさと駄々をこねるか?」

「僕、うどんはこねるけど駄々はこねないの。こねても美味しくないの」


 ――ただ、ちょっとだけ納得いかないの。まず、事前の交渉も同意もなしに部外者を強制出向させるのはいかがなものか、なの。っていつかこれ最早拉致なの。僕が住んでる国でそれやったらすぐに両手にワッパなの。それから僕にも立場があるの。れっきとした会社の専務なの。自分でいうことじゃないけど、会社を回すのに必要な人間なの。その人が抜けるなんてことになったら、会社の損害がどのくらいになると思うの? この件で僕が死んじゃったら責任取ってくれるの? 損害賠償請求に応じてくれるの? それにそっちがどんなに大変でも、僕はあくまで部外者なの。知らない人の前に急に連れてこられて、拒否権もなく、その人のために働かされるなんてごめんなの。自分の仕事は自分で選ぶものなの。それが僕たちの会社なの――


 そんな反論を頭の中で組み立て、叩き壊した。拒否した際のリスクについて考えてみる。……もし帰ることができなければ、MDCはどうなるのだろう。自分という存在が大きなピースであることくらい、把握している。だからこそ、選択は慎重に行わなければならない。この期に及んでまだ眠そうな瞳をしている氷月を見下ろし、王は深みのある低い声で迫る。


「……それで、やるのか。やらないのか」


 その声はまるで、拷問器具の操作紐を握っているかのように響いた。気温が急速に下がっていくような感覚。氷月は半開きの目を軽くこすり、王に向き直った。両手を胸の前で組み、どこかの少年漫画で見たような礼をとり――表面上は従順に聞こえるように、高い声を上げた。


「やらせていただきますなのー!」

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